有村麻央に関する考察メモ
こんにちは、学マスで有村麻央Pをしているからくちマスタードです。
この記事では私個人による有村麻央に関する(主に親愛コミュの)考察・見解をつらつらと書いていきます。タイトルにある通り備忘録的側面が強いので読みやすさよりも情報を箇条書きにしていくような感覚で書いていきます。ですので、内容の追加・修正をしていく継ぎ足し形態をとります。話の順の整合性はあまり考えず、書きたいところから書いているのでご了承ください。設定資料みたいな感覚でご覧いただけると幸いです。
先に結論というか、私自身の率直な感想は「形がすべてではない、スター性とは存在そのものに宿るものである」と言いましょうか。
総じて麻央は自身が王子様を演じていないとカッコよくないと思い込み、かつ素に近く可愛い、王子様を演じていない自分がカッコいいスターとしてのイメージ戦略のノイズになると思い込んで、強く自分自身を否定していました。
しかし、「カッコいいところも可愛いところも併せ持っているからこそ、あなたはみんなから愛されている。ノイズになんてなってない」と教えてもらうことで、歪んでしまった憧れの形を再定義し、改めて王子様を目指していくお話である、と私は解釈しています。
断じて可愛いくあることを押し付けているわけではなく、ましてや夢を諦めさせる話ではありません。理想と現実、その両方を取る話です。
これは新生・有村麻央の始まりであり、これ以降はカッコいいに振り切っても、可愛いに振り切ってもいいと思います。ただ、麻央のスター性を引き出すためには親愛コミュで描かれた過程が必要だったんです。
……前置きが長くなりました。ここから本編です。
※この記事には有村麻央親愛コミュ10話まで、その他麻央の関連コミュのネタバレが含まれます。
基本情報
念のため基本情報を載せておきます。
有村麻央は、初星学園高等部アイドル科の3年生であり、同時に同学園の寮長を務める人物です。その振る舞いから他の生徒からは『リトルプリンス』の愛称で慕われており、頼れる先輩です。
幼少期に観た歌劇(出身が兵庫県であることを加味すると、恐らく宝塚歌劇団に当たる劇団の公演)で見た王子様役のカッコいいスターに憧れ、自身も歌劇の道を志し劇団に入団。すぐに芽を出し少年役として多くの仕事を経験するも、第二次性徴が訪れた時期から本人の望みとは裏腹に身長が伸び悩み、女性的な身体へと成長をしてしまったことで仕事が激減し劇団をクビに。スターへの道を諦めまいとアイドルへと転向し初星学園へ。
学園では普段男性装をしており、上述のような他の生徒を助ける行動を積極的にしています。
ジェンダーの問題ではない?
麻央は「自身の身体を嫌っている」かのような描写がありますが、心と身体の性が一致しない、いわゆるトランスジェンダーではない……と言っていいと思います。
根拠は麻央の親愛コミュ10話(以降、特筆がない限り「X話」と表記)にて麻央の憧れであった人が、明確に「男役の女性」であると示されている点。
憧れた人は女性であり、目指す姿もその人のようなスターになること。また、自分が女性であること自体を嫌っているような描写は見受けられないので、「男性になりたいのか?」という質問に対しては、はっきりと「No」と言ってもいいのではないかと。この前提が違うと、まるっきり話が変わってきてしまうので、確認しておきました。
ただし性に関しての話題はシビアですし、第二次性徴における女性特有の問題は男性である私には実体験として語れる部分がないので、これ以上のむやみな議論はしないでおきます。
「成功体験」という呪い
プロデュース前の麻央は「男性装をして、自身がカッコいい王子様を演じる」ことに執着しているような描写があります。あえて服を緩く着ることでボディラインを隠したり、苦手なのにコーヒーをブラックで飲んだり、甘いものが好きなのに王子様のイメージに合わないと食べなかったり……などなど挙げればキリがないですが、なぜここまでして王子様を演じているのでしょうか。
もちろん「憧れの姿だから」という面もあるでしょうが、私はこれらの行為を歪なやせ我慢だと考えています。
例えばこれがステージ上での行いに過ぎないのであれば、まだ”理想のための犠牲”の範疇だと思います。しかし、麻央は寮長として寮内トラブルの解決に東奔西走しており、その間も王子様を崩すことはありません。つまり四六時中舞台に立って演技を続けているようなものです。
別の項で詳しく論じますが、麻央はいわゆる「ナチュラルイケメン王子様」ではないと思われるので、”本来ある自分”を隠し、王子様の仮面を被っているかのような状態であると考えられます。
話を戻します。麻央がここまで王子様であることにこだわる理由は、ずばり「一度それで成功しているから」でしょう。
幼少期(第二次性徴前に実績があったことから、未就学~小学校低学年頃?)に子役をしていた麻央が少年役として多くの場数を踏み、実績を上げていたことは、親愛コミュを読了した方にとっては周知の事実でしょう。当時は理想と現実の姿が同一であることができ、本人も大変に満足していました。
しかし、第二次性徴を迎えたことで仕事が激減(言及はないが、劇団側からは女性役を提案されていたものの、麻央が拒否したことで仕事を回してもらえなくなったのかも)。劇団をお払い箱にされてしまいます。
ここから、麻央の夢は少しずつ、でも確かな音を立てて歪んでいきます。
劇団を追い出された原因を「ボクが王子様を演じられなくなったから、王子様だと見られなくなったから」だと考えた麻央は、自身の身体の変化に反抗して、見た目としてわかりやすく王子様を演じるようになります。明確に私服に男物を採用するようになったのもこの時期かもしれません。
王子様じゃないボクに価値はない、これ以上失望されたくない、まだ舞台に立っていたい。
もっとカッコよく振る舞わないと、もっと素の自分が出ないようにしないと、もっと王子様に見られるようにしないと――――。
…………そうして気が付いた時には、『スターになって、歓声を浴びたい』という原初の願いは彼女の中で埃を被り、あの日心を奪われた『王子様』の姿は、唯一絶対の正解としてそれ以外を否定し排除する”呪い”へと姿を変えてしまったのです。
故に麻央は『王子様』とは不釣合いな自身の女性的な身体を否定し、甘いもの好きを否定し、可愛いを否定してきた。
麻央はそれでも『王子様』として多くの人に手を差し伸べてきたが、自縄自縛状態に陥り”呪い”を振り払えなくなってしまった彼女の、その奥底に、手を差し伸べる人が必要だったはずだ。
隠しきれない可愛さ、それでも――
さて、この項では学園における麻央の他生徒からの評について見ていきます。
前項で麻央本人は自身の可愛い部分を否定し見せないようにしている、と考察しましたが、他の生徒からはどう見えているのでしょうか。これについては、親愛コミュ内で描写があります。ちょっと見てみましょう。
――あれ?
全ッ然隠せてないみたいですが。
劇中のプロデューサー(以下、学P)も言っていますが、『麻央先輩が可愛い』というのは割と周知の事実のよう。『リトルプリンス』というあだ名も愛称としての側面があるようですね。
でもちょっと待ってください。麻央が『可愛い』と言われていい反応をしない理由は前述した通り「自分のカッコよさが損なわれてしまう」と考えているからですが、実際はどうなんです?
後輩たちはその精神性から麻央を「カッコいい先輩」として慕っていて、可愛さとカッコよさの両方を併せ持っているからこそ麻央は愛されていることが、実は明示されています。
つまり、麻央が持っていた「可愛いところがあるとカッコよさが損なわれる」という心配は、心配するに及ばないことだったんですね。
しかし麻央はこれをなかなか受け入れられないでいた……いや、見えていなかったのかもしれません。
学Pによるプロデュース前の麻央は『王子様』の形を決めつけ、「そうでなくてはならない」という脅迫概念に囚われていました。ましてやそれで一度すべてを失っているのなら尚更です。また失望されて、自分から人が離れていくのが怖くて、二度と同じ轍を踏むまいとしていた。その思いが、より彼女を”型”へと押し込んでいたのかもしれない――。
トラウマの治療、恐怖を振り切れ
麻央シナリオ最大の疑問。
「なぜ学Pは麻央に『まずは可愛いを極めてください』と言ったのか?」
結論を先に言うと、「麻央に願いの根源を思い出してもらう」ことと、「可愛さがあっても、麻央のカッコよさは損なわれない。むしろ併せ持っているからこそ愛されているのだと気づいてもらう」ことです。前項までで述べた内容ですね。
学Pが提示した『可愛いを極める』というのは、今の麻央に最も効果的な”特効薬”なわけです。しかし『良薬は口に苦し』という言葉がある通り、そう簡単に飲み込めるものではありません。実際、麻央も当初は反抗の意思を示していました。
だからこそ、学Pは初手で麻央の本心に寄り添う姿勢を見せて信頼を獲得し、後輩たちのような他者の視点から『素のあなたは可愛くてカッコいい』と伝えることで、麻央にトラウマへと共に立ち向かう決心をさせたのです。
もしもこのどちらかの要素が欠けていたなら、このシナリオはここで終わり、詰みです。
そこからは実体験として麻央自身に「可愛さとカッコよさを併せ持つ有村麻央」を感じてもらうための治療を開始するわけですが、学Pが持ってきた方法は確かに特効――でも、かなり思い切った手段でした。誤解を恐れずに言うなら、麻央を一旦『王子様』の役から降ろして、『王子様』の呪いから解放するという手段です。
そのために、一番執着していた外見に手を加え、女性装やキュート寄りな髪型を試すよう促します。ずっと避けてきたものに触れることに恐怖しつつも、学Pのサポートで麻央はそれを次々と試していきます。コミュ5,6話のお話です。
『王子様』の呪いから解放された麻央は、少しずつ自然体な姿を見せてくれます。コーヒーをブラックではなくカフェオレで飲んだり、甘いものを遠慮なく食べたりと、心からやりたかったことに手を出していきます。
そして8話にて注目のシーンが描かれます。メイドカフェにて迷惑客を追い払ったシーンです。
ここでやっと、麻央は素の自分自身の中にカッコよさがあり、既に憧れた王子様のようになっていることに気づきます。
元々麻央は過去の成功体験と挫折によって、自信を失ったのかもしれません。素の自分では舞台に上がれない、スターになれない。だから王子様の役を演らざるを得なかった。
でも、長年演じ続けたことにより、王子様のような気高い精神は、既に素の麻央の中に宿っていた。それは誰の目から見ても明らかであったが、唯一本人だけは気づいていなかった。
麻央を苦しめていた、形の決まった『王子様』の呪いを解き、どんなに可愛かろうとあなたは既にカッコいい王子様になれている。だから何をしても良いのだと、そう本人に知ってもらう。それが麻央シナリオの最も本質的な部分ではないかと思います。
有村麻央には、間違いなくスターの才能がある。
カッコいい精神は後天的にしても、確実にそれも麻央の一部だ。タラシだ。何をしていても人を惹きつけるその立ち振る舞いを、スターと言わずしてどう形容しようか。そうでなければ、非公認のファンクラブなんか勝手にできない。
『義を見て為さざるは勇なきなり』
麻央が時々口にするこの言葉、その意味をご存じだろうか?
元々は『論語』における孔子の言葉に由来し、『義を見てせざるは勇なきなり』とも表記される格言。人に正しき行いをするように促す意味合いで使われる。
――が、麻央がこの言葉を使っている文脈を見ると、明らかに自分自身に対して使っているように思えるのだ。
半分妄言に思われても仕方ないが、この言葉を取り上げたのは「本来の麻央は臆病な性格なのではないか?」という説が頭を過ぎったからだ。
考えてみてほしい。生来の世話焼き気質で誰かの世話をしていないと気が済まないような人が、わざわざ人を助けた時に『こうするのが正しいと思ったから、勇気を出してやってみたよ』なんていう意味の言葉を、自分に言い聞かせるように口にするだろうか?
人助けの行動も、恐らく王子様を演じている一環なのだ。困っている人に手を差し伸べ、トラブルをスマートに解決していく。元々臆病だった麻央は、表題の格言に支えられて勇気を持ってそれを実行しているのかもしれない。そして、先述の通りこの行動は長年の習慣化を経て確実に麻央のライフワークになっている。それでも心には常にこの言葉が息づいているのだろう。
「本来は臆病」と考えると、親愛コミュ10話での「ホラーが大の苦手」であったり、5話(女性ものの服を見に行く)や8話(メイドカフェで可愛いの勉強)、10話(ホラー映画を見に行く)での外出に麻央の方から学Pの同行を頼んでいることなどにも合点がいく。これらの外出は麻央単独でも主目的は果たせそうなものばかりで、特段学Pの同行が必須のものは実はない。
詳細は伏せておくが、『Luna say maybe』2話における麻央も、手毬に配慮しているように見えて、内心半分怯えていたのかもしれない。
それでも表には出さずすました顔をしているのもまた、麻央のカッコよさのひとつだ。
なりたい自分、なりたかった自分
※24/6/20 新規加筆
小ネタの項に書こうと思いましたが、内容的にこれでひとつ項を書いたほうがいいかと思って加筆してます。
実は私は元々『シンデレラガールズ』の方でPをしていまして(現役ですよ!)、ふとそのコミュの中にこんな言葉があったことを思い出したのです。
『なりたい自分になれなくても、なりたかった自分になれてる。』
こう語る早坂美玲(向かって左)は、昔雑誌で見たモデルのその堂々たる姿に憧れ、同じブランドの衣装で自身を包むようになった――という、「憧れの人物を追って自身もその姿を目指している」という点では麻央と同じ境遇を持つアイドルです。
そんな彼女が言ったこの台詞。その言葉の意味を解釈するなら、「自分の今の姿は憧れそのものではないかもしれない。でも、憧れた要素は自分のものとして手に入っている」と言いましょうか。
ある憧れの姿を目指していて、その姿を100%トレースすることはできていないが、「憧れを叶えて何を手に入れたかったのか」という点で目標は達成している。これは、有村麻央にも当てはまる言葉なのではないか? と思ったわけです。
麻央の憧れは『カッコいい王子様』ですが、その先で手に入れたかったのは「人々を魅了する、スターのオーラ」なのではないか? と思わずにはいられません。
その点で言えば、後輩たちから慕われ、本人の知らぬ間にファンクラブができている麻央は既に関わる人の心を奪ってしまうほどの魅力を持っている、と言ってもいいのではないでしょうか。
麻央自身もかつて見た歌劇の王子様に心を奪われ、その姿を目指してきた。様々な障壁がありその姿を完コピできたわけではないが、その圧倒的なスター性を麻央はもう手にしている。まさしく、「なりたいボクになれなくても、なりたかったボクになれてる」のではないか。
※余談…ちなみに早坂美玲は私の担当アイドルです。もっと言うと、その右隣にいる砂塚あきらも担当です。
私が思うに美玲と麻央はここで紹介した以外にも共通点が多く、(担当びいきと言われたら反論できませんが)いつか関わる機会があってほしいと思っています。この2人の共通点についてはそれだけで記事が1本書けそうなほどあるので、気が向いたら別記事で書いておきます。
フローライト、君だけの結晶を纏って
※24/6/30 新規加筆
有村麻央の最初のソロ曲、『Fluorite』。
その名は蛍石とも呼ばれる宝石のひとつです。
私はあまり宝石には詳しくなかったのですが、知れば知るほど「麻央って蛍石の擬人化か何かなんじゃないか……?」と思うくらいには要素が詰まっているので、ここで書いていきます。
9話では”Fluorite”の語源「流れる、変化すること」という点から、自身の変化を受け入れた麻央の心理を表していました。
ではそれ以外の要素に触れていく前に、ざっと蛍石の特性を列挙します。
紫外線を当てると蛍光色に光る
含まれる不純物によって、様々な色合いを持つ
モース硬度が低く、脆い
まずは1つ目の要素ですが、これは「自分自身で勝手に光るものではない」と解釈するのが良いかと思います。
麻央がなぜ後輩から人気なのか。それは麻央がカッコいい服を着ているからではなく、後輩たちに見せる振る舞いがカッコいいからだ。麻央のカッコよさは、”誰かを助けているとき”にこそ最も輝きを増す。独りよがりではいけないのです。
では2つ目。ここで言う『不純物』とは、麻央が受け入れられずにいた可愛い『ホントのボク』のことでしょう。
麻央はずっと自分が持つ可愛い要素が目指すべきカッコよさの邪魔をすると思っていましたが、実態はむしろ可愛いところも含めて他の生徒から愛されていました。本人は『不純物』だと思っていたものが、ただのイケメン女子にとどまらない麻央の魅力に繋がっているのです。
そして3つ目。シナリオを読破した方の多くが感じ取った通り、麻央は若干の危うさを持っています。
真面目な性格と広域的に見た視野の狭さ、そして意外と乗せられやすいところはちょっと心配になります。「広域的に視野が狭い」とは、6話にあった明らかに頓珍漢な本を読んでいることに気づかない(薄々疑っても「そういうものか?」で読む)や人助けをするのはいいものの集合時間に遅れるなどのことです。悪いことばかりではありませんが、これらの要素が揃うとなかなか怖いものがあります……。
このように、蛍石の性質とどことなく似ている要素を持っているのが有村麻央です。特に2つ目は解釈の上でも重要だと思います。
そうそう、楽曲『Fluorite』の歌詞やMVは読みこむと一気にシナリオの解像度が上がる(当人比)ので、オススメです。
総括的ななにか(書きかけ)
※24/6/30 新規加筆
で、結局麻央の親愛コミュってどういう内容だったん? というお話。個人的に重要だと思うポイントをピックアップすると次の通り。
麻央が目指しているのはかつて見た歌劇のスターのような、カッコいいアイドル
子役時代の栄光とそれを失ったことから、「自分のカッコよさ=『王子様』を演じること」と定義してしまう
加えて、「自分の可愛さ=カッコよさを弱体化させる不純物」という認識が根付く
本人の認識に反して、後輩たちからは「可愛くてカッコいい」という印象を持たれている
――ざっとこんなところでしょうか。ちょっとだけ説明を加えておきます。
2番目の「『王子様』を演じる」という点は、男性装や苦手なのにブラックコーヒーを飲む点などで表現されています。しかしここでの演じている動機は、P開始時点では「夢に近づくため」というポジティブな理由ではなく、「現在に背を向け、過去の成功を再現するため」というネガティブな理由にすり替わっていることをPが指摘していました。
そして、その”演技”が限界に来ていることは、麻央自身も理解していました。
そして3つ目の自身の可愛い部分を否定することで、麻央は自分自身を嫌いになっていました。
で、麻央自身の『素の自分』の認識が「可愛い」になっているのは語るに及ばない(そうでないとそもそも否定が起こらない)と思うのですが、シナリオ中で学Pが麻央に対して『可愛い』と言って麻央が照れるアレ。
この描写に対しての認識ですが、私は麻央は『可愛い』というワード自体を嫌っているわけではないのでは? と思うのです。
他の描写を見るとわかりますが、麻央は怒るときにはちゃんと言葉にして怒る人です。4話の冒頭とかは学Pのプロデュースを怒って取り消そうとしましたし。
しかし、『可愛い』と言われるシーンでは、それが学P以外からでも一回も怒っているようなそぶりがありません。
私は原典主義者なので劇中描写を最も重視します。それ故に、麻央が『可愛い』と言われて照れるのであれば、麻央はそういう人間と読み取るほかないと考えます。
麻央は自分が可愛いという自覚があり、しがらみがなければ褒め言葉として受け取れているはずだった。それが「可愛さはカッコよさを弱くさせる」という考えと結びつくことで、そう思ってしまう自分自身すらも否定していた――というのは、果たして考えすぎでしょうか。
――――ですが、麻央の自己評価とは裏腹に、後輩からは「麻央先輩は可愛いしカッコいい」という評価を受けています。詳しい話は先の項で論じているので省略しますが、つまり本人の思っている『有村麻央』と他者が見ていた『有村麻央』には大きな違いがあったというのが重要です。
本人が思っている『有村麻央』は完璧にカッコよく王子様を演じている状態で、対して他者が見ていた『有村麻央』は可憐な外見ながらも気配りをして自己を顧みず助けてくれる姿なのです。
それを学Pも実地調査で確認していたため、「あれ、これ本人のしがらみを解消すれば実力あるしスターになれるのでは……?」と思ってスカウトを決めたのでしょう。
えー、総括するつもりだったんですけどなんかゴチャったので一旦止めておきます。ここはまた書き直します。
ただこれだけは書いておくと、このシナリオ、要素多くて尺足りてなさそうだなぁ、と。情報をほぼ説明口調で説明した一方で「文脈で読み取れ!」みたいな部分もあって1回では整理しきれないと思います。
小ネタ・小噺
制服じゃない?
麻央が普段着として着ているこの衣装、一見制服に見えますが、左上には『いつもの私服』と書かれています。これがなぜ小ネタなのかというと――。
似たようなジャケットを着ている莉波の服は『初星学園制服』と記載されているのです。
……これが何を意味してるかって? ならばわかりやすく、ジャケットのボタンを拡大して見てみましょう。
制服と確定している莉波のボタンには初星学園のデザインが施されています。制服あるあるですね。しかし、麻央のボタンはどう見てもそこら辺で買える量産品です。
また、麻央のジャケットは左前の男性物です。
ここから導き出せること、それは麻央の普段着は制服ではないということです。
他にも私服登校をしているアイドルがいるので、初星学園は制服がありつつも普段は私服登校を認めているのでしょう。
麻央の服は部分的に制服の要素はありつつも、少なくともジャケットに関しては市販品を使っていると思われるので、学園側としては私服と扱っているのだと思います。近年女子制服をスカートとパンツの選択制を認める学校が増えています(初星学園がそうかはわからない)が、ジャケットを異性用で着用することまでは認められていないのかもしれません。
こういう学校は、正式な式典では制服の着用を義務付けている場合が多いので、いつか麻央の制服姿を見られる日が来るのかも……いや、来ないほうがいいのか? うーん、ジレンマ……。
藤田ことねの爆弾発言
※24/6/25 新規加筆
↑これの話。麻央の話じゃないけどこれも麻央シナリオ批判の燃料に使われているのがやるせないので、ちょっと触れておきます。
この台詞に対して批判をしている投稿が反響を呼んでいました。「ことねになんてこと言わすんだ」「いくらなんでも酷すぎないか?」などの意見が飛び交っていますが、私は燃やすほどの発言には思ってないです。
一応ことねの親愛コミュを全話読了してきているので、ことねについては大体把握しているつもりです。その上で、第一にことねは相手との関係性の段階で結構態度を切り替える子だと思っています。
あまり詳しい話をし始めると趣旨が変わるので割愛しますが、ことねは他所向きの顔もできますが、信頼を置いている相手には思ったことを割とそのまま口にすることが多いです。ことねシナリオにおける学Pへの態度や初星コミュでの咲季や手毬への態度を見ていればわかると思います。
麻央とことねはサポカコミュで多く描写がある通り、既に関係性を深めているので先輩・後輩の線引きはありつつも、最も関係の深い上級生(学Pを除く)なのではないかと。信頼関係は一定以上にあると考察しています。
また、ことねはこの発言の直後にちゃんと地雷を踏みぬいた自覚をしているような反応をしています。真のノンデリはこんなことしない。
それから、ことねはまだ15歳の高校生です。
考えてもみてください。学校の寮の寮長であり後輩たちから大人気の麻央先輩。その後輩から『先輩可愛い!(カッコいいのは言うまでもない)』と言われているにも拘らず頑なにカッコいい系を崩してこなかった先輩。迷惑をかけている自分にも嫌な顔一つせずになんだかんだ世話を焼いてくれている寮内のスターが、なんと可愛い風にイメチェンしたいと言ってきたのだ。
こんなの、寮内で一大スクープになるに決まってるじゃないですか!
しかもそれを自分だけが誰よりも早く知っている状況。寮生の誰も見たことがないスターの素顔がそこにはあるのだ。こんな状況、興奮しない学生が果たしているだろうか?
まあ、「(言葉選びが悪いという意味で)言わないほうがいい発言」であることには同意しますが、こういう状況に置かれたことねがこの発言をした背景事情にも同情できます。麻央もそんなに引きずってないし……。
作劇上の観点でも、この時の麻央は「他人からの評価・イメージを一回素直に聞くこと」が必要だったので、遠慮せず素直に言ってくれる麻央の後輩(≒ファン)としてことねは適任だったのではないかと思います。変にモブ生徒を使っていないからこそ、「嫌味やからかいではなく、正直な感想としての発言」だというニュアンスが伝わってくる――伝わっているものだと思ってたんだけど、どうしてこうなった……。
見えていた”諦め”
※25/7/4 新規加筆
ふと、麻央のコミュを見漁っていた時のこと――
そんな、そんな……。
麻央の経歴を思うとこう思っていたことは理解できますが、いざ言葉にされると胸が詰まります……。
これ以外にも試験不合格コミュは見ているこっちも苦しくなる内容になっています。回収するにはプロデュースを失敗させて試験に負ける必要がありますが、ぜひとも見てみてください。多くはここでは語りません。
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