山際の向こう、2秒の先に(1) パテとスキマ
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8月23日、10時ちょっとすぎ。
われわれの文化祭をプロのレベルに引き上げた立役者が、司会としてYouTubeに配信された。
「お医者さんと、患者とが、どういうふうにコミュニケーションをとったら、えー、……いいかたちでものを進めていけるか、ということを考える、なんと7時間の生放送です。」
「もともと、京都の大きな会場を借りて、大規模なホールのイベントをやろうとしていたんですけれども、コロナの影響でなかなかそういうことができなくなって、」
「代わりに本日、東京の丸の内にですね、このような、一種の放送局のようなものを、こしらえてみました!」
へんな笑いが出た。なんだこのセット。やっば。
失礼を承知で書く。このときぼくの心が叫んだナマの感想は、
「こしらえすぎだよ(笑)」
であった。コトが大きくなりすぎていて、びびった。
これが本当のビビリオバトルである((c)國松淳和)。
突然ですがクイズです。次の中にひとつだけ、実際に起こったできごとがあります。
A. コミケに手塚治虫が来た。
B. 家庭菜園をブルドーザーで耕した。
C. 医者のYouTubeをNHKが撮った。
D. 幼稚園のおゆうぎ会で香川照之が土下座した。
どれでしょう? 正解はCMのあとで。
---CM---
中藏 プロポーショナルフォント ゆう薬局 ハテナブログ
---CM---
正解はC. ちょっと難しかったかな?
……ありがたいことだ。冷静に考えて欲しいのだが、ここはもともとTVスタジオではないのである。
このスペースを、多数のプロたちが、「機材と知恵を持ち込んで」、即席放送局に作り替えてしまった。
中継先の京都も、某ホテルのでかい部屋を借りて、このありさま。
なお札幌
***
浅生鴨さんは、作家であり、元NHKディレクターであり、そういった肩書きを超越した方である。
番組冒頭、グランドオープニング、カメラを医師4名の方に振らなければいけないタイミングで、実はまだスタジオの準備が完全に終わっていないことが発覚する。もう少しだけ、スタッフが作業をする時間を作らなければいけない。放送ははじまっているのに!
のっけから大ピンチである。
そこで彼は、すかさず「穴埋め」のコメントをはじめた。
YouTube LIVEに到るまでの経緯。
SNS医療のカタチのめんめんの簡単な紹介(しかもこのあと本人達が自己紹介するだけの余力を残しての言及)。
これらを事前の段取りなしで、スラスラと語る。
ああ、修羅場を経験してきた数が違うな、と感じた。そして、このときぼくは追加で勝手な妄想をしていた。
浅生鴨さんという人は、
「地震で揺れたときにできた『ひび割れ』を、すかさずパテで埋めに行くことができるタイプの人」
なのだなと思った。
穴埋めのコメント代わりに、彼は、「 #やさしい医療 」という言葉についても語った。
「やさしい、というのは、人に優しいという意味と、わかりやすい・かんたん(易しい)という意味と、二重の意味を込めているんですね、で、このやさしい医療情報を……」
……突然だが告白する。
このときぼくは、彼の「やさしい」に対する言及が、「軽い」と思った。
それはわずかな違和だった。
髪の毛の細さの、わずかなズレ。スキマ。ギャップ。
「……このやさしい医療情報を、わかりやすく伝えようということで、ここの4人の医師が集まって、
それぞれが思う『やさしい』……『これがやさしいんじゃないかと思うこと』を伝える活動をやってきたんですけれども、
なかなか……思うように広がっていかない、最初はずいぶん苦労された、ということを伺っています。」
人の数だけあるはずの、やさしさ。
それを医師4人が語ろうとしていること。
やさしいというのは、意味2つで語れるようなものなのか。
やさしい医療情報というのは、「なんとか届ける」ことが可能なものなのか。
なぜぼくらは苦労してきたのか。その姿を見て彼は何を思ったのか。
なぜ、助けてくれようと、思ったのか。
ズレ。スキマ。ギャップ。
ぼくは直感した。彼は ”この場を揺らす” かどうか決めかねている。
浅生鴨さんは、そもそもやさしいとはどういうことなのかについて、医師たちの思考を、あるいは番組の雰囲気そのものを、揺らすべきかどうか、決めかねたままここに立っているのだと感じた。
思い切り揺らして、ズレを作るか? 視聴者たちに、そのスキマの部分に飛び込んできてもらうか?
それとも、ぴたりと医師の意志を合わせて、ズレを作らぬまま、番組をまるく収めるのか?
パテで埋めることができる人が、同時に、スキマを可視化しようとしている。彼にはその両方ができる。
生放送の本番中、賽が投げられて宙に浮いている今……
宙に浮いた差異を、埋めるか広げるか、あるいは彼はまだ、迷っている。
以上はぼくから見た浅生鴨さんの姿にすぎない。実際に彼がそう思い、そう行動したかどうかはわからない。けれどもぼくには、彼の外側が発するイメージのひとつがそう見えた。
見えたら、動く。
ぼくは最初のセッションで、彼の問いかけ(それはぼくが問われたと勝手に思っているだけであるが)に、すかさず答えることにした。
ぼくは、考えた末に、スキマに手を入れて、こじ開けることにした。
ある本の、ある図のことを、思い浮かべていた。
(2020.8.24 第1話)
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