つわり戦記
このつわり戦記はゲロ戦記と読み替えても差し支えない程嘔吐表現があります。苦手な方はお控えください。
今年、自分の誕生月になんと子供を授かった。
ものすごく子供が欲しかったかというとそういう訳ではない。
なんなら結婚前に旦那に「私子供を産みたいとも育てたいとも思ったことないから、私と結婚すると子供を持たない人生を送る確率がぐっとあがるよ」とまで言ったことがある人間である。
でも子供が嫌いかと問われるとそういう訳でもない。
仕事はNICUで毎日生まれたての赤ん坊をこねくり回していたし、友達の子供もめちゃくちゃに可愛がっている。
ただ産む覚悟と育てる覚悟、もっと言えば一人の人間に対して圧倒的責任を負う覚悟が全然なかったし「私なんぞが親になってしまったら子供があまりに気の毒」というネガティブを拗らせすぎた末に生まれた謎の自信があった。
仕事は忙しいけど楽しいし、友達と遊ぶのも楽しいし、旦那とふらっと外食しに行ったり旅行に行ったりするのも楽しく「幸せだからこのままでいっかー」なんて思っていたら、いきなりものすごい誕生日プレゼントをいただいてしまったのである。
2月末に妊娠がわかって、産院で「おめでとうございますー!」とお医者さんや看護師さんや受付のお姉さんに祝われ、SNSで報告して祝われ、LINEで報告して祝われ、まあ粗方の人には祝ってもらったなと満足した翌日から1日7-8回の嘔吐が始まった。1回の嘔吐の程度としてはケポッと一口大の胃酸を戻すとかそんな可愛いレベルではなく、ゲヴォェビシャアアアッとかいう効果音が適切と思われるような、比喩するなら滝とかマーライオンみたいな吐き方なのだ。胃の内容物全部持ってかれる。最中に誤って咳をすると鼻から吐瀉物が噴き出るので同じような境遇の方はぜひ注意していただきたい。まじで痛い。
実は生理予定日が過ぎて1週間経った頃あたりからつわりらしきものはあった。炊き立ての米の香りでえずいたり、出勤途中でえずいたり、歯磨きでえずいたり。それでも嘔吐には至らず、どうにか寸でのところで飲み込んで仕事はできており、ちょうどその頃妊娠検査薬で陽性が出たため「これがつわりか~」と納得し「このくらいなら耐えれるな、よしよし」と思って舐めていたらそんな事態。
吐きづわり、食べづわり、よだれづわり、匂いづわり、喉つわり、痰つわりを併発しており、特に喉つわりは常時首を締められているような苦しさと喉の違和感があって呼吸することすら辛かった覚えがある。普段はこれでもかという程寝れる人間なのに何故か眠りつわりだけは唯一なく、こんな状態だと寝ている時間が最も幸せなのだがむしろ不眠に陥っていた。
水を飲めば吐き、ご飯を食べれば吐き、ゼリーを食べても吐き、ちょっと旦那が面白い冗談を言った時に笑って腹圧がかかり吐き、咳をしては吐き、くしゃみをしては吐き、寝返りをして吐き、あくびをして吐き、うがいをして吐き、歯磨きで吐き、冷蔵庫を開けては吐き、料理を試みては吐き、風呂の湯気で吐き、吐くものがなくなったと思ったら何故か胃酸を吐き、最終的に胆汁らしきものの風味を味わった。そして別に吐いても楽にはならない地獄。
「これ赤子に栄養いってんのか?」と純粋な疑問が沸いて調べたところ初期は母体が栄養を取れていなくても卵黄嚢というものが胎児の栄養になってくれるらしいので水分さえ取れていればとりあえず大丈夫らしい。
しかしながらそんな状況だったので安定期に入るまで職場には報告しないなんてこともできず、嘔吐の合間に自宅のトイレから上司に泣きながら電話をした。
年度末という最高に忙しい時期に貴重な人員が1人減るにも関わらず上司は激務をこなしながら「おめでとう。体調は大丈夫ですか?つらい時期だと思うのでゆっくり休んで元気な子を産んでくださいね」と優しい返事をくれて、私はそれでも泣いてしまい、嗚咽で腹圧がかかって電話をミュートにして吐いた。
職場への連絡を終えた頃にはすでにリビングやキッチンの旦那が食べたものの残り香や普段は気にならない程度の排水溝の香り、戸棚にしまってあるはずの油の香り等で吐いてしまっていたため1日の大半を自分の寝室で過ごしていたのだが、何故か絶望的なタイミングで部屋のエアコンのリモコンが壊れ空調が効かず、しかも妊娠初期なので体温は常に37℃台であり常温であっても寒気がしていた上に時は運悪く3月の寒波が来ていた時期だったため、もこもこのルームウェアを身に纏った上で羽毛布団に包まってもガタガタ震えながら過ごしていた。そして風呂の湯気でも吐くため湯船に浸かってゆっくり暖まるどころか浴室に入るにも相当な覚悟がいる状態であり、さらに重ねて温かいものは100%吐いてしまい(もはや吐くというより気持ち悪すぎて飲み込めないし飲んでもすぐ出ていく)、冷たいものの方がまだ飲み込むことができるという嫌がらせのようなつわりの発生状況で暖をとる手段がものすごく限られていた。「寒いよ〜〜〜〜あったかいもの食べたいよ〜〜〜〜ひもじいよ〜〜〜〜」と布団にくるまってめそめそするのだが嗚咽レベルの号泣をすると吐くことがわかっているので静かに枕を濡らすことしかできず、大泣きしてストレスを発散するという手段も封じられ精神は蝕まれる一方だった。
水を飲むと吐くので氷を口に含んでゆっくり溶かして水分を取り、全然食べたくもないアイスをちまちま舐め、一口分のフルーツをかじり、8枚切りの食パンを1時間かけて食べ、すごく運がよければ吐かないのでワンチャンスにかけて消化を促すために都度右側臥位を取り、夜は午前4時くらいまで吐くなり吐き気で苦しむなりして空が白んできた頃に震えながら気絶するように眠り、運がよければ朝10時頃に起き、悪ければ6時頃起きてまた吐くという生活が1週間続いたところで体重が4㎏減った。そこでようやく「さすがにこれは子供産む前に生命活動が途絶える」と思って旦那に付き添ってもらって妊娠確認をしてくれた病院にタクシーで向かうことにした。「うっ」となってからノータイムで吐いてしまう傾向にあったため、ファミマの袋を両耳にかけておきたかったがさすがにアレかと思い止まり袋は開いた状態で手に持って行った。
予約制の産院だったがありがたいことに無予約でも診てもらえた。しかし当然予約しているよりは待ち時間が長くなってしまう。私はもうその頃には身体を縦にしているのがめちゃぽんにキツく、椅子にまっすぐ座れない状態だったため旦那か壁に寄りかかって呼吸することだけに集中していた。うつろな目で「全集中つわりの呼吸」とぼそっとつぶやいたが旦那には無視された。
30分経った頃に限界がきて、奇跡的にノータイムで吐かなかったため、看護師さんに断りを入れて産院のトイレで吐かせていただいた。吐くといっても胃にほぼなにも入れていないため胃液しか出ないのだが、その胃液も分泌過多だったのか「あれ?私の胃液多すぎ?」と思えるレベルでざばざば出た。トイレ内で吐瀉物に血が混じっているのを見てさすがに心がばっきばきに砕け「私まじでこのまま死ぬかもしれないのか……悲しいな…いや、そんなことない、周りの人に恵まれたいい人生だった!好きな友達と遊んで好きな仕事をして好きな人と結婚して毎日幸せだった!悔いはない!悔いはない!」と吐きながら自分に言い聞かせ、涙なのか鼻水なのかわからない液体で顔をぐちゃぐちゃにしながら綺麗に磨かれたトイレの床に正座している私の元に、旦那の代わりに看護師さんがどこからともなくわらわら出てきて「大丈夫ですか?」「下着緩めましょうか?」「これいつでも吐けるように持っててください」「お名前伺っていいですか?診察早められるか確認しますね」「脈は正常です」「めまいはあります?」とあれよあれよという間に入れ替わり立ち代わり私の状態を確認し、胃酸で喉が焼けたのか碌に声が出ず返事ができない私の背中をさすって世話を焼いてくれていた。一旦嘔吐の区切りがついたためどうにかトイレから出てひさびさに鏡を見ると、冷蔵庫の奥地から発見されたいつのかわからないしなびたもやしのような顔色をしていた。
その10分後くらいに診察の順番が来た。たぶん産院の温情で診察をちょっと早めてくれたのだと思う。医師からは「妊娠悪阻(にんしんおそ。妊婦100〜200人に1人くらいの割合がなる。飢餓、脱水に起因した臓器不全や電解質異常が生じ命の危険があるため点滴通院や入院管理になることもある)の一歩手前くらいだね」と言われた。
「こんなに吐いてるのに妊娠悪阻ではないのか…」と内心思ってはいたのだが、後に尿検査と血液検査の結果を見る限り数値は全部正常範囲内だった。明らかに尿量は減ってるのに、成分は何ひとつ異常なし。元が健康すぎて全然死にそうにない。こんなに吐いてるのに意味わからんけど、この結果見ちゃそりゃ医師も妊娠悪阻ですとは言えないだろう。
嘔吐の回数的には異様なレベルで吐いてたのでもしかしたら交渉次第では入院できたのかもしれない。でも病床確保さえできれば助かったであろう命をこれまでいくつも見てきてしまっていたため、私が限りある病床のひとつを奪って見ず知らずの人とそのお腹の子供を殺してしまうかもしれないという恐怖が勝ってしまい、とてもじゃないけど入院させてくださいとは言い出せなかった。数字だけ見ればド健康だし。
錠剤の吐き気止めを飲むための水も吐いてしまうため、結局その日はぶっとい針で静脈に直接吐き気止めと水分とビタミンB6を打ってもらい、粉タイプの漢方を出してもらって帰宅した。
粉末タイプの漢方がわりと効いて7-8回あった嘔吐は3-4回くらいに治まった。錠剤だと一定量の水を含んでごっくんしなければならないが、粉だと水に溶かして舐めるようにちょっとずつ飲めるのでありがたかった(ただし死ぬほど苦くてまずい)。注射も6時間くらいは効果があったけれど、結局夜には吐いてしまっていたためそう何度も打ちにいくことはなかった。
この頃には「もう二度と妊娠はしない」と固く心に誓っており、旦那にも「第二子が欲しかったら自分で産んで」と無茶苦茶なことを言っていた覚えがある。
残念なことにこれがまだ妊娠6週での出来事で。
この時点で私のグーグル履歴は「つ」と打つだけで「つわり 食べ物」「つわり 楽な姿勢」「つわり いつまで」「つわり しんどい」「つわり 楽になる方法」「つわり 血液検査」「つわり カリウム」「つわり 死亡率」といったように、つわりに関する検索履歴が予測表示されるようになっていた。しかも1回調べて納得しているにも関わらず辛すぎて同じ内容を狂ったように繰り返し調べていたのでもしもグーグルが感情をもって喋れていたら「何回調べても変わんねーよ、いい加減にしろ」と怒られていたことだろう。
つわりは一般に胎盤ができあがる15-16週まで続くとされているため「あと10週間もこの状態で…?」と調べる度に絶望の淵に立たされ、しかもピークは8-12週とか書かれちゃってるのである。
今がピークじゃなかったらなんなの?とびくついていたら、本当に8-12週あたりがピーク・ゲボン・ア・タイムであり、吐き気止めで吐く回数はきっと本来より多少抑えられているものの「想像しうる最悪の吐き気を10とすると今いくつですか?」と聞かれたら「20!!!!」と半ギレで即答するような吐き気に襲われていた。
「これまでで最高の味と香り!」「去年の出来をさらに超える!」と毎年過去最高が更新されていくボジョレー・ヌーヴォーの宣伝文句のように「これまでで最高の吐き気!」「先週の吐き気を遥かに超える!」といった具合に私の吐き気のピークも日々更新されていった。
そんな中、心拍が確認できて2週間経ったから母子手帳を取りに行けとか無慈悲なことを言われるのである。母子手帳は住んでる地域の役所とか保健所とか保健福祉センターとか名前がついてるところに取りにいく必要があって(妊婦さんは地域によって異なるので調べてね。場所によっては代理受け取りができるはず)、なんとセットで保健師さんの話やら助成金の説明やら地域の子育て支援の話やら諸々聞かなきゃいけないのである。
こ、殺してくれ…。
こっちは職場に提出する診断書をPDF化するために徒歩2分のコンビニ行って帰ってくるだけで2回吐いているのだ。どう考えてもこの時期に母子手帳を自ら取りにいく仕組みにしたやつが妊婦のことを何もわかってないばっきゃろーなのだが、物心がついてからもうかれこれ20年以上もどうにかギリギリのところで社会に適合しながら生きてきてしまっているため今更無敵の人にはなれず、心持ちとしてはおむつ一枚で路上で暴れ出したいところをぐっと堪えてタクシーで母子手帳を取りに行った。案の定保健師さんの話は吐き気に襲われながら聞いていたため最初の5文字以降は何ひとつ頭に入らず、帰り道では不運にもタクシーが捕まらず、よれよれ歩いて帰り途中道端で吐いて親切なおばちゃんに救急車を呼ばれかけた。
どうにか魔の12週を切り抜け、14週あたりで妊婦検診にいったところエコーで「胎盤できあがってきていますよ~」「だいたい16週くらいでつわり終わるはずなので、もうちょっとですね」と医師から説明があった。
渾身のガッツポーズである。ピークを越えたとはいえまだまだ吐いていた私にとってその言葉は大きな希望となった。元々目の前に人参がぶら下がっていないと頑張れないタイプの人類なのだが、人参さえぶら下がっていればそれなりに頑張れるので「胎盤がちゃんとできてきてんなら、本当に世間一般にいう安定期(16週以降)に入ったところでつわり終わりそうじゃん!うれしー!頑張ってよかった!」とタカを括り、さすがに3月・4月と丸々2か月も仕事を休んでいたため5月上旬(たしか15週と2日あたり)から仕事復帰を決めた。
これが愚かだった。
終わらないのである。つわりが。
とりあえず自分の体力の衰えがすごかったためGW中に1日30分くらいの散歩をはじめ、電車に乗る練習をし、片道2時間かかる職場の始業時間に間に合うように朝5時に起きる練習をし、いざ出勤!というところで家を出る直前に盛大に吐いた。
自分のリハビリ中も薄々わかってはいたのだ。全然吐いてんなって。
でももう復帰するって言っちゃった手前、目をそらし続けて「いやもうこれはメンタル的な問題では?」「久々に仕事行くから緊張して吐いてんじゃない?HAHAHA☆」と自分をごまかしていたが、久々に出勤するくらいでは私のメンタルは影響を受けない上にメンタルが吐き気に直結するタイプでもないことは30年も生きてりゃわかる。
それでも行けばなんとかなるんじゃないかと淡い期待を胸に抱いて「とりあえず直近で胃に入れたものは吐き切ったから吐き気が来てももう胃酸くらいしか吐くものないし、電車を止める事態にはならんだろ」と駅まで行き、最悪いつでも降りれるように各駅停車の電車に乗り込み30分経ったところで白旗を揚げた。
吐き気どころか眩暈と動悸が半端なく、電車の座席で座位保持ができなかったので転がるように電車を降りて一回も降り立ったことのない駅のホームの椅子の前に倒れこんで突っ伏した。各停しか止まらない駅なので人も疎らで駅員も居らず、唯一隣の椅子に座っていた大学生らしき女の子はノイキャンイヤホンを両耳にはめてスマホをいじっておりこちらに気付く様子もなく、かといってノイキャンを突き破れるほどの声は私の声帯からは出ず、脚にも力が入らないので近づいて助けを求めることもできない。
「やばい。最悪自分で救急車呼ぶしかねえ」
決心して10分ほどその体勢で休んでいると、とりあえず動悸と眩暈は治まって動けるようになったため職場に連絡を入れてその日は有給をとらせてもらった。
やめときゃいいのに懲りずにその翌週から特急列車通勤を始めた。私が使っている路線では課金すれば確実に座れてトイレもある特急に乗れるシステムであったため、いつでも吐けるという安心感を手に入れられたのだ。意外にも早朝を乗り切ってしまえば吐き気は10段階で3-4くらいあるものの17時くらいまでは吐きはしないため、翌週からはどうにか働けてしまったのである。しかし特急料金は当然通勤手当に含まれないため余裕の自腹であり、しかも出勤しなくても病気休暇で休んでいる間は90日まで給与は満額出る仕組みであったため、出勤すればするほど金が減るという「お前なんのために働いてんの?」という状態だった。
職場の同僚は全員天使の生まれ変わりかなんかなのかと思うレベルで優しいので「大丈夫?」「顔色やばいよ、まだ休んでてもいいんじゃない?」「きつかったら代行いくからね、いつでも早退してね」と代わる代わる声をかけてくれ、科のトップの医長は女医さんで「いやー私もつわりきつかったから分かるよ~。頑張ったね。無理しないでね」といたわってくれていた。
本当は5月中旬あたりから10週間実習生をメインで担当するようにスケジューリングされていたのだが、私がいない間に「そんなことさせたら飯田が死んでしまいます」と複数人が上の人に申し出て担当を代わってくれたらしく、6月から8週間サブ担当でいいことになっていた。チームのリーダーさんは私の患者人数と患者さんの重症度を調整し、負担がないように頑張ってくれ、代わりに新人さんの教育担当をしていたのだがその新人さんも昨今の新人の中ではトップクラスで優秀なうえに人格的にも非常に優れ気遣い上手で私の負担は非常に軽かったと思う。そんなわけで上司にも同僚たちにも今後一生頭が上がらないし足向けて寝れないのだ。
しかしながら朝晩は吐いているため1日の摂取カロリーはどれだけ頑張っても1000kcalにも届かず、基礎代謝分も補えていない。固形物よりも水分の方が吸収率がよいため、飲み物もできる限り高カロリーなものを買って血糖値が急にあがらないようにちみちみ飲んだりカルテを打ちながらちっちゃいおにぎりをかじったり工夫はしていたのだが、本来妊婦が増えるべき体重がまっっったく増えないのである。
挙句低血糖を起こして吐き気が悪化し、5月中は度々時間休や1日休をもらっていた。どの角度から見ても担当している患者さんよりも私の方が体調が悪いので重大なインシデントを起こす前に休むのが100%正解なのだが、普段はただの風邪はめったにひかない故に出勤停止となる感染症やフジロック参戦くらいでしか仕事を休まない人間だったため休みなれておらず、しかも先程も書いたが私の職場では病気休暇扱いで休んでいる間も90日までは給与が満額出る仕組みになっているために「働いてないのにお金だけもらうわけには…」という気持ちと2か月も優しい同僚たちに休んでしまった分の負担をかけていたことも相まって申し訳なさがすごすぎて気力だけでどうにか仕事をしていた。これが例えば私の給与がちょっと引かれる代わりに開けた穴をフォローをしてくれている同僚の給与が上がる仕組みだったら遠慮なく休んでいたと思う。
しかし体調はそんな状態なので仕事は長くは続かず、結局つわりの症状がぶり返して再び訳わからんくらい吐くようになり、妊婦検診でお医者さんと助産師さんに体重が全然増えていないことを大いに心配され「まあ中には産むまでつわりある人もいるから…」となんの励みにもならんコメントをもらい、6月いっぱい再びお休みをいただくこととなってしまった。あまりにも愚か。
でも(これは言い訳になってしまうけれど)、もう数ヶ月単位で吐き続けて人と碌に話していないと感覚が麻痺してくるのだ。日平均7-8回の嘔吐を経験した後に1日2回しか吐かないと「おっ今日調子いいじゃん」となるのである。本来であれば1回でも吐いていたら全然異常なのだが、もはや胃の噴門が機能しているのかすら怪しい状況下に数か月身を置いていると何が正常かすらわからなくなってくる。元の体調など微塵も思い出せない訳である。
精神を保つために脳内に飼っているイマジナリーハム太郎に毎日「明日にはつわり終わってるかもしれないよねっハム太郎」と話しかけると最初は元気に「へけっ」と返事をしてくれていても2か月も経つと「知らないのだっ」と返事をしてくれればいい方で最終的にはこちらを見ることもないぬいぐるみのようなハム太郎が完成してしまうのだ。このイマジナリーハム太郎が実は普段は結構優秀なやつで、多少むかつくことがあっても「落ち着くのだっ相手は感情的になってるけど言ってる内容はまともなのだっ」とか「もしかしたらこの人の態度が悪いのは具合が悪いからなのかもしれないのだっまずは体調を聞いてみるのだっ」と第三者としての意見をくれるため普段はこいつに客観視を丸投げしているのだが、所詮はこのハム太郎も私の脳細胞と直結している存在なので、こんな状況ではもう自分を客観視してくれる存在はいないのである。旦那がいるだろというツッコミが来そうではあるが、旦那は旦那で私が毎日吐いていることに慣れてしまい私の顔色がアースカラー(土色)であることがベースになってしまっているので、もはや多少顔が青白い程度では「今日元気そうじゃん」くらいのことを平気で言う始末であり、そもそも私の方が家を出る時間が早く朝は顔を合わせないうえに毎日残業で21時くらいに帰ってくるため私が吐きながら作った雑なご飯を食べる頃には疲れとストレスで知能指数が地の底まで下がりきっていて全然当てにはならなかった。
冷静に考えればこれから妊娠をするかもしれない同僚やまだ見ぬ後輩がいざ激やばつわりだった時に吐きながら仕事をしていた人がいるという変な前例ができてしまっているとその人が休みにくくなってしまうので、他の人のためにも先駆けて「つわりがやばければ遠慮なく休む」という前例を積極的に作っていった方がきっと優しい世界になること間違いなしである。だから同じ目に合っている人には積極的に休んでほしいし、今後私が上司になったらそんな目にあっている部下は積極的に休ませると思う。
そして至る現在。来週ようやく7カ月を迎える。
本当にびびるくらいつわりは終わらないけれど多少楽にはなってきており、夜な夜なおかんに泣きながら電話をしたり、優しい友達が超可愛い1歳児を連れてお見舞いに来てくれたり、ラインで励ましのメッセージがあちこちから来たり、義母が大量の差し入れをくれたり、同じ時期に出産予定の妊婦さんたちからの暖かい言葉と共感等々により支えられどうにかこうにか生きている。特に旦那は仕事が激務でも疲労で頭がぱっぱらぱーになっていても私が吐き続けて家事が何もできなかった間は掃除洗濯炊事すべてやってくれていたし、まじのピーク時にトイレに間に合わず洗面台や風呂場で吐いてしまった時は嫌な顔ひとつせず吐瀉物を片付け、おそらく見れたもんではなかったべしょべしょの顔で「ごべんねえ」と泣きながら謝る私の背中を優しくさすって「なんも気にせんでいいよ、よく頑張ってるね。えらいね。一生懸命お腹の中で子供育ててくれてありがとうね」とか「俺が吐いてたら同じことしてくれるでしょ。お返ししてるだけだよ」と声をかけてくれていたので、その点に関しては本当に頭が上がらない。うちの父親なんて出産直後の母にかけた最初の一言が「俺の方がうまく産める」だったらしいので、パスみがすごい父と比べてしまうのは失礼だが本当によくできた旦那だと思う。たまにひとりでゲームをしながら「ふざけんなよ!!!」とキレて台パンをして私に「おめーがふざけんなようるせーよ!!!」と三倍くらいの勢いでキレられている点を除けば本当に良い旦那だと思う。あと何千回言っても脱いだ衣服をかごに入れないとこ。入れろ。
まあ夫婦における妻から旦那に向けられる感情なんて「この人と結婚してよかったー!らぶ!」と「こいつどうにかして来週の廃品回収に出せねえかな」が交互に来るもんだと思っているので、割合が5:5程度なら十分なのでしょう。私がそもそも大した人間ではないのだし。
妊娠超初期には「旦那さんと二人きりの時間を大事に過ごしたいな」とか「ベビーグッズ見るの楽しみ」とかいろいろ考えていたのだが、もはやここまで来ると「とりあえず産むまで生きる」が目標になっているので、残り4か月も生きることを目標にしていく所存である。つーかそれが限界。生きてるだけで盛大に褒めてくれ。
最後につわり中の私の哀れな発言をまとめた画像を見ていただき、この場を締めたいと思います。それではどうぞ。