山際の向こう、2秒の先に(2) そこで外来にいた
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【グランドオープニング(8分35秒~)】
堀向健太は首都圏在住であるため、東京のスタジオでの収録となった。
これに対し、SNS医療のカタチの残り3名は、それぞれ京都・京都・蝦夷にそれぞれ住んでいるため、いずれもネット接続。
ほむだけが正真正銘のナマ配信。
ほむが医師側の代表。
ほむは孤独なオープニングアクターだ。
緊張が走る。
浅生鴨「まずは一番そちらに座っているほむほむ先生」
ほむ「こんにちは。小児アレ 小児アレゥィ科医のほむほむと言います」
ぼく(言えてねぇ……)
浅生鴨「大塚先生は京都ですね」
大塚「」(一瞬口だけが動く映像)
大塚「すごいいい天気ですよ京都は」
ぼく(名前の部分途切れた……)
浅生鴨「おとなりは……ヤンデル先生こと市原真せんせいです」
ぼく(手を振る)
ここで札幌のカメラ……ではなくかわりに京都の山本が映る。
山本(……)
山本(……)
山本(……)
ぼく(ぼくは紹介すらしてもらえなかった……
イケメンが憎い……!)
***
結果的には4人ともふつうの自己紹介までなんとかたどりついた。スタジオには多くの負担をおかけして申し訳なかった。
そしてぼくらもこの時点で早くも疲労困憊である。
思った以上に遠隔でのやりとりは難しい。
ちょっとした音声の途切れ、タイムラグで切断されるものがある。
「日常的な丁々発止」。「仲良く身内で集まって和気あいあい」。「アクションとリアクションの相乗効果」。
こういったものに、いかに自分がこれまで安心を得ていたか。
いつもと違う、いつものようにいかない、本来のぼくじゃない。
そういう気持ちがぬるっと表に出てくる。
スタジオからの音声は、別のソフトを使ってぼくの耳に届くのだが、このとき、自分がしゃべった声までも2,3秒遅れで届く。これがまた、強烈に思考を揺さぶる。注意深く番組をご覧になっていた方々は、ぼくらが最初のセッションで早くも自分の声に戸惑っている姿がおわかりになったろう。
遅延して残響する自らの声に、イヤホンを付けていられない。
ホスピスで、iPadを使って話した、ある友人のことを思う。
聞こえづらそうに有線片耳イヤホンをいじっていた、彼のことを思う。
新城拓也先生、西智弘先生、廣橋猛先生……タイムラインにいる緩和ケア医たちの顔を思い出す。
会えないくらいならつながったほうがいい、見えないくらいなら見えたほうがいい。
そういったフレーズたちが、ガチャポンのカプセルに入って、ひとつひとつ、螺旋を落ちてくる。
すでに誰かが通った道をあともどりするように、ガチャが落ちてくる。
そういえば。
ぼくらがズレやスキマと戦っている間、YouTubeのコメント欄が猛然と流れ続けているのが、不思議と心地よかった。
断絶したスキマに流れ込む思考が、その色を問わず、ありがたかった。
***
浅生鴨「なぜこの4人が、#やさしい医療 というものをはじめられたのかを、うかがっていきたいと思うんです」
堀向は、SNS医療のカタチの歴史。なれそめについて。ツイッターがつなげてくれた縁を丁寧に振り返った。
大塚は「はじめのモチベーション」について。世にある情報の玉石混淆っぷりに危機感を持った。それが「もともとの理由」だった。
(彼はこのとき何かをさらに考えていたようだった。時間的にも、やりとりのタイムラグ的にも、その言葉が発せられることはなかった)。
山本は個人のブログをはじめたときに書いた「患者さんを適切な医療情報に導かなければいけない」という思いが、今でも変わっていないと前を向いた。
浅生鴨「これらの話を聞いて市原さん、」
「何か感じることはありますか。」
「その……全く同感だという思いですか」
ぼく(あっ、揺らされた)
ぼくは、それまで考えていたことがすべてふっとんで、頭が真っ白になった。
自分がわかりきっていないことを、たどたどしくしゃべった。
ぼく「ははっ、とにかく、(ぼく以外の3人は)すごいな立派だなーっていう感じですよ。ほんっとに(手であごをさわる)。で、あのですね、ぼく自身は、まじめに高潔にやってきたって感じじゃなくて、その、チャラチャラ、あのー、冗談交じりで、ってかんじでやってたので」
浅生鴨「はい」
ぼく「なので、そういうぼくが、どれだけみなさんのお手伝いをできるかっってのは未知数でしたのでね」
浅生鴨「はい」
(このときぼくはイヤホンを外しているので相槌は聞こえていない)
ぼく「けいゆう先生、大塚先生、ほむほむ先生には、非常に刺激を受けてます。」
ぼくはとうとう、「こう思っている」とは言えなかった。
多くの価値が併走したりすれ違ったりしている交差点にいた。
***
堀向が、情報を博物館のように並べて陳列しておくことの重要性はヤンデルに教えてもらった、とぼくに忖度してニコニコした。
ぼくはそこで「そうです、博物館は大事ですね」と応えればよかったのに、まだ揺れていた。
ぼく「そうですね、博物館のように情報を並べること、も、必要ですし、あと、博物館の中で情報をわかりやすく伝える解説員のような人も必要ですし、あと……」
ぐらぐらしている。
多様性の中で、わからなくなってきた。浅生鴨さんがうまく舵取りをしている。わかる。しかし、純粋に質問に、「はい」や「いいえ」で答えて膨らませることがどうしてもできない。わからない。
2秒の壁、キツい。
そもそも、多くの視聴者がいる「放送」で、相手の質問を聞いてからゆっくり考えて答えること自体が難しい。即答を求められているような圧力を勝手に感じている。
しかもぼくらは離ればなれで、やりとりが2秒ずつ遅れている。その分を考慮して早め早めに回さないといけない、と、勝手に感じている。
気ばかりが急いていく。
ある程度想定をした内容をすらすらしゃべらないと、見ている人が不快に思うかも知れない。だから人の話はそっちのけで理論を組み立てる。
それが、ズレる。揺らされる。
やりとりから偶然投じられた、すてきな変化球。
対応する余裕がない。
全て真ん中高めのストレートだと思って振りにいくしかない。
もっとわかってるのに、もっと言えるのに、もっとやれるのに。
ズレ。スキマ。ギャップ。
「断層を埋めるパテ」をぼくはのそのそ用意する。
配信中、手元に書き殴ったメモ。
「これ 外来だ」
自分の五感の一部をズラされて、もどかしく思っていた。その姿は何かに似ていた。
伝えたくても伝えきれない部分を、「人はみんながみんな、コミュニケーションがうまくできるわけではない」などと、誰かから指摘されてしまうタイプの、「誰か」に似ていた。
数日前、外来の椅子に座ってたどたどしく自分の症状を説明し、医者から(もっと手短に説明して欲しいな)という表情を向けられていたときの、ぼくに似ていた。
ぼくはこのとき、たぶん患者に似ていた。
山本「病院に行って、病院の先生と会うときの経験を思い出すと、医者ってとっつきづらかったり、ちょっと怖そうだったり、思っていたことが言えなかったり、コミュニケーションを取りづらい印象が」
山本「患者と医者の関係がそのままだと、適切な医療が受けられない、お互いになんとなくホンネが言えない、適切な方向に行けないのではないか」
山本「ベースには我々医療者の責任がある。我々がもう少し優しく易しいやりかたをすることで、患者さんとの距離が縮まればと」
***
浅生鴨「じゃ、ヤンデル先生にとって、その……やさしいっていうのは、どちらかというと『理解しやすい』のような……『易しい』、なんですかね」
ぼく「ぼくにとってのやさしいは……」
揺らされている。
ぼく「わかりやすい、攻撃的じゃない、そういうのもありますけど」
揺らされている。
スキマが開いていく。
「受け手にとって、やさしさの質は変わる」
えっぼくはそんなことを考えていたのか
偶然に衝突されて自分の口から出た言葉に驚く。
ぼく「すごく細かい情報を欲しいと思っている人にとっての『やさしい』と、あまり難しいことを言われても困る、という人にとっての『やさしい』とは別だと思うんですよね、」
ぼく「やさしさは、すごく多様であるということを考えておかなければいけない、というのは日頃意識しています。」
/) /)
( 'ㅅ') <うそつけ 今かんがえただろ
(ここにある画像はいずれも、
当日のぼくのメモをパワポで再現したものです)
(2020.8.26 第2話)
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