見出し画像

山際の向こう、2秒の先に(9’) 補助線

前回記事↓



次回更新記事が最終回。
その前にいくつか、ぼくがあの日、手に取っていた本の話。



1.

 奈良盆地の中央を形づくる国中平野には格の高い神仏は住まない。土地は平坦、風景は単調。元来は湿地帯で、農民の勤勉が次第に中央部に湿地を追い込んでほとんど消失させ、代ってかつての春は菜の花が、秋は稲穂が平野をおおった。
 しかし、みはるかす四周の山々の麓には数多の神々が住み、古墳が築かれ、都がいとなまれ、仏閣が造られた。バリ島の宇宙が中央にそびえるアグン火山を中心都市、それとの関係によってみずからを定位するとすれば、大和に住む人々は四周の山々によって定位を行う。人々は、雲がどの山からどの山へ走る時は天候はかくかく、という。山々はほとんど記号的な特徴を帯びて、かずかずの伝説を荷いつつ、この平野を囲んでたたなわる青垣山である。バリ島とは逆の、凹の宇宙である。大和川が激流となり、岩を噛んで一気に河内平野に流れ下る、二上山と信貴山の間の「亀の瀬」のほかはほとんど外部に開かれて伊豆、国中より見えぬ彼方の山々は異界である。


(『治療文化論 精神医学的再構築の試み』中井久夫、岩波現代文庫)



……これは、奈良か。和歌山の高野山高祖院はさすがに遠いかな。



2.

春はあけぼの。
やうやう白くなりゆく山ぎは 少しあかりて 紫だちたる雲の細くたなびきたる。



京都。
SNS医療のカタチTVは元々、
京都でやるはずだった。
犬も、いるしな。



3.

境界はこちら側とあちら側の両方を知っていて、その間に引かれる線を意味しますが、前縁はこちら側しかわからないのです。境界は、まるで上空から大地を俯瞰して、向こうとこちらの間に線を引くイメージですが、前縁は地平線や水平線のように、「ここ」から離れていったことのない者にとっての限界で、その向こう側は存在するかどうかさえ確信できません。だから認識や思考の限界は前縁なのです。

(『やってくる』郡司ペギオ幸夫、医学書院)(※太字はぼくによる)


(前縁を境界化するしくみについては、
いつか、和尚に尋ねてみたいものだ。)


4.

解剖の目的は死因と
治療の妥当性の調査 治療の効果判定

どれも医者の技術向上のためにやることです

亡くなった方にとってはどうでもいい

だから解剖を拒否されるご家族が多い

亡くなった後まで苦しませたくない これ以上傷をつけたくない

みなさんそうおっしゃいます

(中略)

(死に至った患者が)いつからどれだけ苦しかったのか

どれほどあなたの前で胸を張っていたかったのか

病理解剖すればだいたいわかります 


(『フラジャイル⑧』(草水敏/恵三朗、講談社)



死ですら、医によって「わかること」になる場合がある。


このときぼくらは果たして、堂々とあるべきか。

あるいはやや卑屈に、皮肉っぽく、事務的に、
努めて冷酷な学術のぬいぐるみをかぶって、

なおそれでも手を出す人にとっての、
握力をこめやすい棒になるか、否か。




(最終回へ続く)

(2020.9.3 第9話の補綴)


次回記事↓