出汁や煮物だけじゃない!室町時代のほししいたけ活用法
ほししいたけが日本の文献に初めて登場したのは鎌倉時代中期に書かれた『典座教訓(てんぞきょうくん)』。日本における曹洞宗の開祖、道元禅師の著書の中でした。ほししいたけがどのように記されているかは、またあらためてご紹介しましょう。
ほししいたけが料理書の中に登場するのは、室町時代に入ってから。例えば小笠原流の食事作法を記した『食物服用之巻(しょくもつふくようのまき)』(1504年)の「點心(菓子)之図」の中にしいたけの図が描かれていたり、足利義昭の朝倉義景邸への訪問を記した『朝倉義景亭御成記』(1568年)にほししいたけの菓子が記載されたりしています。
「ほししいたけのお菓子?」と思う方も多いと思いますが、実は当時、茶会の菓子は果物、餅類、煮しめなどだったようで、日本産・原木乾しいたけをすすめる会の顧問を務めた小川武廣氏は、著書『乾しいたけ 千年の歴史をひもとく 森からの贈りもの』(女子栄養大学出版部刊)の中でほししいたけも煮しめの一つとして菓子に類されていたのだろうと推測しています。
また、小川氏は同書の中で『大草家料理書』(1573年)に登場する「鷺と椎茸の酒蒸し」「鷺と酒と味噌に椎茸と茗荷と胡椒の煮物」という料理に触れ、「白鳥料理のにおい消しに乾しいたけが使われている。」と述べています。ほししいたけを、うま味や栄養、食感アップではなく、鳥獣肉の臭み消しに使うなんて驚きの利用法じゃないですか?
ちなみに『大草家料理書』とは、足利義光の料理人として仕えた大草三郎左衛門公次が発祥といわれる大草流の本で、料理に合わせたマナーなど食事作法について書かれたものです。
一方、私たちに馴染み深い「精進料理×ほししいたけ」の組合せでは、例えば1581年に大徳寺真珠庵で行われた一休宗純百年忌の正餐の献立に「干瓢、煎昆布、椎茸、麩、海鹿尾(ひじき)、牛蒡」などが並んだと伝えられています。
室町時代当時、ほししいたけはこのように様々な形で使われていたことが文献に残っています。まだまだ身分の高いごく限られた人々の口にしか入らない時代でしたが、それだけに工夫され、柔軟に楽しまれていたのかもしれませんね。