先々々々々々々週の國松
先々々々々々々週。
2020年1月16日。
三省堂書店神保町本店で、ぼくは、鬼才・國松と対談した。
ほんとはこの連載は、「々」を4つか5つか連ねたあたりで、ぼくらの対談内容がどこかに文字おこしされて出てくるだろうから、それを見ながら解説できるような場所を作ろうと思ってはじめたのだ。
ところが他人にまかせた文字おこしというのはままならない。なかなか出てこない。
1か月もかからないだろうと思っていた。なめてた。
おかげで、「々」が連なるごとにぼくは國松のことを忘れて……
ない。
ふしぎだ。國松のことをわりとしょっちゅう思い出す。だから書くことがなくならない。
たとえばこんな話を書こう。まだ誰にも言ったことがない、新しい話だ。
先日、ぼくはとても難しい病理診断に立ち向かっていた。非常に珍しい細胞が目の前に現れた。その細胞は、ぱっと見では、どういう種類の細胞かまるで見当がつかなかった。そんなことは珍しい。おそらく、年に1度もない。
じわじわとアドレナリンが出始めた。
さっそく、ぼくはいくつかの「手法」を用いて、細胞の種類を決めにかかった。しかし、前途は多難であろうと思われた。これまでの経験が、一筋縄ではいかないだろうことを予想させる。ぼくは思わず、誰か頼りになるほかの病理医に頼ろうか、ということを考慮した。……正確には、もう少しで考慮するところだった。
ところが次の瞬間、なんと、ぼくの頭の中に響き渡ったのは、自分を鼓舞する自分自身の声ではなく、かつてお世話になった恩師的病理医たちの薫陶でもなく、病理医でもなんでもない國松の声だったのだ。びっくりした。
彼は早口で、まるで研修医を諭すような口調でこう言った。
「その ”クリニカル・セッティング" で経験されがちな疾病、さらにはその "mimicker" を網羅しろ。そしたら何か見えてくる。」
これは病理の教科書に書いていたことではない。
國松がいくつかの著作で、表現を少しずつ変えながら、ぼくの心に刻んできた教えそのものだった。
ぼくは彼の教えに従い、細胞をただ見て考えることから少し頭をずらした。
「病理医のもとに、”このような依頼書” が届いたときに、最もありがちな疾患」を、あらためて思い浮かべることにした。
そして、その疾患と「細胞像がよく似ており」、「しばしば病理医が誤診しがちな疾患」を、大量に検索して、國松の言う通りに「網羅」した。
そこで、2秒待った。
そしたら、これまでと全く同じ染色、全く同じ倍率で覗いていた顕微鏡の中にたたずむ細胞が、突然ある色を帯びたのだ。
その病気は、まさに、「最もありがちな病気の細胞をmimick(モノマネ)することがある、別の病気」だったのだ。
ぼくはなんと國松のおかげで病理診断のレベルが上がってしまった。
いったいどうなっているんだ、と思った。これは本当の話である。
(来週に続く。)