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まてぃさん


お返事、ありがとうございます。うれしいです。

(前回のまてぃさんの記事はこちら。↓)



思えば。

2010年の11月、ぼくがツイッターをはじめたとき(※病理医ヤンデルの前に作ったアカウントです)、まずは企業としての名前を知っていてツイートがおもしろそうなアカウントをフォローしました。

東急ハンズ(ハンズネット)。

早川書房。

ヴィレッジヴァンガード。

そして、NHK。

ほかにもいろいろ……。

知った企業をフォローして、ツイートのやりとりを見ているのがとても好きでした。ぼくは別に、ハンズやハヤカワに特に思い入れがあったわけではなかったんですけれど、これらのアカウントたちが仲良くやりとりしているのを見ていると、なんだか企業と自分との距離、あるいはインターネットとぼくとの距離が、どんどん近くなっていくような気持ちになったのです。


そんな中、「この人はおもしろいなあ」と気になったのがあなたでした。

失礼ながら、そうそうたる名の売れた企業に混じって、ふつうの個人名にも見えるアカウントが丁々発止……というか……いやまあ……丁々発止(言い直した)のやりとりをしているのが印象的でした。

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世界文化社を略して世文(セブン)、だから、ナナ子。

ネーミングセンスに脱帽した日のことを、昨日のように思い出せます。




さて、そんなあなたを前にして、ほんとうに、あれもこれもと尋ねてみたいこと、あるいは振り返って確認してみたいことがあります。山ほどある。

でも、どこからお話を聞いてみたらいいのやら……。

聞きたいことが多すぎて。


どこからたずねていけばいいのだろう。

どの質問からはじめたらいいのだろう。

んんん……。

ぼくはお手紙をもらってから、話題のとっかかりを探し始めました。週末ずっと考えていました。「一通目」をどうしたもんかなあ



そうやって、「手始め」をどこに置くかという感覚に悩んでいる自分を、

別の自分が眺めます。

「ああ、ぼくは、会話のとっかかりをきれいに整えることにこだわるタイプなんだな。」

なんてことを考えます。そして、必ずしもこれはぼくに限った話ではないな、とも思う。

情報過多の現代においてぼくらがまずぶつかるのは、

「話をどこからはじめようか問題」

なのではないか、と気がついたのです。



医療情報なんてのがまさにそうで、要は、「どこからはじめていいのかわからない」というのが、そもそもの大問題なんです。

ある程度知識があって、その領域に愛着もある人は、こちらが何もしなくても、勝手にウェブを調べたり、本を読んだりして、情報を整理して、どんどん頭の中の図書館を整備していくものです。

そういう「すでに医療情報を集める準備が整っている人たち」は、ぼくら医療者側がどのような情報を出しても、勝手に脳内で整理して活用してくれます。

アトピーの話をした翌日に、大腸がんの話をして、そのまた翌日に臨床試験の話をして、同じ日の午後にはHPVワクチンの話をして、次の日にはFDG-PETの話をして……とやっても、ぜんぶ受け止めてくれます。

これってよく考えるとすごいことです。

でも、たいていの人は、そうじゃない……。


「医療情報に日常的に触れること」

「医療者たちが何か情報を出した時に、それをスッと摂取することに抵抗がないこと」


ここにたどり着くまでのハードルというのがまず存在する気がする。

となると、情報を世に出す側がまず考えたらよいこととは、

「何から語り始めるか」

だと思うんですよね。


つまりは話題選びとその出し方。

ちょっとメタな質問で恐縮なのですが……。

情報のネットワークを学ぶとき、ぼくらは、どこからはじめればいいんでしょうか? それをSNSでやろうと思ったら、何ができて、何が苦手なんでしょう。

ぼくはそもそも、こんな基本的なところがまだ、よくわからないんですよ。

あなたなりの「始め方」を教えて頂ければうれしいです。




(2020.11.25 市原→まてぃさん)