先々々々々週の國松
先々々々々週。
2020年1月16日。
三省堂書店神保町本店で、ぼくは、鬼才・國松と対談した。
対談の内容を見ていた聴衆の1/4くらいは、たぶん、ツイッターで相互フォローだ。だいたいアイコンが思い浮かぶ。リアクションを見て、サイン会をやっているとまあわかる。残りはよくわからないけれど、1/4もわかればいいだろう。
とりあえず、対談が終わったあと、彼らの感想ツイートをぼくは追いかけた。エゴサで見つからない感想もある。だからアイコンとアカウント名を思い出しながら、丹念にエゴサをする。三省堂。神保町。聖地。そういった普段は検索しない単語で、「このタイミングでだけ可能なエゴサ」をする。
そうすることで生(き)の感想が得られる。編集されていない感想には、ぼくら講演者・対談者を生成変化させるだけの「衝突」が含まれていることが多い。とてもためになる。
というわけで対談の聴衆から得られた感想……。
一番多かったのは「思考スピードが速い」というものだった。
まったく同感である。國松の思考速度は鬼だ。鬼松である。おまけみたいにいうとゲス立も鬼立だ。
ただし、ぼくが対談時に國松から受けた印象は、それをさらにアレンジしたものだった。
國松の思考の練り上げ方は、回転をくり返して、昇り龍みたいにどんどん上昇しているイメージ。
速度が早いだけではなく、机上の空論に終わらないために思考を移動させている。机の上から、臨床に向かって、あるいはその逆といった具合に、方向性があるのだ。らせん状の思考。
スピードだけではなく、その方向性にぼくは強く感銘を受けた。
そして何より、思考していた最中にどういう気づきがあって、どうやって思考が移動していったかというログ……昇り龍の例えでいうならば、ドラゴンから見た旅の思い出を、國松は時間軸に沿って覚えている。
これが一番すごかった。あまり意識していない人もいるだろうが、とんでもない才能だ。
会場で彼が少しだけ早口にさまざまなことを言った。その内容が流暢であったのはもちろんだが、それ以上に、
「思考の順序が記憶されていて、その通りに語るから、はじめてそれについて思考する人間であってもスピードにさえ振り落とされなければ、彼の思考に憑依しやすい」。
ぼくが一番感動したのはここであった。
ナチュラル・ボーン・語り部 とでも言うべきか? いやナチュラルではなく訓練されている可能性もある……。
彼の著作を読んでいると頻繁に登場するキー概念がある。それは、たとえば國松が、「珍しい病気を見つけて診断し、治療し、成功した」という症例報告論文を読んだときに発揮される。あるいは彼自身が症例報告を書くときにも強烈に発揮される。
そのキー概念とは、
「これから考える人がどういうルートで思考し、どういう落とし穴に落ちがちであるか」
を明確に意識しているということ。優秀な旅番組のディレクターみたいなことを考えているのだ、彼は。
旅レポが得意な昇り龍。
それが國松の対談時の印象だった。
(次回に続く)