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敵を知り己を知れば百戦ノーストレス
拝啓 タクさん。
タク先生とこうしてやりとりできる機会を得たことがとてもうれしいです。ただ、あれですね、医者どうしの手紙で先生先生ってお互いに先生よばわりするの、なんか疲れるんで、さんづけで進めませんか。
ここではそういうことにしましょう。ね。タクさん。
ぼくのことは市原さんでもヤンデルさんでも好きなように読んでください。ヤンデルさんってなんかアレだなって自分でも思うけれど。
さて。
自分のやっている仕事を多くの人に伝えようとすることって、思ったよりずっと大事なタスクだなあ、と、最近思います。
やってることをわかってもらえない、認めてもらえないつらさって、けっこうメンタルに突き刺さります。不特定多数から投げかけられる、お前なにやってんの? それって人の役に立つの? って言葉は、ある種の呪いです。ノーベル賞学者が記者会見でブチ切れたくなるのも、わかる気がします。
逆に、周囲の様々な人が自分の行動を見て理解し、納得してくれていると、思った以上にストレスフリーな生活ができると思うのです。
これって、承認欲求はきちんと満たそう、っていう類いの話かな?
どうもそれだけじゃない気がするんです。
そもそも、自分の仕事を誰かに説明しようと思うときは、自分が戦場のどこに立っているかを俯瞰する必要があると思うんですよね。
戦局を見通し、地形を見極め、彼我の陣形を把握した上で、どこに、どういう武器をもって、どっちを向いて何を考えて立っているのか。これからどこに進撃して、何を相手に戦おうとしているのか。
こういったことを把握せずに、そのときどきの主観だけで、自分が今みている情景を他人に理解してもらうことは、実は難しいんじゃないかなって思います。
ぼくの話をするならば、ぼくが周囲の人々に自分の仕事をうまく説明できるときって、たいてい、自分自身をうまく俯瞰できているときだなーと思っています。
この、自己を俯瞰すること自体に、ストレスを低減させる何かがあるんじゃないのかなーと思うことがあるんです。
おまけに、誰かに自分のことを伝えるために書き上げた戦場の地図は、その後、自分が続けて戦っていく上でも役に立ちます。俯瞰は人の為ならず、みたいなものかなあ。
そんなことを最近しょっちゅう考えているのです。
タクさんとは2度ほどお会いしてますね。
最初は東京ドームシティのラクーアで、若い医者たちといっしょに風呂に入ったり飯を食ったりしました。Antaaのやつらちょっと頭おかしいですよね、講演に呼んだ初対面の人と、懇親会の二次会でスーパー銭湯行きましょうなんて言われたのは、後にも先にもあの1回だけです。東医体の打ち上げじゃないんだから。アハハ、へんなの。楽しかったですけれどね。
そのときのタクさんは(風呂で)だいぶ悩まれていた記憶があります。ぼくが何を言ったのかあんまり覚えていませんが……。
2度目に札幌でお会いしたときには、だいぶ晴れやかな顔をなさっていました。僭越ながら、自分の立ち位置が前よりすっきりしたたようにお見受けしました。そこでふと、一緒にnoteの連載をやっていただけたらな、と思い付いたのです。
タクさんが今取り組まれているお仕事……持っている武器、居場所、何を相手に戦おうとしているのか……そういったことを、戦局図のように書いていただきたい。ぼくはそうお願いしました。快くお引き受けいただき、ぼくは今とても楽しみにしています。
なにせ、あなたのお仕事は、病理医以上にレアな……。
ええと、なんでしたっけ?
(2019.7.19 ヤンデル → タクさん)