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闘技場の扉が開く
タクさん
お手紙いつもありがとうございます。
ぼくは、最初からこの連載をこのような方向に「しよう」とか「持っていこう」とか「流れをこっちに向けよう」と思ったわけではないのですが、ここにきて、お互い似たような悩みを共有していたのだな、ということがよくわかりました。
それを確信したのは、タクさんが前回のお手紙に書かれた、ここです。
今の私の文章は、医学知識を持った医療者の方にようやく辛うじて届く程度ではないかと感じています。
過去の自分を振り返ってみても、医学生の頃の自分にはきっとほとんど届かなくて、研修医の頃の自分でギリギリ面白いと思ってもらえるかどうか、というところでしょうか。
書いてみた結果がそういう文章だったというだけで、実はどうにかして高校生の頃の自分にも理解してもらえるような文章にならないか、と思って書いていました。
書き進めている時の想定読者は高校生の頃の自分、出来上がった文章が届くのはきっと研修医の頃の自分まで。
その差に軽く唖然としました。
実はまったく同じことをしょっちゅう考えています。
ぼくは、自分が高校生とか中学生向けに書いた(つもりの)文章を、しばらく時間をおいて読み直してみると、
「これ……そうとう理系メガネを分厚く装着した高校生じゃないと、読みたくないだろうな……」
と、落ち込んでしまうことが多いです。
自分が書ける題材を、自分が書きやすいように書いて、世の中においておけばきっと誰かの役に立つだろう。役に立ったらいいな。
そこまではいいのです。しかし、「誰か」のワクが、思ったより狭い。できれば幅広い読者が喜んでくれたほうが、書き手としてはうれしいのですが、ぼくらが書こうと思って書いてできあがったものはいつもマニアックで、ある程度の前提知識を必要とするものばかりです。
だからより簡単に書こうと心に決めます。しかし、ただ簡潔に書けばいいというものではない、というのも難しいところです。
例え話をふんだんに盛り込んで、中学生でもわかるように、小学生でもわかるようにと書いていくと、今度は、「子供扱いしやがって」と不機嫌になる大人がでてきます。「子供だましだ」とか言われたりもします。
すでに世の中にある程度広まっている言葉までも例え話に盛り込んでしまうと、「やりすぎ」。
「がん」を「わるいもの」に例えるのはいいとしても、「抗がん剤」を「絨毯爆撃」に、「放射線治療」を「拡散メガ粒子砲」に、「ホルモン療法」を「水攻め→兵站攻撃」に例えて、とノリノリでやっていると、いつしか戦国絵巻を詳細に語ってがんと戦争を対比することで頭がいっぱいになってしまって、いつしか、がんに本当に興味があって物事を調べ始めた人たちの意気を削いでしまいます。
広く医学知識を世に伝えようとしはじめると、自分の国語力や表現力の限界にぶちあたって、悲しくなります。もんもんとします。
プロの物書きはすごいなあ、と、作家やエッセイストの方をみてため息をつきます。
次第に、「自分の言葉が届く人にだけ丹念に言葉をつむぐしかないな。」という結論(?)に落ち着きます。
自分の言葉がずばりと届く、狭い窓の中にだけ向けて情報を発信することには意味があります。そして幸い、狭いターゲットにだけ向けて情報発信しても人々のお役に立てる時代がやってきました。
SNSをはじめとするネット文化が、狭いターゲットにだけ書き続けることを許してくれます。
受け手がみな書き手になれる今、書き手の数はどんどん増えています。少数の選ばれた書き手がすべてをカバーしなくても、多彩な書き手がそれぞれ自分の専門領域だけカバーすれば世には十分以上の情報があふれます。
自分の専門性を存分に活かし、専門性がずばりマッチするような人にだけ向けて情報を書けば、誰かの役に立てる。その誰かはネットが連れてきてくれます。どんな遠くからでも。どんなに見つかりづらい場所にいても。
このとき、できるかぎり誠実に、科学的に書くことが重要なのは言うまでもありません。
それでも、タクさん。
ぼく個人の考えを申し上げますと。
医療者は、自分の専門知識を練り上げてネット上に置いておくことはいいとして、それ以外にも、できれば、もう少し普遍的な情報を世に満たす努力もしていったほうがいいんじゃないかな、と思うんです。
なぜかというと医療情報は公共性があるからです。
パブリック、というのがキーワードです。
医療情報は大きく分けて2種類あります。
1.ごく限られたシーンでしか適用できない、オーダーメードの医療情報
(たとえば甲状腺がんには核医学的治療が用いられることがある、など)
2.あらゆる人々が知っておいたほうがいい、普遍的な医療情報
(たとえばワクチンについて)
前者の情報がいずれ必要となる人は少数です。しかし、その少数の人には必ず役に立ちます。どこかに置いておいて、必要となったときにすぐアクセスできて、丁寧で科学的な内容を十分に含んでいなければいけません。
これに対して後者は、どちらかというと、「医療リテラシー」そのものにかかわります。ワクチンとか感染防御、食習慣、喫煙や違法薬物がもたらす健康被害などについては、知らなくていい人というのはいません。自分が何か病気になったときにどのようなグーグル検索をすればよいか、病気になる前に知っておくと便利な医学用語は何か、そもそも病気と健康というのを理解する上でどれくらいの前提知識が必要なのか……。
医療情報ってのはマニアックなものが多い印象を持ちますが、実際には、パブリックな側面を持ちます。
マニアックはパブリックではあり得ません。
究極的なことを言います。
今、医療者が書いているものの多くは、「書けるもの」であり、「書きたいもの」です。
でも本来は「読みたいもの」でなければだめだと思います。
マニアックな情報は、一部の限られた人が必要に迫られて読みたくなることもあるでしょう。
でも、医療者が何かを書くときは、よりパブリックに、少しでも多くの人が読みたいと思えるような文章もあったほうがいい。
(※マニアックなものも必要なのです。そのうえで、あえて、「も」です)
マニアックとパブリック。両方、目指す価値があると思います。思いませんか?
以上は、本当に悩ましい話で、実は少々理想論的でもあります。
しかしチャレンジしてみてもいいんじゃないかなーと思います。
どうでしょうタクさん、これから、タクさんがここまで書いてくださった文章のどれかを用いて、ぼくとタクさんとで交互に、
・今回は〇〇という属性の人が読みたくなるように書いてみた
と、同じ題材を何度も書き直していく企画をやってみませんか?
やってみませんか? というか、やりましょう。
最初のお題はこれです。
この回はぼくは大好きで、何度も読みます。函館山の例えが美しい回です。
前半の、そもそもPETってどういう検査なのか の部分。函館山にたどり着く前のくだりを「お題」として、二人でいろいろとアレンジしてみましょう。
いきなりあらゆる人向けに、パブリックに書くというのは、ぼくにも難しくてぜんぜんできません。失礼を承知で言いますが、ぼくらはそもそも、「文章の達人ではない」からです。スマートにきれいな文章が書けるわけではありません。たぶん、一生。
でも、試行錯誤しているうちに文章はよくなっていくと思いますし、あれこれ回数を重ねていくうちに二人とも多少いろいろうまくなるんじゃないかなと思います。そうであってほしいな。
まずはタクさんからです(ごめんなさい)。そうそう、試行錯誤のため、あえて、最初は読み手のターゲットを絞ることにします。
『高校生だったころの、理系センスがあるが医学の専門教育は受けていない、タクさん』
をターゲットに設定します。つまりは、多少理系めいた単語が入っていても大丈夫。高校生のころのあなたなら、嬉々として調べながら読んでくださるでしょう。ゴリゴリの理系少年向けに書き直してみてください。
そしてできれば、「大学に入って医学を学んで、その後放射線科に進んでPETに携わりたくなるような魅力をたたえた文章」を目指すのです。どうでしょう。
タクさんがこれを書いてくださったら、次はぼくが、「自分の家族がPET検査を受けることになった41歳の男性会社員(非医療者)」向けに、同じ文章を書き直してみます。
楽しいでしょう。ぼくは震えています。こいつは大変だなーと思って。自分で書いといてアレですが。
(2019.9.23 ヤンデル→タクさん)