先々週の國松
先々週。
2020年1月16日。
三省堂書店神保町本店で、ぼくは、鬼才・國松と対談した。
対談が終わった後の懇親会の席、和気藹々とした雰囲気の中、國松は突然口にした。
「サパイラがなー。」
担当編集者のゲス立(あだな)は言った。
「枕ですよねー。」
読者の皆さんはキョトンとしただろう。
でもその場にいたぼくだって、全く一緒だったのだ。
言っておくが事前に前フリがあったわけではない。この会話のあとには解説もほぼ皆無。
かろうじて、直前に、医学書院の本の話などをしていたので、ああ出版社からの連想なのかな(サパイラという本があり、それは、医学書院という会社から発行されている)と、勘ぐることはできた。
それにしても……。
國松「サパイラがなー。」
ゲス立「枕ですよねー。」
そこで会話を終えるな
オーディエンスキョトンだろ
せめて表象として縮約してくれ
天才合戦反対!!
という意味のことをウォルマートに包んで(巨大)、丁寧に伝えたところ、國松から以下のような回答を得られた。
「いやサパイラ読んで書評書かなきゃいけないんですよー、枕にしたりして」
いやわからん
枕がわからん
言葉の意味はわかるがとにかくすごいわからん
しかもそれがなぜ他社(金原出○)の編集者との間で合い言葉のようにやりとりされているのかもわからん
・・・
ささいな出来事があったことも忘れ、10日ほど経った。
医学書院のウェブサイト「週刊医学界新聞」に、下記のような書評が掲載された。
その本の名はサパイラ
書評者:國松 淳和(医療法人社団永生会南多摩病院 総合内科・膠原病内科)
これかァー
と思ってすぐ読んだ。そしたらもう、「けいれん」してしまった。びくんと。
なんじゃこの文学は。
いまだかつて、医学書(それも洋書の翻訳版)に、このような滋味溢れる書評を寄せた人がいただろうか。
「読む側の情景が浮かぶ医学書の書評」
うわっ新ジャンルじゃん。どういうことだよ。
だいたいこれを何日で書いたんだ……。
イスに座っていたにも関わらず精神的に膝から崩れ落ちたぼくが、真っ先にやったことは、アインシュタインと同世代に生きた物理学者がアインシュタインに対して考えていたであろう猛烈ないらだちの感情を共有し、傷をなめ合うことだった。
天才はときに支離滅裂なことを言うように見える。
けれども、天才の言う事は、少なくとも天才の中では破綻していない。
彼の宇宙の中で整合性がとれているものの一部分だけを、ちょろっと舌を出すように、こちらに見せてくれている。
ぼくはその表情をみて「なんだこいつ」と当惑し、いずれその当惑が、深すぎる畏敬の念の氷山の一角でしかなかったことに気づく。
ぼくは自分がひれ伏している相手の何にひれ伏しているのかを、常にあとから気づく。
Ichihara, S (1978-)
(来週に続く。)