読書についての手記 4
私は読書が好きだ。履歴書の趣味特技にも読書と書いた。何故好きかと聞かれれば小難しいことを言うだろう。しかし包み隠さずぶち撒けてしまうと、読書してる自分カッケー、これに尽きる。面倒臭い自意識と思われるかもしれないが、本音は女性にモテたいからである。ド直球の自我なのだ。
私は異性愛者の男性であり性的嗜好は女性である。女にモテたい、そういうことだ。最初はバンドをやることを考えた。というか実際にはやった。バンドやろうぜ。しかしバンドマンに対して退廃的なイメージを持つ女性が一定数いることを私は独自の調査で明らかにしている。サンプル母体が小さいことは重々承知だが有意差がでており、つまりはエビデンスがあるのだ。バンドは辞めにした。ネガティブなイメージが一切ないチートみたいなのはないものかと考え続けた。
そして読書にたどり着く。専ら漫画を読んでいた私が文庫本を手に駅前書店のレジに並んでいる。映画なら数人の女性が瞳を輝かせながらため息をつくカットを挿入しても良さそうだ。
何を読むか誰を読むか、それが問題だ。その頃のインターネットは黎明期を抜けた過渡期だった。そんな時代、ある限定的な人種の中で匿名掲示板というものが流行していた。そこでめちゃくちゃに叩かれている作家がいた。名前は伏せるが本国のポストモダンの最高峰である。しかし売れっ子作家はアンチも湧きやすいのだ。そりゃあもう石橋だったら崩壊しているくらいに叩かれていた。
私も叩きたい。恥ずかしながらそう思った。この手記は自戒を多分に含むのでご注意されたし。しかし読んでもいない小説のことを叩けるはずもない。仕方なく割と評価が高めな長編を読んでみた。これが噂に聞いていた沼ってやつだったのだ。
現在の私は、刑務所で読書するのが日課である。誰にも邪魔されずに本と向き合えるこの環境はまさに天国だ。ただし無期懲役の刑という条件付きではある。何故こんな状況になっているのか、説明しても誰も信じないだろう。だから省略させて頂く。
ここからは問題点を記述しておく。ユリシーズも失われた時を求めても読破した私だが最近何か物足りないのだ。それは女性だ。刑務所内で幾ら格好つけて読書していても肝心の女がいないということに何とか気づくことができたのは僥倖だ。さて、どうしたものか。