エビデンスを超えて:
臨床経験が示す治療の実践と信頼
LCA(ライフコンパスアカデミー)では、長年のセミナー活動を記念してシンポジウムを開催する計画があり、多くの業界関係者の参加を促すため、先日、LCAの実行委員があるカイロプラクティック団体幹部に協力を依頼しました。しかし、「エビデンスがないので協力は難しい」という返答がありました。その返事に驚き、「えっ」と思いましたが、しばらく考えて、「エビデンスという言葉に翻弄されて、大切なことを見失っているのではないか」と疑問に思いました。直接聞いた話ではなかったので、その背後にある事情はわかりませんが、協力できない基本的な理由は「エビデンスがないから」ということだったようです。どのような思想や哲学を持ってカイロプラクティックに関わっているのか、エビデンスに対する過度な依存が本質を見失わせているのではないかと心配にもなりました。
そもそも、カイロプラクティックの思想や哲学を理解してカイロプラクティックを牽引しているのか、西洋医学の思想や科学的哲学に基づいてカイロプラクティックをその中に組み込もうとしているのか、疑問です。カイロプラクティックの創始者であるD.D. Palmerは、著書『The Science, Art and Philosophy of Chiropractic』(1910年)において、カイロプラクティックを「サイエンス(科学)」「アート(芸術)」「哲学」という3つの領域で説明しました。これは、カイロプラクティックの包括的な性質を示し、西洋医学との比較や区別を意図していたと考えられます。以下の3つの領域について解説します。
サイエンス(科学):
科学の分野では、カイロプラクティックの理論的基盤や技術的側面を説明するために、科学的な用語や概念を使用しました。解剖学や生理学に基づく理解は、カイロプラクティックの信頼性を高めるために重要でした。西洋医学と同様に、科学的根拠に基づいていることを示すことで、カイロプラクティックの正当性を強調し、医療コミュニティ内での受け入れを目指しました。当時の「科学的根拠」という概念と、現代で使われている「科学的根拠」という概念は大きく変わり、合理性や客観性が求められ、数値的なエビデンス(根拠)を示すことが重視されるようになっています。
アート(芸術):
芸術の分野では、カイロプラクティックの実践には、個々の患者に応じた手技や調整技術が重要であり、これを「アート」として表現しました。科学的な知識だけでなく、経験や直感、技術的な熟練度が必要とされることを強調することで、カイロプラクティックの実践が単なる技術以上のものであることを示しました。このアートの分野は、視覚的や数値的に示すことのできない主観的、感覚的な領域であり、科学とは対照的な分野になります。現代では「質的研究」という統計学的手法で、主観的解釈のデータを分析する研究があり、客観的かつ科学的方法であると考えられています。
フィロソフィー(哲学):
哲学の分野では、カイロプラクティックの基礎には、身体の自然治癒力を尊重し、全体的な健康を重視する哲学的な視点があります。この視点は、西洋医学の病気治療中心のアプローチと対照的です。哲学的な枠組みを通じて、カイロプラクティックが人間全体の健康と福祉を目指す包括的なアプローチであることを強調しました。
D.D. Palmerがこれらの3つの領域を用いてカイロプラクティックを説明した背景には、西洋医学との違いを際立たせる意図があったと考えられます。彼のアプローチは、カイロプラクティックが単なる西洋医学の補完医療ではなく、独自の理論と実践を持つ包括的な健康アプローチであることを示すためでした。このようにして、カイロプラクティックの多面的な性質とその価値を広く理解させることを目指したのです。
筆者がエビデンス・ベースド・メディスン(Evidence-Based Medicine)という言葉を初めて聞いたのは30年ほど前で、パーマーカイロプラクティック大学在学中で卒業間近のときだったと思います。Evidence-Based Medicineは日本語で「根拠に基づく医療」と訳されます。当時、ランド研究所の研究者がパーマー大学で講演を行いました。ランド研究所(RAND Corporation)は、カイロプラクティックの治療効果に関する大規模な調査を実施し、特に腰痛に対するカイロプラクティックの効果を評価することを目的としていました。
調査方法は無作為化比較試験(RCT)で、非常に信頼性が高いものです。ランド研究所自体も、長い歴史を持つ世界的に信頼されている研究機関として認知されています。この研究所の評価により、カイロプラクティックの治療は急性腰痛に対して効果的であることが示されました。さらに、中等度の腰痛患者にも一定の痛み軽減効果が認められました。また、治療の安全性についても、大多数の患者においてカイロプラクティック治療は安全であり、重大な副作用は報告されていないとされています。
ランド研究所の調査以降、カイロプラクティックに関する研究はさらに進み、腰痛以外の症状にも有効であることが示されています。しかし、カイロプラクティックの治療効果については依然として議論があり、継続的な研究が必要です。この研究成果をきっかけに、カイロプラクティックやその他の施術業界でも、Evidence-Based Medicine(EBM)という言葉が学術的用語として広まりました。現在、全米の主要なカイロプラクティック大学には研究室があり、大学院生や博士号取得を目指す学生が研究に取り組んでいます。
20年ほど前、米国で行われたアクティベータメソッドのカイロプラクティックのカンファレンスで、ある宇宙物理学者の教授のプレゼンが今でも記憶に残っています。その教授は第一線で活躍している研究者でしたが、カイロプラクティックに関する研究についてコメントを述べていました。カイロプラクティックに限らず、生きた人間を対象とした基礎研究は非常に難しいと述べていました。「なぜなら、研究には一貫性と再現性が必要ですが、生きた人間を同じ条件で再現性を担保して実験するのはほぼ不可能だからです。」この説明には納得しました。
筆者自身もEBMの重要性は、対外的な信用を得るために大切だとは理解していますが、西洋医学とは異なる思想を持つカイロプラクティックや東洋医学を臨床現場で活用している治療家としては、何かスッキリしない感覚も持っています。世間一般的な医療の主流として、西洋医学を信奉している人がほとんどです。それは、科学的根拠とされるEBMに基づいているからです。そのような潮流があるために、科学的な根拠に基づく西洋医学が「善」で、それ以外の医療行為は「悪」であるかのように二元論的に捉える人も少なくありません。
そのような世界の潮流に沿って、カイロプラクティックをはじめとするその他の代替医療もEBMを重要視する傾向があります。感染症や毒物などの外因の影響による病気の診断には科学的な根拠が必要なことは言うまでもありません。しかし、慢性症状などの治療効果を示すために、最初から科学的な根拠を示さなければ治療ができないというのは現実的ではありません。
東洋医学に基づく鍼灸治療やカイロプラクティックが世界的に発展してきた背景には、最初から科学的根拠に基づいて発展したわけではなく、長年の個人の臨床経験に基づいて発展してきたという歴史的事実があります。現代ではさまざまな研究手法が発展しており、効果の具体的なメカニズムを科学的に実証できなくても、治療効果を大規模な調査手法を使って、量的にも質的にも客観的に証明することはできます。
臨床現場での治療研究も個人レベルで行われており、筆者自身は毎日のように臨床研究を行っています。科学的証明というレベルには程遠い研究ですが、できる限り客観性と再現性を重視して、さらに効果のある治療法の開発に努めています。効果のある治療法はセミナーで公開し、他の臨床家に使用してもらい高評価を得ています。数値的なデータは取っていませんが、毎年、毎月、確実に進化しています。筆者がセミナーでいつも大事にしているのは、実践で治療効果を受講者に示すことです。参加されている臨床家の方から、実際に症状を抱えている方をセミナー受講者の前で治療し、その治療効果を示します。その治療効果は患者の主観であり、客観的な検査手法で治療前と治療後を比較して示します。科学的証明というよりも、実践的証明を大事にしています。
そのようなプロセスを毎年経験して治療法を進化させている筆者にとって、EBMに基づいた治療という言葉には、科学的で最先端の学問を行なっているかのようなイメージがある一方で、臨床現場では、科学的な証明がされてから「その治療法を使用する」のでは、時代遅れの治療法を使っていることになります。「科学的に証明された治療法だから信用してください」という考えは理解できますが、それよりもさらに進化したレベルの高い治療技術を使って困っている患者さんをその場で改善し、結果を出して信頼を得ることが重要ではないでしょうか。
科学という「証明されたデータ」に基づくことは大切ですが、自然治癒力を引き出すことを基本に治療を行っている治療家は、現代医療とは異なる思想や哲学を持って、現場の患者さんのニーズに心から寄り添い、それに応えることが重要です。西洋医学の思想を基本とする治療家にとって、EBMを無視することはできません。しかし、自然治癒力を基軸としている代替医療の治療家が西洋医学の思想で治療をしても、西洋医学を超える治療効果は期待できないでしょう。
代替医療の治療家は、西洋医学の盲点や隙間を埋めるような、さらに西洋医学が不得意とする領域に目を向けるべきです。西洋医学と同じ思考ラインでEBMに基づいて治療することは、西洋医学を補完するにとどまり、それ以上の治療効果を期待することはできません。また、新たなEBMが登場するまでの間、思考が停止してしまうことにもなります。
日々、臨床現場でさまざまな治療法を開発し、進化させている筆者にとって、臨床経験に基づく治療結果が何よりの信頼であり、非科学的だと揶揄されることもありますが、その治療効果に基づいて患者さんが頼りにしてくれていると感じます。科学的証明があるから来院する患者さんはごく少数であり、むしろ、西洋医学の治療に期待が持てないために、自費で治療院に来る方が多いのです。しかし、だからと言ってEBMを軽視しているわけではありません。長い目で見ると、業界の発展やさらに多く方々からの信頼を得るためには治療効果の科学的証明は重要です。筆者自身も、大学の研究者と協力してその治療効果を科学的に証明する努力を続けています。
ちなみに、LCAで開催しているアクティベータ・メソッド(AM)は、カイロプラクティック業界でも最も学術研究が行われているテクニックの一つであり、研究分野をリードしています。もちろん医学業界と比べると、提出されている論文の数はごく少数です。しかし、医学は薬剤中心の医療であり、薬剤研究の論文と比較するのは適切ではないと考えています。LCAで開催している心身条件反射療法(PCRT)は、最近、国立大学との共同研究で取り上げられ、大学の研究者の方により論文が発表されました。この研究は心理的要因も絡んだ内容であり、学術研究としては非常に難易度の高い課題でしたが、高いレベルで論文がまとめられました。施術業界としては画期的な研究発表だったと思います。このように、LCAでは科学的研究も等閑にせずに活動しています。
日頃から客観性を高めるための臨床研究として、自然治癒力やホリスティックな療法に対する研究理論を説明するために、「演繹法」と「帰納法」に基づいて、以下のように説明できます。西洋医学を主とした科学的証明には程遠い理論かもしれませんが、原則的にPCRT(心身条件反射療法)を活用している臨床現場では辻褄が合う理論です。
演繹法: 一般的な原則から具体的な結論へ
• 「自然治癒力」は平等に備えられている
• 「心」と「身体」は繋がっている
• 「神経系」は伝達する
• 「気」は循環する
• 身体刺激は身体反応を示す
帰納法: 具体的なデータ(PCRTの臨床データ)から一般的な法則へ
• 生体エネルギーブロック反応が消失すると、症状が改善・消失する
• 骨系の生体エネルギーブロック反応は骨部位に沿って症状を訴える
• 空間ブロック生体エネルギーブロックはその消失に伴って症状が改善する
• 腰部軟骨系の陽性反応がある場合、座位姿勢から立ち上がるときに腰痛症状が出やすい
• 無意識の誤作動記憶の内容に納得感があると改善率が高い
結論として、科学的根拠に基づく医療は重要ですが、個々の患者のニーズに応じた治療法の探求と応用も同様に重要です。カイロプラクティックや東洋医学などの代替医療は、長年の経験と実績に基づいて発展してきました。現場の臨床経験を重視し、実際の治療効果に正面から向き合って、患者の個別の状況に応じた柔軟な治療を行うことが、最終的には患者の信頼を得るための鍵となるでしょう。