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二択に答えがない。

病気や健康に関わる情報を、商品にたとえることをよくやる。

この「商品」をどう売る?

商売については素人だが、まじめに考えてみる。


医療情報を「お店を構えてお客を待つように」展開すると、そのお店に顔を出してくれる人の多くは基本的に見知った顔ばかりになる。いわゆる常連客だ。

常連客は「お得意様」となってくれて、くり返しくり返し、商品を活用してくれる。

また、常連客の、商品(医療)に対する知識・関心が増えていくと、そのお客さんは、自分の周囲の人々にも商品をすすめてくれるようになる。口コミで評判が広がっていくわけだ。


コミュニケーションベースで店と客が仲良くなる。「店と商品のことを好きになってくれた常連客」に何度も買ってもらう。「常連客が広げる口コミの輪」によって新しいお客さんがやってくる。

ファンベースのやりかたは非常にあたたかくてやさしい。


このやりかたに真っ正面から取り組んでいるのは、Twitterでいうと各種の企業公式アカウントだと思う。ぼくは彼らのやりかたをいつも見て参考にしている。

企業公式たちには商魂があるが、不快な含意が感じられず、誠実で、客として見ていてうれしい。

医療情報系アカウントも、企業公式アカウントを真似してやっていくのが一番いいと思う。そう簡単な話ではないが、がんばって心根の部分を見習っていくことは十分に可能だろう。


ただし……。


医療情報は、買いに来るお客だけに届けていては本来の目的が達せないケースがある。「国民全員が買ってもらわないと困る」的な商品がまぎれている。

ケーキやゲームや服や家電といった商品のイメージで医療情報を見ていると、一部の医療情報は意味をなさない。

たとえば「ワクチンを打つこと」。

あるいは「手を洗うこと」。

さらには「その時点での新興感染症の感染者数から、医療統計学の専門家たちが試算した感染リスクを考慮して、ある時期からある時期まではこのように行動を制限することで、国民全体の感染リスクをまとめて下げることができるので、みんなでなるべく行動Aと行動Bはとらないようにしよう、行動Cと行動Dを守ろう、ということ」。

はからずも感染症関連の情報ばかりになってしまったが、これらは、「買いたい客」だけに売っていてはだめだ。

風疹ワクチンは妊娠の可能性がある女性だけが摂取すればいいのではない。その女性に風疹をうつすかもしれない男性、いや男性だけじゃない、すべての人類が打ってようやく、妊娠の可能性がある女性に対する風疹のリスクを下げることができる。


このような情報をどう「行き渡らせる」か。

店で待っていても、ふらりと訪れた偶然の客か、常連客にしか売れない。それでは足りない


ここで他の手を考える。

お店で待っていても必要な量が売れない。となれば、全世帯にこちらから訪問して、押し売りのように売りつけるのはどうだ?

……いかにも筋が悪そうだ。


ただ、そのようなかたち(押し売り型)で、情報を無理矢理行き渡らせる手段をとっているケースが実際に存在する。

たとえば、「選挙を知らせる紙」。

これは有権者全員に配っている。みんなに選挙があるということを「知らしめる」必要があるのだから当然だ。

でも実際にハガキをもって投票所に行くのは、「投票率」程度の人々だけである。30%とか40%とか、そういうオーダー。

全員に配るという手段で、見かけ上行き渡らせることはできても、受け取った人がその情報を活用するかどうかはまた別問題なのである。


誤解しないでほしいのだが、選挙を知らせる紙の配り方がまちがっているといいたいわけではない。ていうかあの配り方をしなければ投票率はもっと低いかもしれない。これでも健闘しているほうかもしれない。

ただ、店で客を待つのにくらべて押し売り型の情報配付の方が有効である……とまでは言えないように思う。

ワクチンを義務化して全戸に「摂取しなさいよ」というビラを配ったところで、投票に行く人と同じくらいの数しか反応してくれなかったら、きびしいし、さびしい。


お店で客が来るのを待つ。押し売りのように客の元を訪れる。

たぶんこの二択だと、情報は行き渡りきらない。どちらもたぶん必要なんだけど、足りていない。

待つでもなく、行くでもない、情報を届けるほかの方法を考えなければいけない。


あと、何がある? スマホ? テレビ? 義務教育? 洗脳? 炎上商法? 

これだ、というキラーコンテンツは見えてこない。見えていたらとっくに誰かがやっているだろう、という考え方もある。とりあえず各人が持ち場でできることをめいっぱいやっている。少しずつ状況がよくなることを祈ろう……。


そんなことを考えていた矢先……。



新型コロナウイルス感染症を巡る情勢下で、多くの専門家たちがそれぞれ自分の信じる手段で思い思いに啓蒙戦略を行った。このどれがうまくいって、どれがいまいちだったのかは、調べれば調べるほど結論がわからなくなるのだけれど。とにかく情報のやりとりが複雑化しすぎていて、簡単な矢印で因果を追うことができなかったのだけれど。

とにかくひとつ言えることがある。それは、「手洗いをきちんとやりましょう」「マスクをしましょう」がわりと早期に世間に浸透したということだ。

手を洗ったほうがいいらしいという情報や、布マスクでいいからマスクをしようという情報が広まる速さは、これまで医療者たちが啓蒙してきたがん検診とか感染予防とかワクチンに対する運動の比ではなかった。

(※手洗いやマスクがどちらも医学的に妥当なのかどうかとは話が別である。ここでぼくが言いたいのは、これらの医療情報が妙にすばやく世間に行き渡ったよな、ということのほうだ。)


これらの情報を世間に素早く行き渡らせたモノは何だ?

店? 訪問販売?

どちらも役には立ったと思う。検索する先には多くの医療者がお店を開いて待っていた。テレビやネットニュースでは「国民の皆様へ」という通知が連日押し売り気味に流され、マスクは文字通りの押し売り型(ただし無料)で配付されもした。

でもそれだけじゃなかった。なんというか、「時代の空気」みたいなものに情報が乗ったように思う。



「世間のみんなが手洗いしたほうがいいと言っていた」。

「誰もがくちぐちにマスクのことばかり言っていた」。



えっ何このさきぼくらがどうにかすべきは空気だってこと……?