後期つわり戦記

※勘の良い読者の皆さんはすでにお気付きと思いますが、この戦記はかなりえぐめなつわりを経験した私が頑張った自分を自分で褒め称えるため&第二子が欲しいと思った時に踏みとどまれるように書き残しているものです。そのため妊娠・出産に関して特に有益な情報があるわけではありません。ご承知おきください。

あらすじ

 2024年2月末に妊娠が発覚した飯田(31)。産院での胎嚢確認後、粗方の人に報告してお祝いの言葉をもらった翌日から1日7-8回の嘔吐が発生し、理学療法士から吐瀉物製造業者に華麗なジョブチェンジを果たす。家で吐き、産院で吐き、母子手帳を取りに行って路上で吐き、旦那には「第二子が欲しければ自分で産んで」と無茶苦茶言い出す始末。何を思ったか5月に1日2回の嘔吐に耐えながら職場に復帰し1か月後さらに吐き気が悪化し再度仕事をお休みすることとなった。6月・7月とお休みをもらい、かかりつけの産婦人科の院長の神の一手(ガスター処方)により吐き気がひいたため8月に奇跡の職場復帰を果たし「私のつわりは終焉を迎えた」と思っていたがーーー?


 時は2024年8月。あらすじに書いたように私はガスター錠(実際はジェネリックをもらったためファモチジン錠)の内服により7ヶ月半まで続いていた吐き気が10段階中1-2くらいになったため職場復帰を果たした。復帰時点でちょうど妊娠後期に入っており、産休前にリフレッシュ休暇を繋げてよいとのことだったため実質休みに入るまでは5週間程度なのだが、休職の期間が長ければ長いほど育休手当が減るらしいので中途半端な期間ながら復職をしたのである。家にいても気が滅入るし。体力も筋力も落ちていく一方だし。
 もちろん妊娠後期なりに動けば動悸がするし背中は痛いし胃の圧迫感は常にありまぁまぁな貧血により鉄剤が処方され、時折迷走神経反射で倒れそうになっていたのだが、それまでずっと今にも吐くか吐かないかというレベルの吐き気と戦っていたため外出できるだけで浮かれまくりで、自転車で駅まで買い物に行く際に(※良い妊婦は真似しないでください)周囲に旦那しかいないと思って「妖!精!達がぁ!夏を刺激するぅ!生脚魅惑のマァメイドォ!」とホットリミットをノリノリで歌っていたら後ろから全然知らないお兄さんに抜かされるなどしていた。

 ところで私は産まれてくる時にそういう契約でも交わしたんか?ってレベルで人に道を聞かれ、電車で具合の悪そうな人が目の前に現れる。人に道を聞かれた回数選手権か電車内や駅のホームで目の前で人が倒れた回数選手権の全国大会があったら上位入賞できる自信がある。これを書いてる本日も子供の皮膚科受診に行く途中おじいちゃんにJAへの行き方を聞かれた。しかもこれ、後者は自分の体調がほんのり悪い時と天気が悪い時はレートが1.3倍くらいにあがるのである。不思議。
 そんなわけで復帰後の職場では1つの病棟に行くと最低1回は患者さん本人やご家族の方に「レントゲン室から病室に戻れなくなってしまって…」「自販機はどこですか?」「院内の薬局ってどこにあります?」「ここの病室から一番近いトイレってどこですか?」「ナースステーションってどう行ったらいいですか?」と声をかけられ、バカでかい病院のために口頭での説明が難しいことが多く、結果的に「ご案内します〜」と付き添って案内していたため受け持ちの患者さんの人数は平時の半分くらいなのに通勤と合わせて1日2万歩くらい歩いていた。しかし仕事が休みの日に友達と会う際なんかは相手の旦那さんが車を出して迎えに来てくれたり「手土産なんていいよいいよ!妊婦さんなんだから重いもの持たないで〜!」とお呼ばれしてもらった身で気遣ってもらってしまったり、道行く若者が買い物袋を指差して「よかったら持ちましょうか?」と声をかけてくれたりするのである。嬉しいし優しさに感謝しかないのだが、自分の平日の動き具合と妊婦としての気遣われ方のギャップがすごすぎて「す、すいやせん…へへ…」みたいな反応をしていた。

 そうして妙に歩く毎日を過ごして3週間が経った頃、後期つわりなるものがやってきた。医学的には後期つわりという用語はないのだが、胎児が大きくなって胃や腸を圧迫し逆流性食道炎が起きて吐き気等のつわりっぽい症状が出るために妊婦界隈では後期つわりと呼ばれているらしい。
 聞くところによると妊娠中期の時点で子宮の大きさは成人の頭部よりも大きいらしいのだが、私の場合初産というのもあってか中期時点ではそんなにお腹が大きくならなかったので「ここに成人の頭部よりでかいものが…?じゃあ私の五臓六腑はどこへ?外付けHD方式じゃないと成り立たなくね?」と疑問に思っていた。そんで後期は当然それよりも子宮が大きいわけで。恐る恐る断面図を調べるとこうである。

 内臓圧死しとるやん。便秘くらいで済んだらラッキーだろ。そりゃ吐き気も出るわ。え?出ない人もいるの?まじ?

 どう考えても逆流性食道炎だけでは説明がつかない口の不味さや歯磨き時のえずきや朝晩の中等度の吐き気が復活していたのだが、動けないレベルではなかったためそのまま出勤していた。ら、例のアレが発生して乗換駅のホームで若い女の子が5mくらい先でぶっ倒れた。私は電車に乗りこんだ直後で丁度ドアが閉まる直前だったので電車から飛び降りて女の子に駆け寄り(※良い妊婦は歩いて近寄りましょう)「大丈夫ですか!?」と声をかけた。5mの距離を詰める間にBLSの手順を反芻していたのだが、幸い意識はあったので「あなたはAEDを!あなたは救急車を!」はやらずに済んだ。で、こういうのは1人が駆け寄ると他の人も集まってくれるもんで「僕駅員さん呼んできます!」と男性が走ってくれ「これとりあえず私がもっときますね」と女性が散らばった女の子の荷物をかき集めてくれた。体感2分少々で駅員さんが到着し、その後1分程度で車椅子が到着し、女の子は駅員さんに運ばれていった。無事に駅員さんに運ばれていく女の子を見送った後、私は「朝から良いことしちまったぜ、へへん」なテンションで遅刻スレスレで出勤した。

 この頃までは気持ち悪いながらもそれなりに元気だったのだが、産休に入る1週間前くらいから結構えぐめの気持ち悪さと身体の怠さに襲われ、毎日「産休まであと〇日…産休まであと〇日…」と唱えながら出勤するという産休カウントダウン戦法をとることになった。
 そして産休2日前の夕方。「ようやく明日でラスト出勤だ…」と思いながら退勤ラッシュの電車を2本見送って乗り込んだ車両の優先席で気絶しかけていたら、電車の出発間際にまたしても例のアレが発生して明らかに体調が悪そうな推定年齢60歳の華奢で品の良い御婦人が乗ってきて私の目の前に立った。どの角度から見ても「間違いなく具合悪い人だ!!!」と確信を得られるであろう血の気のなさ。明らかに席があいてないかを探してキョロキョロそわそわしている。
 さすがにちょっと悩んだ。なんせ自分も吐きそうだから。
 ど、どうする…譲るか…?譲ったとして、こっから私は家の最寄り駅まで満員電車で40分立位保持できるか?いやでもこの人見るからに顔青白いしどこで降りるかわからんけど途中で倒れそうだし…。
 そこで隣に座っていた小さい女の子がYouTubeでアンパンマンを観ているのが目に入った。
 やなせたかし先生は「この世において絶対的な正義というのは少ないが、お腹が空いている人に一欠片のパンを差し出すことは間違いなく正義だろう」と考えてアンパンマンを描いたそうだ。
 明らかに具合が悪い人に電車で席を譲るのも間違いなく正義だ。最悪私は吐いても死なないがこの人は途中で死ぬかもしれない。譲ろう。
 意を決して「もしかして、体調悪いですか?よかったらここ座ってください」と声をかけた。御婦人は「で、でもあなた妊娠していらっしゃるんじゃ…?」と躊躇していたが「大丈夫です大丈夫です!」と無理やり席に座らせたところで隣の女の子のお母さんが「妊娠してらっしゃるんですか!?ごめんなさい気付かなくて!うちの子立たせるんでここどうぞ!」と私に席を譲ってくれた。
「いやいやいやそんなそんな…」
「いやいやこの子元気なので!どうぞどうぞ!」
 問答の後、申し訳なくもありがたく座らせていただくことになった。御婦人は「すみません、今日病院の帰りで…本当に助かりました」と何度も何度も頭をさげ、座っている間に少し回復したのか20分ほどで電車を降りていった。
 席を譲ってくれたお母さんは立たせた女の子に私がつけていたマタニティマークの説明をしていた。
「このマークはね、お腹に赤ちゃんがいる人がつけるの。あなたもママのお腹の中にいたんだよ。ママも色んな人に助けられてあなたが無事に産まれたの。だからあなたもお腹に赤ちゃんがいる人を見かけたら席を譲ってね」と。女の子ははにかみながら私に「元気な赤ちゃん産んでください」と言いながら電車を降りていき、私は「神様どうかあの親子に年末ジャンボが当たるよう取り計らってください」と心から祈った。

 ちょっと脱線するが、世の妊婦さんたちが「電車やバスで全然席を譲ってもらえない」と嘆いているのをX(旧Twitter)やらたまひよアプリのルームやらでよく目にしていたのだが、私は多分ものすごいラッキーでめちゃくちゃ譲ってもらう率が高かった。特に職場の最寄り駅からの地下鉄では9割くらいの確率で譲ってもらっていた。妊婦に席を譲るのは女性が多いんじゃないかなぁと勝手に思っていたのだが、全然そんなことはなく老若男女色んな人がニコニコしながら「よかったらここどうぞ」と譲ってくれるのである。中にはちょっと離れたところからわざわざ私のところまで来て声をかけてくれる人までいた。あまりにも優しすぎる。日本、まだまだ捨てたもんじゃない。

 話を戻すが、そうして迎えた産休前最後の出勤日、体調がアホみてぇに悪かった。ちょっと咳しただけで口から胃液が出そうだったのだが、職場に献上する菓子折りも買っちゃったし迷惑かけっぱなしの上司と同僚に挨拶もしたかったのでどうにか行った。自分が逆の立場だったら迷惑だなんて全く思わないが自分が休む立場だとすごく心苦しいのは何故なのか。産休クッキーなんてお洒落なもんを用意する余裕は当然ないので前日に最寄り駅の駅ビルで30秒で選んだヨックモックを持っていった。ヨックモック買っときゃ間違いない。だって美味しいもん。
 そして朝のミーティングでこれまでのお礼を述べ「お腹の子が無事に産まれて大きくなったら、周りの人たちに支えられてあなたは産まれてきたんだよと話そうと思います」と感動的なことを話し「気持ちばかりですが、スタッフルームにお菓子を置いてありますのであれを私だと思って食べてください」とかなり意味わからんことを言って挨拶を締めた。同僚たちは優しいので「食べにくいわ(笑)」と笑ってくれていた。
 業務を無事に終え、引き継ぎに抜けがないかを確認し、ロッカーを整理してから残っていた人たちにちょこっとずつ挨拶して帰路についた。HPは朝から赤ゲージだったのでもはや帰りの電車は記憶にないのだが、自宅の最寄り駅に着いてからは少し元気が出て自分へのご褒美に洋酒が入ってないモンブランを選んで買って帰った。ら、自宅に着いた瞬間色んな糸が切れたのかケーキ片手にベッドで30分ほど気を失い、夕飯を作って食べ風呂に入った後旦那の帰宅を待たずに21時には寝た。

 習慣というのは怖いもので、翌日仕事はないのに朝5時に目が覚めた。旦那はまだ寝ているのでそっとキッチンに向かい、前日に自分のために買ったケーキを低血糖予防にちょっとだけ部屋で食べながら「もう電車で吐いちゃうかもとか患者さんの前で気持ち悪くなったらどうしようとか思わなくていいんだ…いいんだよ…!!たった5週間だったけど頑張った…!今回は引き継ぎもちゃんとした…!具合が悪くても人に優しくあろうと思えた…!偉いぞ私!!」と自分を褒めちぎり、もう妊娠中に満員電車に乗らなくていい喜びでぼろぼろ泣いた。当然その日は二度寝した。

 これを書いている今、10月に産まれた娘はすでに生後4ヶ月である。産まれてから本日に至るまで娘が可愛くなかった日が1日もないので「去年の私頑張ってくれてありがとう〜!おかげでこんなに可愛い子に会えました〜!」「この可愛くて尊い子を産んだのはだぁれ〜〜〜??はぁーーーーい!わたしわたし!私でーーーーす!」と思いながら毎日生きている。あまりにも可愛いので旦那に「つわりの記憶が抹消されたら第二子を考える」と言って「やめときなよ。第一子でつわりが重かった人は第二子でさらに重くなるらしいじゃん。今度こそ死ぬよ」と止められている日々だ。
 この後の話は「出産戦記」と題して娘が昼寝している隙を狙って書けたら書くのだが、先に言っておくと私は陣痛よりもつわりの方が圧倒的に辛かったのであんまり気持ちが入らない可能性が高い。故に相当遅くなるかもしれない。もしも私なんぞの書いた記事を楽しみにしてくれている方がいらしたらすみません。

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