犀の角のようになんかみんなで歩め
大須賀覚様
拝啓
お元気ですか。日本では夏が終わりました。窓際のサボテンは、今年一度しかつぼみをつけませんでした。去年は五回くらい花が咲いたのですけれども。
「サボテンより多く花を咲かせる」というのが、最近の私の目標です。
幸い、この夏、ひとついい論文が書けました。でも次はまだです。今のところサボテンと一勝一敗。
サボテンはライバルとしていいですよ。
うまく論文が出ないときに、
「さぼってんじゃねえ!」
と、叱咤激励してくれます。
最後のお手紙、ありがとうございました。
本当に、いい文通ができたと思います。
これまでいただいたお手紙を見直してみると、どれもこれも、私宛の手紙にしておくのは惜しいくらいです。題材が練り込まれ、アプローチも工夫が細やかで、配慮も丁寧、このまま何かの教科書に載せてもいいのではないかと思えるような名文ばかりでした。米国の大学で若くして助教授を勤め、晴ゲノミクス雨プロテオミクス(晴耕雨読みたいに読んでください)の超ご多忙な毎日かと存じますが、そんな中できっちり往復書簡を仕上げてくる大須賀の才能の深さには、全く脱帽です。
毎回、大須賀からの手紙が届くのをとても楽しみにしておりました。また、お返事を書くのもとても楽しかったです。
どうもありがとうございました。
日本では最近、ワクチンを接種した人の数が全国民の50%を超えた、という報道がなされたところです。非常に良いペースであると、多くの医療者、施政担当者が喜んでいます。
正直に申し上げると、私は、ワクチン接種の道のりはもっとずっと多難だろうと思っておりました。ツイッターでちょっと検索をかけると、ワクチン忌避、アンチワクチンの声がときおり目に付くのですが、それ以上に、
「いいとも悪いとも言えないけれどとりあえず様子を見てみたい」
と躊躇する人たちが、いっぱいいたからです。
両論併記、慎重な議論、これらの態度には一定のスジが通っています。でも、私たち医療者は、内心、
(すでに多くの専門家たちが、両論を並べて比較して、ワクチンがいいとわかったあとの世界に私たちはいるはずなんだけど、人びとの心の不安はそれでは解決しないのだろうな……)
と、ヤキモキしながら「一度終わったはずの議論が個人の脳内で何度もくり返されているさま」を眺めていた記憶があります。
しかし、多くの人びとは、それぞれに悩みながらも、各自で情報を選び取り、「医療者が言うように、ワクチンを打ったほうがいいんだな」という判断をかなりスバヤクなさっていました。
その結果が、目を見張るペースの接種に繋がっているのだと思います。
なあんだ、よかったなあ! 心配するまでもなかったな、とも思いますが、それ以上に。
これまで、多くの専門家たちが様々な場所で、様々なメディアを通して情報を世に出し続けてきたことにも、意味はあったろうなあ、と。
たくさんの人びとに拍手を送りたい気分です。
「医療情報がけっこうちゃんと伝わった」という、地味ながら私にとってはとても大事な出来事に、こっそりと拍手を送ります。
以前に大須賀から教えてもらった良著、『FACTFULNESS』を思い出しました(日本でもすさまじいベストセラーになりました)。
きちんと資料を揃えて調べてみれば、世の中はわずかずつでも良くなり続けているのだということ。
この陰惨な感染症禍においてもなお、実感します。
もちろん、世の中には、まだまだ良くなっていってほしいので。これくらいで満足することはできないのですけれど。
「ここまではみんな、よくやってるよね」と、確認し合って、「ソーシャルディスタンシング肩抱き」くらいしてもいいんじゃないかなと思うわけです。
ところで、最近の私は、
「大声で医療従事者を罵り、ワクチンは人のためにならないと言い続けてきた人たち」
のことが気になっています。
自分の判断でワクチンを打たないと心に決めるだけではなく、ワクチンを打つ人、さらにはワクチンを勧める人に襲いかかって、罵倒の言葉を投げ続ける、ごく少数ですが目立つ人びと。
このような人びとに対して、1年半くらい、多くの医療者や医療系メディア、有識者たちは、「戦って」きました。それは必ずしも「やさしい」ものばかりではなかったと思います。「詐欺、カネ稼ぎ、悪党である」と、「人の心があるのか」と、ときにはファクトチェックの名の下に、ときには引用RTでプロレス的に、殴り合いを展開してきました。
それは、大須賀が書いたように、ある意味、必要なことではあったのかもしれません。
綺麗事ばかり言ってられないこともわかっています。現実に、社会に大きな害を与える情報を、いつか直るだろうとのんびり待っているわけにはいかない場合もあります。法律で取り締まったりすることも極めて大事です。
私はあまり好きではないけど、きつい言葉で否定することで、耳目を集めて、それが医療情報の拡散に寄与していることも知っています。
色々な情報発信のスタイルがあることは間違っていないし、人の受け取り方も色々とあるから、時にはそちらが合う人もいる。
――「俺たちは誤解の平原でやさしく語る」大須賀覚 より
でも、
「反ワクチンという分の悪い戦いをせざるを得ない立場にいる人びと」
もいるのだということを、私は前より強く意識するようになりました。
大須賀も、このように書いてくれましたね。
不正確な情報を信じるには必ず背景があります。不安な気持ちが強かったり、とても焦っていたり、本当に一生懸命に調べるあまりに、不正確な情報に多く晒されていたりという背景もあります。
――「俺たちは誤解の平原でやさしく語る」大須賀覚 より
今日、私は以下のように、3つのツイートをしました。
私がこのようなツイートをするに至ったのは、前回の大須賀の手紙を読んだから、というのが大きいです。
この往復書簡で、大須賀が手紙に書いてくれたことの多くは、
「間違った情報にこれから出会って、惑わされてしまう人びと」
を一人でも減らすために、大須賀がこれまで多くの人たちと額を付き合わせて熟慮した、「適切な医療情報の選び取り方」だったと思います。
そして、大須賀は最後に、
「不適切な情報を世に出す側の人びとをも、やさしく包み込めないものだろうか」
という、かなり難しい問いについて、書いてくれました。このことは、まさに私が最近気になっていることと合致します。
「みんなにやさしくあれ」
「攻撃してきた人にもやさしくあれ」
「全部救え」
というと、なんだか最澄さんっぽくて、ちょっと死亡フラグ立ってますね。
できもしないことを言うな、と怒られるかもしれませんが。
でも。
世の中の人びとは、この大変な世の中で、きちんと悩み、選び取ることをやってくださっています。
ワクチンに限らない。がん情報も、ありとあらゆる健康関連情報も。
いやな情報が氾濫していることばかりが話題になりますけれど。ちゃんとみんな、悩んで選んでくれている。
だったら、医療に携わる私たちも、より専門的な話題について、きちんと悩み続けて、昨日よりも少しだけよい今日を目指して、考えを進めていかないといけません。
「犀の角のようにただ独り歩む」。
いや、私たちは別に孤独ではないのでした。
少なくとも私には、こうしてやりとりをしてくれる大須賀がいる。
まあほかにもなんかいろんな哺乳類とか鳥類とかもいる。
最澄さん、犀の角、あたりでふと思い出しましたけれども。
そういえば、今日はおかざき真里先生と、 #SNS医療話 でおしゃべりをする日ですね! 偶然だなあ。
つまりは、この文通を締めくくるのに、今日がちょうどいい日なのかもしれません。これからも一緒にがんばりましょう。どうぞよろしくお願い申し上げます。
敬具
全力を出せる場所を見つけた市原真 拝