現代の馬っコ
西野氏
夏休み、決まりました。9月24日です。とても楽しみにしています! でも休みに向かって本を積むのはやめました。何もしない日をしようと思っています。無をやる。
いただいたお手紙の冒頭を読んでふと思い出したことを書きます。
かつて、息子がテレビを見ながら「これがユーミン?」ってぼそっと言ったのがおもしろかったです。
今の10代でも曲と存在を知っている、けど、YouTubeで本人を見ているわけじゃないから顔は知らない、ってすげえ現象だなーと思いました。ちなみに、同様の現象は、米米CLUB、ゆず、井上陽水などでも経験されます。
歌は有名、顔はわりと知られていない。
では、これらのアーティストに共通する点は。
……音楽の教科書に採用されている、ということでしょうね。
「ハッシュタグ: #音楽の教科書 」でまとめて脳に放り込むことができるということです。
前回の私の手紙や、あなたからいただいたお手紙の内容を引き取って、けっこう長いこと、「ハッシュタグ思考」について考えをめぐらせています。
さまざまな災厄によってかつてないほど分断され、さまざまなツールによって今まで以上につながっている私たちは、どうも、30年前に比べると思考のしかた自体が微妙に変わってきている気がします。
20年前: 物事を観測すると、自分の中にある「ストーリー」にあてはめて、その物事を「解釈」して、自分の物語に組み入れる。
今: 自分の中にあるストーリーが次に求めている物事を「検索」して、自分の物語としておさまりのよい物事を選んで観測しにいく。
あくまで傾向として、の話です。どちらか一方だけで思考するということは今も昔もない。ただし、現在はかつてないほどに、後者の比率が高まっている気がする。
この両者はやっていることの順番が違うんですね。
ハッシュタグの話を代入して、もう少しカンタンに言い直すと、
20年前: 物事を観測する → 自分の中で「ハッシュタグ」をつけて整理する
今: 自分の中にある「ハッシュタグ」で検索する → タグであらかじめ整理された情報を観測する
ということだと思います。
あなたが前回書いた
出来事が起こった順に脳に記されていく,というよりも,ざっくりと「タグ付け」されたうえで事象がストックされていくようなイメージ。
も、私がその前に書いた
我々の脳は、情報を時間軸に沿って蓄積することにあまり気を遣っていない気がする。
も、じつは「20年前からやっていたこと」のほうです。
そして、あなたが書いた
なんとなく開いたInstagramの記事に盛りに盛られたタグの山を見ると「……(アカンかな)」という予感もしてきます。便利なはずなんですけどね。
は、後者に関係する話だと思うんですよ。
「タグる」という日本語にふたつの意味を与えましょう。
① 観測した事象に自分なりの解釈をあたえて脳の本棚にしまうこと。
例: ユーミンと米米CLUBの共通点は何かな、と考えて、そうか音楽の教科書に載ってるってことだな、と思いつき、 #音楽の教科書 とタグっておいた。
② 自分の暮らす物語に必要な情報をソートして検索すること。「ググる」と「タグ」を併せた造語。
例: Instagramで #札幌 #ラーメン でタグると最近流行ってるラーメン屋が出てくるよ、でも基本モデルの自撮りが多くてラーメン食ってない写真しか出てこないけど。
前者と後者、両方の使い方があるってことを知っておくと、「ハッシュタグ」というものがなぜこんなにあらゆるSNSで採用されているのかが、見えてくる気がします。
そうそう、若い人も、②のタグる(検索する)だけではなく、①のタグる(脳内で分類する)はやってます。「若い人は自分で考えないで人のタグを検索ばっかりしてる」みたいなことを言いたいわけじゃない。
ただ、「誰かが付けたタグを用いた検索」のスピードが、圧倒的に速くなっているよね、ということは言いたい。
なお「タグる」という言葉自体は私の命名でもなくて普通に存在しますが、キータッチすると「手繰る」と変換されるのが粋だなあと思いました。タグで手繰る。タグたぐ。
(2021.9.3 市原→西野)