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先々々々々々々々週の國松

先々々々々々々々週。 2020年1月16日。 三省堂書店神保町本店で、ぼくは、鬼才・國松と対談した。


その対談の席で、ぼくはあることを懸念していた。

「こんなに尖ったふたりの対談、文字おこしするったって、そうカンタンにはいかないのではないか……?」

どうやらぼくらはかなりハイコンテクスト……というかハイブロウな対談をやってしまったようだった。でもそのときはひとまず、杞憂に終わることを願った。



……そして案の定、2か月が経過しても、文字おこしサービスの業者はいっこうに原稿を送ってこないのである。

要約とか編集はおろか、「文字おこしすら終わっていない」可能性も否定できない。

だいたい、ぼくら二人を自由にしゃべらせてそれを記事にするということに無理がある。

ぼくらの会話は、飛躍がめちゃくちゃ多い。背景に隠し持った医学知識がなければたぶん解読できないフレーズが多発しているし、医学に関係ないジャンルの会話であっても常に飛躍している。

ぼくと会話したことがある人ならこう説明すればわかるかもしれない。

「市原が、市原の1.5倍以上しゃべれる男と、同じスタイルで延々と対話しているところを想像してください。」

まあそういう地獄である。会話の間が存在しないという意味での無間地獄。あっそれちょっと楽しそう。言うてる場合か。

対談の会場に聴衆として参加した、とある旧知の編集者は、対談後に、

「メソポタミア文明の古文書を読み解くような気持ちで、おふたりの対談をたのしくはいけんしました(棒)」

というDM(ママ)を送ってきた。えっなにどういうこと? くさび形文字を読むくらい大変だったってこと? 失敬な、ちゃんと日本語でしゃべったぞ。なお本記事の著者は「日本人が発した言葉はすべて日本語です」という言い訳を使ったことがあります。



ついさっき、編集者・ゲス立が本連載はじめて記事の掲載可否に関する相談DMを送ってきた。

むしろ今まで一度も相談なしで往復書簡noteをやり続けてきたこと自体がだいぶヤバいのだが、ま、それはいいとして、

カンタンにいうと今週の記事はまあ例のアレについての……と書いちゃうと微妙にわかってしまう人もいないわけではないな、どうしようかな、やめよう。つまりは今やることじゃなかった。というわけで本連載初のボツ原稿になった。

当の國松はたぶんそこに悪意もなにもない。あれもまた単なる飛躍の一形態でしかなかったと思う。ぼくはそれがよくわかる。しかし、世の大半の人は、その飛躍の意味がそもそもわからないだろうし、おそらく、高速回転を繰り返しながらフィギュアスケートのようにジャンプと滑走をくり返す國松をなんとかハイスピードシャッターで切り取ろうとして、結果的にすごい変な顔に写った國松を見て、あろうことか彼をバッシングしたりするに違いない。それはさすがにしのびない。

彼の頭の中で展開されている曼荼羅には、常に大量の情報がビュンビュン移動していて、止め絵で彼を評価することは不可能である。情報のフロー自体が性格を形成するタイプの人類。……それってもはや人類ではなくて人智を越えた國松類とでもいうべき新たな生命なのではないかという気もするが、さておき、彼の環世界はぼくのようなダニとは違って相当に幅広いので、世間に流れているあらゆる情報に対して瞬間的におもしろくなぞって反射してリアクションして忘却することができる。ただ強いてひとつ言うならば、高次の知性は「反射しない」という選択肢を執行するために意識というものを構築していると推察されるのだが、國松はたいていの場合、反射は必ず一度はアウトプットしているように見える。まったく、ひとごとではない(気持ちがわかる)。


そもそもぼくがこの「先々(略)々週の國松」を書き続けているのは、noteというストック型とフロー型のあいのこみたいなSNSに、彼の流れ続ける思考の一端を(ゲス立という天才の力を借りて)断片的に記録しつつ、放っておけば過去に消尽しそうな対談当日の國松のインパクトを、ぼくという國松の劣化コピーのような男が世の中に流し続けることはもはや義務だと考えて、(一緒に仕事したことが一度もないしそもそもまだ一度しか会っていないのにゲス呼ばわりしている編集者および出版社の全面協力の下に)國松を現世の曼荼羅として顕現させようとしているプロジェクトなのである。

我ながら、『阿・吽』並みに熱い。

『阿・吽』と違うところは、主に、このnoteがたいして評価されないだろうということだが、なあに、1000年ほど経てばあるいは経典としてなんらかの宗教の原典になっている可能性だってある。

その頃にはぼくの「日本語」はいっさい解読できなくなっているかもしれないけれど……。


(来週に続く。)