DSと宇宙戦艦ヤマト

さてさて感想ばっか続くのは避けたいので少しは雑談を

ヒリュウ第1話の感想の中で散々名前を出した「宇宙戦艦ヤマト」ですが、この作品はとても古いもので第1作が公開されたのが「1974年」、今から約47年前に作られた作品です。
そして僕は2020年で18歳になりました。
18歳が47年前に作られ今なお続く作品にハマっている訳ですがこの作品との出会いと付き合いを今回は書きたいと思います。

「宇宙戦艦ヤマト」という作品との出会い

「宇宙戦艦ヤマト」というのに最初に触れたのは2008年、DSが6歳の時です。ちょうど自分の母親が「宇宙戦艦ヤマト」世代であり、当時住んでいた宮城の家で「宇宙戦艦ヤマト」のビデオセットを買ったことがDSがヤマトを知るきっかけでした。当時の記憶としてはっきり覚えているのはビデオ2巻(冥王星前線基地攻略〜オリオン座α星)をリピートしてみてビデオが切れたぐらい見ていました。

2010年 「実写版宇宙戦艦ヤマト」 公開

それから時は経ちDSが8歳の時です。
「SPACE BATTLESHIP ヤマト」が木村拓哉主演で公開されました。
この時は父親の浮気が原因で両親が離婚、親権争いのため裁判を起こし、その間父親の元に居ましたが父親は長距離ドライバーだったため、養護施設にいました。(後で話しますがこの間母親は実家が大阪に帰っていました。)
公開された時はたまたま父親が休みに入り養護施設からの帰省期間の間だったので見に行くことが出来ました。
当時の自分はストーリーや出演者の演技等に当然興味はなく、ただただ大きい画面で動くヤマトに興奮していました。

東日本大震災、母親に引き取られ大阪へ

2011年に起きた「東日本大震災」で自分は養護施設で被災、父親は当時幼いDSに母親と大阪で暮らすか、このまま養護施設で暮らすか選択を迫りましたが当時施設内でいじめを受けていたこともあり大阪で母親と暮らすことを選択しました。

そして大阪に着いてからは環境の違いからなかなか学校にも馴染めず、1人で過ごす日々、そんな中親が某レンタルショップで「宇宙戦艦ヤマト」を借りてきたことが宇宙戦艦ヤマトの世界へ深入りしていくきっかけでした。
そこからは幼稚園の頃以上に「ヤマト」に惹かれ、「さらば」「2」「新たなる」etc...を視聴、ネットショッピングで原作漫画を買い出すほどハマっていきました。

2012年 ヤマト界に衝撃走る

時は経ち2012年、ヤマト界に衝撃が走る(あくまで個人的な感想です。)出来事が起こりました。
「宇宙戦艦ヤマト」のリメイク作品である
「宇宙戦艦ヤマト2199」 公開

当時のDSは祖母に連れられ映画を見に行きましたが公開方法は全7章構成の各1章ずつ順に公開をする方式
もちろん全章を連れていってもらえる訳もなく第2章でリタイア、冥王星基地が陥落したところで終了、それでも当時のDSは美しく大きな画面で動くヤマトを見て満足していました。

2013年 「宇宙戦艦ヤマト2199」TV放映開始

2013年には「宇宙戦艦ヤマト2199」がTV放映を開始しDSは念願の冥王星基地陥落以降のストーリーを楽しめることが出来ました。
それこそもう新しいおもちゃを与えられた幼児の様にはしゃぎまくり、更に「宇宙戦艦ヤマト」という作品にハマり込んでいったわけです。

2018年 Twitter開始 多くのヤマトファンと繋がる

2018年の高校入学とほぼ同時にTwitterを始め今に至りますが、この間色々なヤマトファンの方と関わってきました。中学の頃からプラモデルを作り始めていたこともあり世界が一気に広がりました。
その中で知り合ったのも1個前の記事書いた「ヒリュウ」の384さんやその他大勢の方です。

総括 自分にとって「宇宙戦艦ヤマト」とは

結論から言うと「宇宙戦艦ヤマト」とは「人生」と言っても過言ではないでしょう。
幼少時代にハマり今に至るまで養護施設時代を除き、欠けることなく見続けていたのは「宇宙戦艦ヤマト」、「仮面ライダー」や「スーパー戦隊」といった特撮作品は一時期離れてたりしていましたが「宇宙戦艦ヤマト」だけは離れることなく見ていました。
最近だと去年末の12月には「はやぶさ2」の小惑星リュウグウのサンプルリターン成功が話題となりましたが、DSが宇宙開発に興味を持ったのも「宇宙戦艦ヤマト」です。

これからの「宇宙戦艦ヤマト」というシリーズの発展を楽しみに共に生きていこうと思います。

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