街風 episode15 〜夢の続き Part.2 デスマーチ編〜
デスマーチが始まった。
初めはみんなで自分達のクラスの誰が可愛いとか誰と付き合いたいとか他愛ない話をしながら盛り上がっていた。まだ朝早いこともあり夜の涼しさの名残もあった平坦な道は歩きやすかった。携帯のGPSを確認しても少し早いペースで歩いていた。やはり全員が中学からバスケ経験者だった事や今までのキツい基礎練習を乗り越えてきただけあって、みんな入部した当初よりも体力気力ともに有り余っていた。
しかし、歩き始めて2時間もすると段々と太陽が高く昇りはじめ気温もぐんぐんと上昇していった。みんなの口数も減っていき、1時間おきにとっていた休憩の時もみんな終始無言になっていった。そして、ショウタがルートを確認して早めの昼休憩を取ることにした。近くのファミレスに入ってソファに腰をかけると同時に全員が机に突っ伏した。料理が運ばれるなり、みんな黙々と口に運んでいった。
「想像以上にハードだな。こんなんで本当に目的地に着くのかよ。」
食事を終えてみんなで休憩していると、エイトは不満そうに言った。
「まあまあ、ペースは順調だし焦らずに頑張ろうぜ。」
ショウタはそう言ってみんなを励ました。実際にエイトの言っていることはみんな心の中では共感している。ただひたすら歩くだけの行為に何があるのだろうかと心の中のモヤモヤは消えていない。
「さて、そろそろ行くか。」
ショウタの一言でみんなは立ち上がってデスマーチを再開した。
ファミレスの外に出ると、天国から地獄に突き落とされた気分になった。太陽は真上からギラギラとアスファルトを照らして、遠くを見ると陽炎が立ち込めている。そして、さらに全員を絶望させたのがここからは登り坂ばかりだということだ。なるべく前を見ないように一歩一歩しっかりと歩くことに集中した。先輩のアドバイスで水筒ではなく2Lのペットボトルを持っていったが、すぐに無くなった。山道に入る前にコンビニに立ち寄って飲み物を補充して、熱中症にならないようにだけ気をつけた。登り坂を歩いている時は、今にも四足歩行になるのではないかというくらいの前傾姿勢だったと思う。多少の前傾姿勢の方がリュックが少し軽く感じるのだが、地面に近づけば近づくほどに熱気が顔に当たる。焼肉屋の鉄板が顔の近くにあるような感じだ。自分の顔面も焦げつくかのようなアスファルトの暑さは5人の体力をどんどん奪っていく。
登り坂をある程度上っていくと山道に入っていった。林の中は日差しが木々に遮られて暑さが和らいでいた。しかし、カーブも高低差も多くて足の裏はジンジンと痛みが増すばかりだ。たまに木々がなく開けた場所があれば少ない体力を振り絞って日陰へ急いで歩いた。1時間に1回だった休憩も30分に1回取るようにして、なるべくペースを落とさないようにした。集落と集落の間の道では電波も届かず、自分たちが今どこにいてどんなペースなのか分からない。
歩き続けると、小さな集落が見えた。5人は少し元気を取り戻して歩くペースも早くなった。そして、集落に着いて古びた商店の前に設置されたベンチに腰をかけた。売店で飲み物を買ってみんなで一休みをすることにした。
「いやー、疲れたな。」
エイトは飲みかけのペットボトルの水を飲み干してから言った。
「ここはどの辺なんだろう。」
そう言いながら、携帯を確認した。すると、そこには予定していた地点よりも遅れている場所にいることが分かってしまった。みんなに言おうかどうか迷っていると、シュウが尋ねてきた。
「予定通りに進んできてる?このペースなら問題無いかな。」
何と言えばいいのか分からずに口籠っていると、エイトが携帯を覗き込んだ。
「おいおい、予定よりも大幅に遅れてるじゃんか。これだと最初の宿に着かないんじゃないのか。」
そう言うとエイトは大げさに落胆してみせた。
「そうなのか、どのくらい遅れているんだ。」
ショウタは落ち着こうとしながら聞いてきた。
「時間で言うと、2時間くらいかな。」
そう言うと、みんなは一斉に無言になってしまった。重苦しい空気が漂う中で蝉の鳴き声だけが鳴り響く。
「まじかー。あー、もうしんどいなあ。」
エイトは既にやる気が無くなってしまった。エイトの不貞腐れにも近い雰囲気が全員を飲み込もうとしている。
「今ここで考えられる選択肢は2つあると思う。一つは、もう一つ先の村まで行って少し早いけれど宿に入る。そして、当初の予定よりも少し早めに出発して今日の遅れを取り戻す。もう一つは、今から遅れを取り戻して予定していた宿に泊まる。」
シュウは冷静にみんなに提案した。どちらを選んでも今日か明日の自分たちがしんどいだけで、どちらがいいかは分からない。みんなそれぞれ考えて意見を口々にするが一向にまとまらない。
「ここはリーダーのショウタに任せるよ。」
リュウジはそう言ってショウタを見た。自分を含めた他の3人もショウタの判断に委ねることにした。
「よし、分かった。当初の予定通りに行く。今からみんなで少しずつ遅れを取り戻そう。」
5人でよし!と気合を入れ直して再び歩き始めた。また山道に入り始めると少しずつ日が傾いているのが分かった。ただ、日が傾くと陽射しも弱くなっていきペースは少しずつ早くなっていった。そして、また小さな村に到着して休憩を取った。僕は右ふくらはぎに少し違和感を感じていたが、筋肉疲労だと思って気にしない事にした。ただ、動かしていないと筋肉が固まってしまいそうだったので、休憩中もストレッチをして筋肉をほぐしていた。
次の山を越えたら、予定通りの宿にたどり着く。この休憩中に事前にシュウが宿に予約の電話をしてくれた。出発前にノブ先輩から高校名とバスケ部だと伝えれば、先方も分かってくれると教わっていたので、言われた通りに電話をして予約を入れようとしたら、電話に出た女将さんは人数を聞くなり二つ返事で部屋を取ってくれたらしい。
休憩時間を少し早めに終わらせて5人で歩き始めた。相変わらずアップダウンとカーブは多くて、どんどん足の感覚が無くなっていった。暗くなる前に辿り着かないと真っ暗な道を歩く事になってしまう。街灯も全く無い山道をこの疲労状態で歩き続けるのは怪我の可能性が高くなる。そう思って、みんなは辛くても黙々と歩き続けていた。そして、歩き続けるうちに右足のふくらはぎの違和感は大きくなっていき、とうとう足がつってしまった。でも、ここで自分のせいで休んでしまうと目的地へ辿り着く時間が遅くなってしまう。みんなに気づかれないように一番後ろを歩いていたが、だんだんみんなとの距離が離れてしまった。僕の前を歩いていたリュウジが振り返った。
「ケイタ、大丈夫か。おーい、みんなちょっと止まってくれ。」
リュウジは、息を切らしながらも大きな声で前の3人を呼び止めた。そして、道の端っこに集まって一時停止した。
「これは足がつっているね。この状態でずっと歩いていたのか。どうして言ってくれなかったの。痛かったでしょ。」
そう言いながら、リュウジはふくらはぎが少しでも楽になるようにテーピングを巻いてくれた。
「テーピングありがとう。少し楽になったよ。他の4人に迷惑かと思ってなるべく我慢しようと思ってたんだけど、身体は騙しきれなかったみたい。」
足をさすってそう答えると、ケイタははあとため息をつきながら
「おいおい、誰も足手まといなんて思わないし、怪我なんてスポーツしてたら起こるだろう。そんなところで俺らに変に気を遣う必要なんてないぞ。」
他の3人もそうだそうだと言ってくれた。みんなへありがとうと伝えてゆっくり立ち上がった。すると、リュウジは僕のリュックを持ってくれた。自分で持つと言ったけれどリュウジは譲らなかった。
「俺の方が身体がデカイし、あとちょっとだから大丈夫。困った時はお互い様でしょ。いつかこの恩は返してもらうから。」
リュウジは笑いながら僕のリュックを前に下げて歩き始めた。テーピングを巻いてもらって荷物を持ってもらった分、さっきよりも随分と足取りは軽くなってみんなと同じペースで歩くことができた。
日も落ちかかり周りの景色はオレンジから紫色に変わりつつある中を歩き続けると、今日の目的地の町が見えてきた。今までの集落や村よりも大きくて少し高いビルも点々と見える。
「やっと着いたー!」
エイトは町を見るなり声を上げた。みんなも足が軽くなった気がしてスキップするかのように軽やかに歩いた。町に入った頃には日もすっかり暮れてまばらな街灯を頼りに宿を目指した。宿に着くと、シュウの電話を対応してくれた女将さんが出迎えてくれた。
「あらあら、よく来たわね。いらっしゃい。」
女将さんはそう言うと、僕達を部屋に案内してくれた。5人一部屋で広々とした室内に通されると、部屋の隅に荷物を置いてからみんなで大の字で寝転がった。
「みんな、お疲れ様。」
うつ伏せになったまま、ショウタはみんなに声を掛けた。みんなも寝転がったまま反応した。このまま眠ってしまいそうだったので、重たい身体をゆっくりと起こして立ち上がった。
「このままだとみんな寝ちゃいそうだから、その前にみんなで大浴場に行こうよ。」
そう言ってみんなに呼び掛けると、みんなもゾンビのようにのそのそと起き上がって風呂に入る準備をした。
大浴場に行くと、他の宿泊客の姿はなく貸切状態だった。身体を洗った後にみんなで湯船に入ると、はぁーっと声を揃えて足を伸ばした。みんなの足はパンパンになっており、広々とした湯船で入念に足をマッサージした。みんなで今日一日を振り返りながら疲れ切った身体を癒した。
風呂を上がって部屋に戻ると、続々と料理が運ばれてきた。どうやらここの宿代は全てバスケ部に直接請求が行くらしい。お金の心配もせずに5人は心ゆくままに美味しい料理を堪能した。食事を終えてお皿を下げてもらい、5人は布団を敷き始めた。明日は少し早く起きて出発することに決めた。みんなで布団に入り電気を消そうとしたが、時間はまだ21時も回っていない。みんなでウトウトしながらも特に話題も無かった。そんな時、エイトがリュウジに話しかけた。
「なあ、リュウジってあのリュウジでしょ。中学時代は県内最強のセンター候補。入部した時に一目見て分かったんだけど、確信が無くてさ。まだバスケやってたんだね。あの噂は本当だったの?」
リュウジはその言葉にどう答えていいのか戸惑っていた。
「まあ、どのリュウジだっていいじゃないか。」
見兼ねたシュウがリュウジをフォローした。すると、リュウジは重い口を開いた。
「ああ、そうだよ。」
「リュウジってそんなに有名だったの?」
僕はみんなに問いかけると、みんなは驚いたようにこちらを向いた。
「バスケをやっていたのに知らないのか。」
シュウは呆れたようにそう言った。そして、リュウジの代わりに中学時代の話をしてくれた。
「俺は小学校の頃からバスケをやっていたんだけれど、その時からすでにリュウジの名前は有名だった。小学生にして170cmオーバーの長身と強靭なフィジカル、それなのに敏捷性もある。常に選抜に選ばれては最優秀賞を獲る、将来を約束されたプレーヤーだった。そして、地元の中学校に進学すると1年生でレギュラーに選ばれて全国大会にも出場した。俺が知っているのはここまで。それ以降、俺が卒業するまでその中学は大会で見かけたことも無ければ、リュウジの名前を聞くこともなかった。だから、風の噂でリュウジは怪我をしてバスケから身を引いたと聞いていた。それがこうやって一緒にバスケ部に入部して一緒にデスマーチをしているなんて不思議だ。」
そう言い終えると、シュウはリュウジを見つめた。
「自分で言うのもなんだけど、今シュウに言ってもらった内容は殆どが合っている。でも、唯一違うのは俺がバスケを辞めた理由だ。」
リュウジは懐かしむように語り始めた。
「小学生の頃から身体を動かすことが大好きで、友達に誘われてバスケを始めてみた。バスケはやればやるほど自分が上手くなっていくのが分かったし、身体もどんどん大きくなってきたことで、誰よりも自由にコートの中を駆け回ることが楽しかった。そして、試合に勝つたびにその喜びも倍増されていった。本当はバスケ推薦で私立の中学校へ行くつもりだったけれど、家の都合で結局は地元の公立中学校へ行くことになった。でも、中学に入ってからもバスケは楽しくて仕方がなかった。体力も付き始めて今まで以上のパフォーマンスが出来ている実感もあったし、練習をすればするほどに結果が追いついているのが分かって嬉しかった。ただ、今思えばそれが崩壊の始まりだったのかもしれない。
試合が一番好きだった。というよりも試合をすることよりも自分より強い相手を探すことに夢中になっていたのかもしれない。小学校時代の終わりには自分のライバルと思える相手はどこにもいなかったし、中学のバスケ部の中にも自分のライバルはいなかった。だから、初めて戦う対戦校の中に自分のライバルを探し求めていただけかもしれない。でも、ライバルはどこにもいなかった。だからこそ、試合に勝ち続けていけばいつか自分よりも強い相手に巡り会えると信じていた。
そして、全国大会初戦。相手は青森県の私立名門校だった。試合が始まってみると相手は自分よりも弱い人ばかりだった。だけど、味方のパスミスや連携不足でどんどん点数を取られていった。挽回しようと必死になって得点を入れ続けたが、その倍以上の点数を入れられた。そこじゃなくてあっちにパスを出せばいいのに、そこはパスじゃなくてドリブルでしょ、と味方のプレーに少しずつ苛立っていき、試合が終わってみれば惨敗。初の全国大会はあっけなく散った。
翌日、部内ミーティングが開かれた時に今までの不満や鬱憤が爆発してしまった。
”どうしてあの試合あんなミスばかり連発したんですか。普段通りやっていれば勝てる試合だったし、もっと普段から練習をしっかりしていれば絶対に起こさないミスですよ。”
声を荒げながら苛立ちを表すように言った。すると、先輩たちからこう言われた。
”お前は天才だから分からないんだよ。”
そう言われてしまうと、こちらも何も言えなくなった。その一言は自分と周りを突き放すのには十分だった。その翌日から状況は変わった。いつも通り、誰よりも早く来て自主練をしてからみんなと同じメニューをこなしていたが、ミニゲームや軽い実践練習で自分にパスが全く来ない。ただただコート上を走り回るだけの時間が増えた。そして、ある日の他校との練習試合中にプツンと糸が切れてコート上に立ち尽くしてしまった。その日のことは全く覚えていない。
翌日には、退部届を出してバスケ部を去った。そして心にはバスケが好きという気持ちも残ってなかった。そこからの毎日は退屈でつまらなかった。バスケももうやる気出ないし、体力つけるために日課だったランニングと筋トレだって何も無い毎日を埋めるためだけのルーティーンになっていった。
そんな感じで無気力に中学時代を過ごして、高校受験でここが受かったから何も考えずに入学した。そして、部活オリエンテーションでバスケをもう一度やりたいって思い始めた。ショウタとケイタがランニングしてた時にタクミ先輩と話をして今までの過去の事を話した。まあ、俺と同じく中学バスケで大活躍してた人だったから、俺の事情も全部分かってくれた。そして、特別扱いせずにみんなと一緒に基礎練習から始めるって事で納得して入部を決めたんだ。
だから、俺はもう一度みんなと楽しくバスケをやりたいんだよね。自分より強い相手を探すよりもみんなで楽しくバスケをした方が絶対に良い経験になるし。」
リュウジは語り終えると、静かにふうっと息を吐いた。
そして、シュウを見つめながら呟いた。
「俺もこんな高校に天才プレーヤーが来たなんて驚きだったけどね。」
リュウジは続けてシュウに質問をしようとしたけれど、エイトが遮るように話し始めた。
「リュウジにそんな過去があったなんてなあ。そんなプレーヤーに荷物を運んでもらうなんて他のこうこうだったら有り得なかったことかもしれないな。」
エイトはそう言いながらこちらを見て軽く笑った。どう反応していいか分からずにいると、ショウタが質問をしてきた。
「そういえば、ケイタはどうしてあの時にケガをしたことをすぐに言わなかったの?俺らを信用してないわけではないと思うけれど。」
そう聞かれて、ここで嘘を言っても意味がないと思って、リュウジをチラッと見てから正直に言おうと決心がついた。」
「実はさ、中学から俺もバスケをやっていたことはみんな知ってると思うけれど、中学2年生の時はケガで全く試合に出ることができなかったんだ。
それこそリュウジみたいに常にレギュラーで試合でも活躍し続けたような華やかな成績なんてないけれど、1年生の頃からレギュラーで試合にも何度も出ていた。
でも、中学1年生時の冬の大会で右足首を捻ってしまって、暫くはリハビリ生活が続いていたんだよね。
ケガも完治してやっと復帰できるようになって練習も再開したんだけれど、ケガをした時が常にフラッシュバックして、レイアップシュートを打てなくなっていたんだ。それ以外のプレーは何不自由なくできるんだけど、レイアップを打つ時だけ身体が自由に動かなくなってしまった。それから練習試合にも出させてもらったけれど、全く使い物にならなかった。結局、中学2年生の時は、ずっと1年生と一緒に基礎練習ばかりやっていて、トラウマは克服できずにいたんだ。
やっと中学3年生になって少しずつトラウマも解消できるようになったんだけど、結局最後の大会までに完全復帰できることはなく、出場した試合でも納得のいくプレーはできなかったし、チームも早々に敗退してしまった。
試合後にみんなで集まった時、他の同級生達から冗談混じりに“ケイタのケガさえなければなあ。”ってしきりに言われた。自分としては、その場は笑ってごめんごめんと謝っていたけれど、ケガについて誰よりもしんどい思いをしたのは自分だと思っていたので、それを一緒に頑張ってきた仲間達に言われて傷ついた。だから、ケガとかそういう辛いことがあっても自分は我慢をしないとダメなんだって思うように心掛けてきた。
でも、このメンバーには隠し事をしないで全部打ち明けたほうがいいなって今日は思えたよ。だから、荷物を持ってくれたリュウジもだしみんなにも感謝してる。」
柄にもなく、自分の過去や思いを伝えるのはいつ以来ぶりだろうか。みんなは話しを聞き終えると照れ臭そうに笑っていた。
「よし、今日はもう寝ようぜ。」
ショウタはそう言うなり部屋の電気を消した。みんなもおやすみと言って就寝した。
翌朝。太陽が少しずつ山間から顔を出し始めた頃、5人は出発することにした。みんなで計画した予定では、明後日には先輩達の合宿地に到着するはずだ。今日もまたひたすらデスマーチを続けるだけ。昨日の道中に痛めた右足も殆ど治っており、リュウジが念の為に巻いてくれたテーピングのおかげで大分楽に歩くことができる。寝ぼけ眼を頑張って開きながら、また5人は目的地へ向かって歩き始めた。
歩き始めて数十分。すでに5人は昨日の疲労が完全に取れていないことを身体で実感していた。両足に鉛をつけているかのように重たく、一歩を踏みしめるたびにつま先から太腿までの筋肉が悲鳴を上げているのが分かる。それでも先頭のショウタは一言も音を上げる事もせず、時折後ろの4人を鼓舞するかのように声掛けをしていた。2番目を歩くシュウも疲れてはいるものの5人の中ではまだまだ余裕そうな表情だった。昨日と同じ1時間に1回の休憩は時間を少し多く取ることにした。
今日のルートは昨日と違って途中の集落の数も少なく、場所によってはショートカットのためにコンクリートで整備されていない凸凹道も歩かなければならない。実際にこの2日目が一番過酷らしく、過去にもここで大幅にタイムロスをして先輩達の合宿地に間に合わなかった年もあったり、途中でデスマーチからリタイアしてしまった人もいたらしい。
午前11時を回った頃、ヘアピンカーブの先端部分の開けた場所でみんなで休憩を取った。ここから先はヘアピンカーブを歩くのではなく、今休憩しているこの場所から山の中へ続いている遊歩道のようなコースへ入っていく。入り口の案内板には、小さな集落への目安時間が書いてある。2時間と書かれているその案内板を信じていいのかは甚だ疑問である。
出発するときに街で唯一のコンビニで昼食と飲み物を買っており、場合によっては山の中で昼食を取るという算段だ。休憩を終えて出発する前に、それぞれの飲み物の量を確認した。そして、みんなで分け与えれば何とか生きていけるだろうと分かり、ショウタを先頭に遊歩道へ入っていった。
歩いてみると想像以上の道のりだった。遊歩道と言ってもハイキングコースのような道で、岩の段差や傾斜のある斜面を横切るような場所もあった。ただ、山の中ということもあり木々からの木漏れ日は優しく、昨日よりは比較的涼しいのが救いだった。昨日のケガした部分も悪化はしておらず、全員でペースが乱れることもなく歩き続けていた。携帯の電波も入らないため、頼りになるのは道の途中にある案内板のみだった。緩やかな勾配を上った後に、少し急な勾配を下っていった先に、休憩ポイントと決めた小さな街がある。上りきった所に休憩できるスペースがあるようなので、とりあえずそこまで頑張って歩くことにした。
今までよりも明らかに歩くペースは落ちていたが、誰もそんな事を気にする余裕は無かった。ただ目の前に一歩を踏み出すのがやっとで、残りの体力とか飲み物とかペース配分まで考える余裕はどこにも無かった。みんな膝上に手をつきながら息を切らして歩いていると、ようやく休憩スペースが見えてきた。やったあ、と掠れた声で喜んで休憩スペースのベンチに荷物を下ろして、今朝コンビニで買った昼食を取ることにした。
「それにしてもシュウとショウタは体力があるね。もうヘトヘトだよ。」
リュウジはおにぎりを頬張りながら2人を見て言った。
「昔から外で遊ぶ事も多かったし、そうしているうちに自然と体力もついただけだよ。最近は筋肉も付いてきたし。」
ほら、と言ってショウタはリュウジに力こぶを作って見せていた。リュウジとシュウはそれを見て笑っていた。その隣でエイトと2人でのけぞるように後ろに手をつけて空を眺めていた。
「いやー、いい天気だ。デスマーチじゃなければどんなに良いピクニックなんだろう。」
吹き抜ける風を心地良さそうに感じながらエイトは呟いた。
「本当だよね。」
それから2人で流れていく雲を眺めながらぼーっとしていた。
食休みも終えて十分に休息を取った5人は、再び山道を歩き続けることにした。ここからは下りばかりでケガには注意しなければならない場所だった。またショウタを先頭に歩き始めて目的地を目指した。まばらに設置されている案内板を見るとすでに出口まであと数十分程度だった。みんなはそれを見ても喜ぶ気力も無く、ひたすら山道を歩いていった。
前方が少しずつ明るくなってきていることに気づき、近づけば近づくほどに木々が続いていないことが分かった。そして、視界が開けた先には小さな集落があった。集落に辿り着いて散策をしていると川が流れており、川べりの斜面で休憩することにした。ショウタとリュウジは元気を取り戻し、靴を脱いでズボンを捲り上げると2人で川に入って遊んでいた。
「あー、もう無理だ。限界だ。」
エイトはぐちぐちと不満を漏らしはじめた。山道に入ってからもエイトは事あるごとに愚痴を言っており、たしかに気持ちは分かるけれども言い過ぎではないかと思ってはいた。強制されているわけでもないので、途中でリタイアしても誰も咎められるわけでもない。エイトの愚痴を聞きながらそんなことを考えていると、シュウがエイトに向かってキレた。
「そんなに嫌ならここでリタイアすればいいだろ。誰もお前に一緒に歩いてくれなんて頼んだ覚えはないんだから。みんなの迷惑だ。」
シュウは苛立ちを隠せずにエイトを突っぱねるように言った。エイトもその言葉にカチンときて、シュウに食ってかかろうとした。シュウの言葉に反応して振り向いたショウタとリュウジが慌ててやってきて、3人でシュウとエイトを止めようとした。その後も険悪なムードは漂い続け、とうとう出発予定時間となった。
「よし、みんな行くぞ。」
ショウタは先頭に立ってデスマーチを再開した。今日は次の街で泊まる予定だ。山道でペースは落ちたものの遅れは数十分程度に収まっている。
エイトは不貞腐れながらもデスマーチを続ける事にしたらしい。シュウも先程の出来事から一言も口を聞いてない。仕方なくリュウジと2人でエイトとシュウの間に入って歩くことにした。リュウジが大柄なおかげでエイトとシュウはお互いを見ることも無いので安心をした。ここからは休憩無しで進んでいく。エイトとシュウは相変わらず何も話さないので、他の3人も会話をする事なく黙々と歩いていた。人間は不思議なもので、エイトの愚痴が聞こえなくなってからは歩くペースも少しずつ乱されていき、沈黙のほうがみんなにとってしんどい時間となっていた。でも、みんなそれを言い出すのが気まずくて結局は黙ったまま歩くことだけに集中をした。
そして、今日の目的地の街へ辿り着いた。ここまで来れば、明日は半日程度を歩けば先輩たちの合宿地へ到着できるはずだ。今日は宿に事前予約の電話を入れる事を全員が忘れており、ダメ元で予定していた宿へ向かうことにした。ショウタは、宿へ向かう途中にあった中学校のフェンスで少し立ち止まった後、携帯で時間を確認してまたすぐに歩き始めた。今日の宿に着いた時間はまだ17時を回ったばかりだった。
ダメ元で空室確認をしてもらったところ、ちょうど5人部屋が空いており、ロビーで鍵を受け取ってエレベーターに乗った。ショウタは部屋番号とキーが繋がれているチェーンの大きな輪っかに指を通して鼻唄を歌っている。こういう時のショウタは何かを企んでいる。他の3人はそんなショウタを気にも止めず、部屋に着くなり床に寝転がった。相変わらずシュウとエイトは黙り続けており、部屋についても重苦しい空気に変わりはなかった。
「いつまでその調子なんだ。」
ショウタは、シュウとエイトに向かってそう投げかけた。ちらっと時計を確認した後、2人に続けて質問をした。
「2人ともバスケがやりたくてこのデスマーチも参加したんだろう。それにこれからの3年間はこの5人でバスケ部を続けていくんだぞ。このままずっとその状態で続けていくのか。」
ショウタは真剣な眼差しで2人を見つめた。それでも沈黙が続いていると、リュウジがシュウに問いかけた。
「俺さ、思い出したよ。シュウって中学校まではこっちじゃなくて東京だったでしょ。全国大会で対戦したことあったよね。」
その言葉に他の3人は驚きを隠せなかった。中学校までの部活動なんて常勝校じゃない限りは自分達の都道府県の強豪校しか知るはずもない。だから、シュウが他の都道府県で活躍をしていても自分の耳にまで噂が入ってくることなんて殆ど無い。けれども、リュウジのようにジュニア時代から全国大会に出ている選手なら、たしかに全国クラスの有名プレーヤーは一通り知っているはずだ。そして、シュウもその1人だったとは。
「そうだね、よく覚えているね。」
「実は、小学校の頃からのバスケ仲間がシュウと同じ中学校へ進学して、そこでシュウと一緒にバスケをしていたんだ。だから、その友達経由でもシュウの話はよく聞かされていてさ。だから、まさかここで一緒にデスマーチをしているなんて未だに信じられないよ。」
「中学時代のシュウはどんな感じだったの?」
僕はリュウジに何気なく聞くと、リュウジはシュウを気まずそうに見てどう答えるべきか悩んでいた。
「もういいよ、全部話して。」
シュウは観念してリュウジに委ねた。
「“孤独な天才”でしょ。」
その言葉を発したのは、意外にもショウタだった。ショウタ曰く、ずっと前にタクミ先輩から他の1年生について話を聞いていたらしい。その中でもリュウジとシュウは有名人だったと。
「先輩曰く、リュウジは“天才”という言葉は相応しくないらしい。確かに、持って生まれた恵まれた身体は神様からのギフトかもしれないけれど、それ以上に練習の積み重ねで身につけたスキルが一番の武器だと。だから、リュウジは一見すると天才と思われるかもしれないが努力家という言葉が一番相応しい。対して、シュウは“天才”という言葉が相応しい。PGとしての視野の広さと的確な判断力は、誰が見ても認めざるを得ないほどだと。ただ、唯一にして致命的な欠点が無ければまさに完璧だ、と言っていた。」
あのタクミ先輩から既にそれほどまでに実力を認められている2人を心の底からすごいと思った。そして、その唯一にして致命的な欠点が尚更気になってしまった。それに先程の“孤独な天才”というワードの理由を知りたい。
「シュウはすごかった。PGっていうのはコート上で司令塔としてゲームをコントロールしてマネジメントしていくが、シュウの場合は敵である俺たちのことも全て計算に入れてコート全体を俯瞰していた。対戦した時は、シュウに全てを支配されているかのようだった。そう考えると、あの日に負けたのは仕方なかったことなのかもしれないな。」
リュウジはそう言うと試合を思い出したのだろうか、窓から遠くの空を見つめていた。
「でも、それがどうして孤独につながるの?それならチームの事も全部分かるんだから、みんなで一緒に勝ち続けたんじゃないの?」
ついつい我慢できずに聞いてしまった。エイトと2人で話の続きを早くしてくれと言わんばかりにリュウジに迫った。
「信用してないんだよ。」
シュウはぶっきらぼうにそう言った。そして、孤独と言われる理由をみんなに話し始めた。
「俺は基本的に誰も信用してないし信頼をしていないんだ。コート上で信頼できるのは自分1人だけ。どんなに勝ち続けようとも周りのチームメイトは信頼できない。
小学校の頃は、勝ち負けよりも友達とバスケをやるのが楽しくて仕方がなかった。たまたま入っていたクラブが強豪で全国大会にも数回出場した実績があって、俺も高学年の時にはレギュラーとして全国大会にも出場していた。でも、その時は初戦で敗退した。試合に負けた後に他の試合を見ていても“もっと違う所にパスを出せばいいのに”とか“そこは違う”とか他チームのPGの動きを見ていても自分より劣っていると思っていた。そして、リュウジのプレーを初めて見たときに、こういう人とプレーしたらもっとバスケが楽しいかもしれないって思っていた。
全国大会は初戦で敗退してしまったけれど、数日後に両親の元へスカウトが来ていた。そのスカウトは都内で全国大会常連校の私立中学校の人だった。その日の夜に両親と話をして自分はどうしたいか考えた。そして、出した結論は”もっとバスケをしたい”だった。もっと上手くなって誰よりもコート上で自由に動き回りたいと思った。
中学に進学してバスケ部に入ると練習は大変だった。毎日ずっと走り込みと筋トレをしてから先輩たちの練習後の後片付けをしていた。ただ、部内の練習試合で成績が良いと学年を問わずレギュラーに選ばれる点では良かった。周りの1年生たちはボールに触れる練習も少なく、思った以上にプレーできる人はあまりいない中で、俺は先輩たちと一緒にいつも通りのパフォーマンスができた。監督にも活躍が認められて、いきなりスタメンでの起用ではなかったが、最初の公式試合からベンチ入りを果たした。
トーナメントの初戦、対戦相手は古豪の公立中学校だった。しかし、常勝である我が校の前との実力差は圧倒的であり、前半終了時点で既に大差がついていた。そこで監督は後半から俺をPGとしてコートに入れた。
初めての中学バスケの公式戦だったが、コートに入ると緊張もすっと無くなって辺り一面が静寂に包まれている気がした。周りの応援や掛け声など何も聞こえず、コート内の味方の声すらも小さくぼやけていた。鮮明に耳から入ってくるのは、バスケットボールが床に叩きつけられる音とバスケットシューズが床との摩擦でキュッキュッと鳴る音だけだった。
いつも通りボールをパスされるとドリブルをしながら周りの状況を瞬時に把握した、空いている選手がいればパスを回していなければ自分のルートを見つけて切り込んでいく。誰にも分からないが、俺にはルートが光って見える。そのルート通りに進んでいけば難なくシュートを打つことができる。そんな感じで試合時間が経過していき、気づけばダブルスコアとなっていた。それでも自分のプレーをもっと求めて手加減をすることなく徹底的に攻め続けた。試合終了のホイッスルが鳴って、全員で整列をした。最終的にトリプルスコアに近い点差で良いスタートダッシュを切ることができた。それ以降の試合も後半戦から出場機会をもらって、自分のプレースタイルを確立するかのように色々と試した。今思えば、1年生なのに試合中に色々と試すなんて調子に乗っていた奴だったと思うよ。そんな感じで苦戦することもなく、チームは全国大会への切符を手にした。
全国大会の初戦。相手はリュウジがセンターのチームだった。小学生の頃に見たプレーが未だに脳裏に焼き付いていた、そんな相手が目の前に立ちはだかる。初めて試合中に緊張をしていたのが自分でも分かった。その日はスタメンとして最初からコートに入って試合に臨むこととなった。コートの中でのリュウジに圧倒された。ディフェンスでゴール下を守っている時には、不動明王のように仁王立ちをして睨みをきかせ、ボールを持った瞬間にゴールへ向かって走り出すと誰にも止められないブルドーザーのようだった。でも、それでいてプレーは繊細かつ緻密で細かいトリックプレーもできるという器用さ。今まで出会った中でも一番と言えるプレーヤーに間違いなかった。でも、これは試合であり勝敗が必ず付き、負けたチームにはチャンスは無い。目の前の強大な敵をどのように倒すかを必死で考えた。リュウジのプレーに圧倒されて自分が普段の冷静さを欠いていることに気づき、クールダウンをしてから気持ちを切り替えることにした。
そして、いつもと同じように周りの雑音がだんだんと聞こえなくなってきて、ボールとシューズの音だけが鳴り響いてきた。一瞬だけ目を閉じて再び開けるといつもと違う景色が広がっていた。コンサートのステージのように、コートの外は真っ暗で何も見えず今立っているコート内だけが明るく照らされている。
目の前に立ちはだかるリュウジはたしかに強いが、このコート上の10人の内のたった1人だ。川の流れの中にある大きな岩も止めどなく流れる水を全て受け止めることは不可能だ。リュウジを避けるようにパスルートを探し、ディフェンスが剥がれた瞬間を見計らってパスを出す、もしも空いていなければ自分で切り込んでいく。そうやって少しずつ攻めていくと、だんだんとほころびが出てくる。リュウジ以外のメンバーは正直あまり強くはなかった。そして、立ちはだかっていた大きな岩も止めどなく流れる水の勢いにはとうとう勝てることができずにヒビが入っていった。すでにリュウジは体力を大きく消耗しており、限界を迎えるのは時間の問題だと思っていた。それに比べて、こちらは自分よりも経験もスキルもある先輩たちだったので、攻撃の手を緩めることはなかったし、ディフェンスも鉄壁だった。でも、第4Qの終わりに差し掛かってもリュウジだけはすごかった。試合開始と同じくらいのプレーを最後まで続けていた。1年生にも関わらずコートの中で誰よりも自由に動いていたのはリュウジだった。結果は、ダブルスコアを叩き出してこちらの勝利に終わったが、リュウジのプレーだけが心に残っていた。」
リュウジはシュウの話を聞いている間、照れ臭そうにしていた。しかし、中学1年生からすでにこれほどの実力だったとは。天才と呼ばれるに相応しい内容だった。また、シュウは話を続けた。
「そして、その次の試合にもレギュラーとして出場をしたが、先日のリュウジとの対決が未だに脳裏にこびりついていた。それと同時に、自分の限界を思い知らされた。リュウジの他にも全国にはスタープレーヤーが沢山いる。もちろん同じチーム内の先輩たちにも大勢のトッププレーヤー達がいる。そんな中で、自分らしいプレーはどこまで出来るのだろうか、どこまで通用するのだろうか、そう自問自答を繰り返していた。
そして、一つの答えが出た。それは、コート上を支配することだった。敵味方問わず自分を含めた10人の動きを全て把握した上で動けば、たとえ自分が自由にプレーできなくても自分の思い通りにバスケができる。
早速、いつものようにスイッチを入れた。いつもより感覚を研ぎ澄ます。一人一人の動きの特徴やプレーの癖を把握する。自分がこう動いたら周りはこう動くだろう、と思って実際にプレーしてみる、自分の予想通りに周りも動いた。何度か試してそれは確信に変わった。
そこからは独壇場だった。リュウジのような稀有なプレーヤーは殆どいなかった。どんなに上手くても中学生は中学生。まだ身体も成長しきっていないので、一人一人の個人差はたしかにあるけれども大きな優劣は無い。だからこそ、予想もしやすければ対策もしやすかった。トーナメントも難なく勝ち進み、決勝も第1Qからリードを守ったまま優勝した。
MVPにこそ選ばれなかったが、自分のプレースタイルは確立された。だが、それは逆に物足りなさと苛立ちの日々の始まりだった。
1年生の初の全国大会でレギュラーとして出場し、そこで自分のなりたい姿になってしまった。試合の翌日からの練習では周りのミスにばかり目がいってしまった。そっちではなくあっちに切り込めばもっと楽に得点に繋がるのに、どうしてゾーンディフェンスでそこに行ってしまうのか、小さなミスに苛立ちが募っていった。でも、それを感情的になって表へ出してしまうとチームに亀裂が入ってしまう。だから、そのような苛立ちを必死に隠しながら練習を続けていた。そして、毎試合レギュラーとして出場して殆どの試合に勝った。負けた試合についても、どこのミスがキッカケで崩れたか分かるので、原因となった周りのメンバーを少しずつ見下し始めた。
周りは勝手に動いてくれればいい、全て予測できるからそれに合わせてプレーを組み立てていけばいいだけ、次第に周りとの距離も離れていった。気づけば、部活外でチームメイトと交流する時間は全く無くなっていた。でも、おれは試合に出て自分の思い描いた通りに勝てばいいと思っていた。
中学2年生の時の全国大会では、リュウジのチームは出場していなかった。気になって調べたけれど、すでにリュウジはバスケを辞めていたようだった。結局、その年も優勝し、さらに翌年も優勝して中学バスケ生活が終わった。」
シュウの中学バスケ時代の話はマンガの世界みたいだった。でも、そんなスーパープレーヤーがどうして違う県の公立高校へいるのかが気になりさらに聞いてみると、シュウは少し暗い表情になったが、話をしてくれた。
「両親が離婚したんだ。それまでは順風満帆だった父親の会社が倒産して、父親は自暴自棄になった。転職活動もロクにせず毎日酒浸りの生活を送るようになった。毎日の生活や俺の学費は今までの貯金を切り崩しつつ、母親は仕事を始めた。
でも、父親は一向に再就職をする気がなかったのを見兼ねた母親は、父親と離婚をして実家に戻る事にした。父親がそんな状態だったので、俺の親権は母親に与えられた。学校とも相談して、中学卒業までは少し遠くなるが通い続ける事にした。授業料については、部活で活躍していたこともあって、奨励金として一部を免除してもらった。
チームメイトとも疎遠になって、父親とも離れ離れになって、唯一残ったのがバスケだった。だから、高校でもバスケを続けたいと思って、学費の安い近くのこの公立高校に入学した。だから、俺に唯一残されたバスケに対して、不満だらけの奴と一緒にバスケしたくないんだよ。」
シュウはそう言ってエイトを睨みつけた。エイトは、目を逸らした後に口を開いた。
「今日の事は悪かったよ。みんなにも迷惑を掛けた。やっぱり俺もみんなとバスケをしたい。」
エイトはそう言って姿勢を変えて再び話し始めた。
「俺さ、今まで飽きっぽい性格で何をやっても長続きしなかったんだよね。中学1年生の頃は最初にバスケ部に入部してさ、その時の公式戦でリュウジを初めて見たんだけどね。こんなすごい人もいるんだなあって思った。でも、結局は途中で飽きちゃって半年くらいでバスケを辞めちゃった。その後も色々な部活を転々として試合とかも出てみたけれど、やっぱり何も面白くなかったんだよね。で、結局中学2年生の秋くらいからずっと帰宅部で友達と遊んでた。
中学3年生になって、部活をやってる友達たちは最後の大会に向けて毎日必死に練習をしてて、何をそんなに頑張るんだろうってずっと分からなかった。でも、放課後帰る時に友達が仲間と一緒に苦しみながらも楽しそうに練習している風景とか3年生最後の部活日で泣きそうになってる姿を見て、なんか良いなあって思ったんだよね。
で、どうしてこんなに羨ましいんだろうって考えてみた。それで、3年間仲間と一緒になって頑張ってきたからこんなに熱くなれるんだろうなって思った。
だから、高校では何か夢中になれるものを見つけたいと思って、部活動の見学をずっと回ってた。バスケ部でノブ先輩に話しかけられて、今言った事を説明したら、バスケ部は基本的に自分たちで自律して主体的にやっているから俺の考えの答え合わせができると思う、って言ってくれたんだ。それでバスケ部に入部して今に至るってわけ。
色々と愚痴とか文句とか言って悪かった。でも、ここでリタイアしたり退部したら中学時代に逆戻りだから、みんなと一緒に踏ん張って頑張りたいと思ってる。」
エイトが話を終えると、シュウ以外のみんなはエイトに対して一緒に頑張ろうと声を掛けた。
「試合中に弱音を吐かなければいい。」
とシュウはぶっきらぼうに言い放ったが、優しい目をしていた。
「さ、という事で話も一段落したところで、みんな準備して行くぞ。」
ショウタはそう言って練習着とバスケットシューズを持って立ち上がった。他の4人は困惑した表情でショウタを一斉に見た。
「え、どういうこと?」
「ケイタもここへ来る途中に中学校のフェンスに貼られてたチラシ見ただろう。この街のバスケチームの練習が今日あるから突撃しようぜ。」
ここへ来る途中にショウタがたちどまっていたのは、そのチラシを見ていたからか。
「みんな疲れているだろうけど、リーダーである俺の言うことを聞いてもらう!」
そう言って、半ば強引にみんなを連れて宿を出た。中学校に近づくと体育館の明かりがついている。さらに近づくとボールが床をついている音とバッシュの摩擦音が聞こえてくる。ショウタは体育館へ入るなり、監督のような人を見つけて何やら話をしていた。そして、ショウタはこちらを振り返って頭の上に両手で丸を作った。体育館の入り口で待っていた僕たちもショウタの後に続いて入場した。そこには小学生から社会人までの様々な年齢の人たちがバスケをしていた。
「ウォーミングアップをしてから、練習試合をするから。」
ショウタはシューズの靴紐を結びながら僕たちに言った。
「本気で言ってる?俺らまだ実践的な練習なんて高校入ってから一度もやってないじゃん。相手チームにも迷惑だよ。」
リュウジは準備運動を止めて、不安そうにショウタに聞いた。
「大丈夫。そこら辺も全部先方には伝えてる。普段は練習試合できる機会も全然無いらしくて、それでも喜んでOKしてくれたよ。」
ショウタは笑っていた。僕たちは準備運動を各自でした後に、ウォーミングアップに入った。シュート練習とドリブル練習を軽くした後に、2on3で軽く身体を温めた。相手は高校生4人と社会人1人の混合チームらしい。体格も全員こちらよりも一回り大きい。でも、リュウジだけは劣っていなかった。
ウォーミングアップを終えてコートの中央へ整列した。高校バスケ初の試合が合宿への道中だとは。
試合が始まった。ジャンプボールで開始したが、早速リュウジの凄さを目の当たりにした。いつもの練習よりも1.5倍近くは飛んだのではないだろうか。
シュウの手に渡ったボールはショウタへ回って速攻を仕掛けた。ショウタが切り込むと見せかけてシュウへパスを戻す。シュウはそのままゴール下へドリブルするが敵が3人がかりでシュートを押さえ込もうとしている、すかさずリュウジへパスを出しガラ空きのリュウジはそのままシュートを決めた。
ディフェンスでは僕がパスカットを決めて、そのままエイトにパスを出した。エイトはボールを持つとそのままドリブルをしてゴールを目指した。驚く事にエイトのドリブルスピードは味方も敵も誰も追いつけず、ゴールした付近にいた敵も華麗にフェイントを入れてシュートを打った。シュートこそ入らなかったもののシュウとリュウジも驚きの表情を隠せなかった。エイト以外の誰もが思ったのが、プレーが完全に我流だという事。中学時代も部活動を転々としながらも試合に出場していたのは、きっと基礎が無くてもそれを補い余るほどの身体能力の高さに違いなかった。
試合はシーソーゲームのまま進んでいった。僕はデスマーチの疲労ですでにヘトヘトだった。ショウタがタイムアウトを取って作戦会議をし始めた。そこで驚愕の事を言った。
「やっぱり相手はめちゃくちゃ強いな。そろそろ俺らも身体の感覚が戻ってきたし、本気で戦いにいこうぜ。」
リュウジとシュウはショウタの言葉に頷き、僕と同じくらい疲れているエイトも2人に合わせて無言で頷いた。リュウジとシュウの凄さは感じていたけれど、ショウタも同じくらいの化け物だった。
タイムアウトが終わると、シュウの雰囲気が変わった。シュウから冷気が漂っているようだった。これが“孤独の天才”か、味方でも一瞬怯んでしまう鬼気迫るオーラは同じこうこうせいとは思えなかった。そして、リュウジも目つきが変わっていた。普段の温厚な目から獲物を見つけた肉食獣のような目つきになっていた。
プレーが再開されると自分の目を疑いたくなるような光景が広がった。シュウは僕たちがコートを上るのを確認しながら、的確にパスを出していく。僕や他のメンバーがボールキープをして攻めあぐねていると必ずシュウが空いていたので、パスを出す。そこからまた態勢を立て直して攻める。リュウジはボールをもらうと敵陣をパワープレーとテクニックで攻め崩しダンクシュートを決めた。相手がリュウジを徹底マークすると、外側からショウタが綺麗な放物線を描きながらスリーポイントシュートを決めた。相手も速攻をかけようとしたけれど、エイトが簡単に追いついて徹底的にマークをする。相手がショウタとシュウとリュウジを常に警戒しているので、僕とエイトで少しずつ得点を稼ぐ。
ホイッスルが鳴り前半が終わってみれば、すでにダブルスコアをつけていた。今まで一緒に基礎練習をしていた人達がこんなにもすごいとは思っていなかったので、僕は誇らしさと同時に足手まといにならないか不安になった。みんな息を切らしながら身体を冷やさないようにしつつ後半に向けて休憩を取っていた。シュウに限っては涼しい顔をしていた。
後半が始まると今度も自分の目を疑いたくなった。僕たちのチームの全員が前半よりも明らかにパフォーマンスが落ちていた。デスマーチの疲労の蓄積で、みんな疲労困憊のピーク状態だった。前半で大差をつけていたのに、終わってみればダブルスコアで大敗した。
整列をして相手チームや監督に何度もお礼をして、僕たちは体育館を後にした。
「いやー、清々しい負けだったな。」
ショウタは大きな声でキッパリと言った。
「やる前から体力の限界に近かったもんね。試合終了間近の時なんて試合をセッティングしたショウタを恨んでいたよ。」
「でも、そんな事言いながらもリュウジはすごかったなあ。社会人とか年上の高校生相手にゴリゴリでパワープレーできてたもんなあ。」
「めっちゃキツかったけどね。でも、あれもシュウがパスを出すタイミングが常に的確だし、パスをもらうと同時に自然とルートが見えたんだよね。」
「それは分かるかも。ショウタとシュウとリュウジの3人が警戒され始めると、僕とエイトの前にルートがあった気がした。」
「あー、たしかに。あれはすごかった。なんかこうやってチームスポーツで試合して心から楽しめたのって今日が初めてかも。やっぱりみんなで一緒にやるの楽しいわ。」
「そう思ってもらえるとセッティングした甲斐があるよ。でもさ、エイトのプレーは面白かったな。ドリブルとかシュートを打つタイミングとか、なんかすごい独特でオリジナリティ溢れてた。」
「えー、そうかなあ。バスケ部にいた時に一通りは教わったから、それを自分がしやすいようにちょこっと変えてるだけなんだけどなあ。」
「あれでちょこっとなのか。俺は今まで大体の人のプレーは予測できたけれど、エイトの動きとかだけは全然予測できなかった。だから、最初はめちゃくちゃ戸惑ったし何だこれって思ったけれど、型にはまらないからこそ一緒にプレーしていて面白いなって思ってきたよ。しかも、身体能力が高いから余計に敵も味方もどう動かれるか分からなかったと思う。」
「貶されてるのか褒められてるのか分からないね。でも、シュウは本当にすごいね。天才って言われている理由が分かったよ。」
「それはもう過去の話だよ。でも、今日の試合で分かった。これからはチームメイトを信頼して全員で一緒に試合に勝って喜びを共有したいし悔しさをバネにしたい。」
「そうだよね。僕もみんなに追いつけるように頑張るよ。」
「ケイタだって活躍したじゃん。でも、怪我した足を庇う癖がまだ抜け切れていないんだな。それを克服すればもっと伸び伸びプレーできそうだな。」
「え、本当に?自分では意識してなかった。なるべく早く癖を直せるように頑張らないと。」
「まあまあ。そんなに焦らなくてもいいと思うよ。ただ、明日もデスマーチは続くから出発前にまたテーピングを巻くね。それにしても、ショウタは試合中でもみんなを引っ張ってくれてたよね。中学時代から試合中もあんな感じだったの?」
「中学時代?俺のバスケの試合デビューはさっきの試合だよ。」
みんなでえっ?となった。あれ言ってなかったっけ?とショウタは全然気にしていないみたいだった。
「宿に戻ってきたぞー。じゃ、この話の続きは風呂にでも浸かりながら話そうか。」
何とも言えない4人を気にすることもなく、部屋に戻ると早速お風呂へ行く準備をし始めたショウタ。僕たちもショウタの後をついて行くように大浴場へ向かった。
「あぁー、気持ち良いなー。」
身体を洗い終えて、湯船に浸かった。大浴場は極楽浄土のように思えた。露天風呂もあったので、みんなで露天風呂に浸かりながら今日の試合をまた振り返っていた。そして、気になっていたショウタの過去について話す時が来た。みんなはのぼせかけていたので、風呂の淵に座って足だけを湯船に浸かってショウタの話を聞く姿勢をとった。
「みんなもそれぞれバスケ部に入った経緯を話してくれたし、俺もみんなに話すか。」
そう言ってショウタは話を切り出した。
「俺の通っていた中学校はバスケ部って人数が少なかったんだ。小学校の頃からバスケクラブに入っていて、中学校でもバスケを続けたいと思ってバスケ部に入部した。でも、その中学校のバスケ部はあまり評判が良くなかった。というのも2つ上の先輩達がいわゆる不良って人たちだった。練習もサボりがちだし、すぐに後輩をパシリに使うし、顧問の先生もお手上げ状態だった。そんな事はつゆ知らずに新入部員で入ったきた俺を含めた10人は3年生のパシリとして早速色々な雑用をやらされた。でも、2年生の先輩達も少ないし、このまま行けばスタメンで早くから試合に出れるかもって安直な理由でバスケ部を続ける事にした。
でも、そううまくはいかなかった。3年生の先輩達の最後の引退試合の1週間前。3年生の先輩の1人が他校のヤンキーたちに絡まれて大怪我を負った。その先輩は入院こそしなかったけれど、松葉杖生活を余儀なくされた。そして、他の先輩達は怒り爆発して、怪我を負わせた他校へ殴り込みを決行する事にした。
ある日、先輩達は授業をサボってその学校の校門付近で待ち伏せをして、授業が終わって校門を出てきたヤンキー達に襲いかかったらしい。結局、大人数同士でのケンカになったため、最終的には警察まで出動する羽目になった。で、うちの先輩と向こうの学校の何人かはそのままパトカーで連行された。そして、捕まった先輩達は保護観察処分になって、部活動は停止処分となった。でも、停止期間は数週間だったけれど、3年間の公式試合の不参加と学校側が決めたんだ。もちろん、俺らは猛反対したんだけれど、結果は覆る事もなくてそのまま決定、1年生と2年生は3年生のせいで中学校のバスケ生活の目標を失った。
公式戦に出る事すらできないし、そんな部活に入部していたとなっては内申にも響くということもあって、1年生も2年生もどんどん部活を辞めていった。そして、2週間が経った頃には部活に残っていたのは俺を含めて3人の1年生だけだった。俺とタイガとダイチ、この3人でずっと練習をやっていた。ドリブル、シュート、パス、基本的なことを2on1でひたすら繰り返す毎日だった。体育館もそんな事件の後だったし部員も3人だけだったから他の部活の隙間時間でコートを使って練習して、それ以外はランニングと筋トレをやっていた。みんなバスケが好きだったのと3人が仲良かったから、なんだかんだで試合に出れなくても楽しかった。たまに3人で社会人のチームの練習に参加させてもらって実戦に近い練習も積んできた。
そんな感じで2年生になったんだけれどもバスケ部の入部者数は0人だった。3人で笑いながら、やっぱりなー、と言っていた。2年生になっても俺たちはずっと練習だけを続ける毎日だった。
3年生になったら、あと1年で部活の公式試合出場停止処分も終わるということもあって、1年生が15人入部した。その年の部活のオリエンテーションで、今君たちが入れば今年は公式戦は無いけれど、翌年からは先輩がいないからレギュラー争いも他校と比べて楽だ、って言ったのが効いたらしい。特に引退試合も無かったので、最後の公式戦が始まる頃に3人で引退しようと決めていた。他校が最後の大会に向けて練習を頑張っている中で、俺たち3人は後輩たちのために練習することがメインだった。それで夏の前に俺の中学バスケ生活は終わった。
高校でもバスケをやりたいと思ったし、せっかくなら心機一転したいと思って、周りの友達よりも少し頑張ってこの高校に入学した。
だから、みんなも部活停止処分になるようなことはやめてくれよな。また同じ思いするのは嫌だから。」
ショウタはニカッと笑いながら話を終えた。このデスマーチでも誰よりも弱音を吐かないし今までも明るくてずっとポジティブだったショウタの過去を聞いて、みんなは何も言葉が出ずにいた。
「のぼせそうだし、そろそろ風呂上がるか。」
ショウタの一言で、僕たちは風呂を上がって部屋へ戻った。その頃にはみんなクタクタになっており、布団を敷いて早く寝る事にした。このままいけば明日は予定通り先輩たちに合流できる、デスマーチの終わりが見えてきたことは5人のモチベーションを高めた。
翌朝も少し早めに出発をした。上手くいけば昼過ぎには先輩たちと合流できるはずだった。しかし、昨日のバスケの疲れがひどく残っていた。みんなバスケをした事自体は楽しかったしお互いの親睦を深める事もできたので、誰もショウタに文句を言うつもりは無かったが、やはり身体は正直なもので全身が悲鳴を上げている。みんな足が上がらず、引きずるようにしてデスマーチを続けている。歩調も揃っていたので、まるで両足に足枷を繋がれたまま歩かされている捕虜になった気分だった。
今日のルートはずっと登りだった。合宿地が標高の高いところにあり、今までも少しずつ標高が高くなっている実感はあったが、ここまで登り坂が続くと本当に嫌になる。そして、今日の休憩ポイントは出発地点と合宿地のちょうど中間くらいにある道中の古民家カフェしかない。そこを逃してしまうと、他に休憩できるところは全く無い。今日も天気は晴れでギラギラとした陽射しは5人の体力を容赦無く奪っていく。みんな言葉を発する元気も無く、休憩中も飲み物を飲んで身体を休めることに徹した。でも、エイトも他のみんなも昨日のバスケとみんなのバスケ部入部の経緯を聞いた事もあってか、今までよりも顔つきはよくなっていた。
大きく緩やかなカーブを歩き終えると、真っ直ぐに続く道の横に古民家が見えた。駐車場には観光客と思しき県外ナンバーを付けた車が2台ほど停まっていた。僕たちは今持っている体力を全て使い果たしてペースを上げて古民家へ到着した。外観はみるからに年季が入っており、入り口の黒板プレートにメニューが載っている。本当にやっているのかと思いながらもお店の中に入ると、店内はリノベーションされており綺麗だった。僕たちは汗まみれの男子高校生5人が入ったことを申し訳なく思った。
「いらっしゃい。」
店主のおじさんが声を掛けてくれた。まるで友達のノリみたいな雰囲気で、ノリが大人になったらこんな感じだろうなあ、と想像してみたら面白くなった。
「今年もちゃんとここまで来たわね。」
さらに奥から店主と同い年くらいの女性が出てきた。このお店は10年以上前にこの夫婦がボロボロだったこの古民家を買い取って、そこからリノベーションをして今のカフェスタイルになったらしい。店内の改装だけで当初の予算をオーバーしてしまったらしく、外観は少しずつ手入れをしているそうだ。
毎年この時期になると我が校のバスケ部1年生は、僕たちみたいにヘトヘトの顔になりながらやってきて、ここでデスマーチ最後の食事と休憩を取るらしい。顧問の先生とも大変仲が良くて、今の合宿地で夏合宿を始めてから毎年1年生はここでお世話になっているとのこと。
「はい、お待たせ。」
奥さんが僕たちに今までの先輩たちがデスマーチをしてここへやってきた話をしてくれている間に、店主自慢のオムライスが5人分やってきた。
「いただきます!」
一口食べると今まで食べたオムライスの中で一番美味しく、デスマーチの昼食は常に疲労でみんな少ししか食べれなかったのに、あっという間に自分のオムライスを完食した。
食後の休憩をしていると、他の客もいなくなり落ち着いたタイミングで夫婦揃って僕たちのテーブル近くに座ってコーヒーを飲んでいた。そして、先ほどの話の続きをしてくれた。
「そういえば、去年に来た子の中で1人すごかったよなあ。今のみんなみたいにヘトヘトになっている仲間の中でただ1人だけ涼しい顔をしていたもんなあ。」
「そういえば、そうね。名前はタクミ君だったかな。涼しい顔であそこまで元気だったのは、今までここに来た子の中で唯一だったわね。」
コーヒーを飲みながら2人はタクミ先輩の話をしていた。このデスマーチも涼しい顔でやってのけたなんて。名前が出てくるたびにイメージアップするエピソードしか出てこない。ますますタクミ先輩を尊敬した。
「でも、顔つきがいいのは今年の君達だな。みんな良い顔をしてるよ。しかも全員が良い面構えをしてる。」
店主のおじさんはそう言ってコーヒーを啜った。僕たちは今まで歴代の先輩たちを見てきた店主にそう言ってもらって、お互いを見合って照れ笑いをした。夫婦の計らいでお座敷で少し横になって仮眠を取った。横になった瞬間に膝下から爪先にかけてじゅわーっという感覚がじんわりと広がっていったのが分かった。
仮眠を終えて、みんな重たい身体を一生懸命持ち上げて出発の準備をした。お店の2人に何度もお礼をしてから、僕たちはデスマーチ最後の道を歩き始めた。
午後になり今日も気温はどんどん上がっていた。標高が高いので地上よりは幾分か涼しいとはいえ、やはり日本の夏の暑さに変わりはない。僕たちは暑さで溶けてしまいそうになりながらも、ゾンビのようにのそのそと歩き続けることをやめなかった。
歩き続けること2時間。カーブを曲がると平坦に近い緩やかな下り坂が続いており、その先には建物が小さくちらほらと見えていた。
「見えてきたぞ!」
ショウタは後ろを振り返ってそう言い、僕たちもずっと下を向いていた顔を頑張って上げた。
「やっとだー!」
エイトは緊張が解けたような声で言った。僕たちは山道の終わりまで歩き、デスマーチのゴールである合宿地のある町を見下ろした。僕たちが出てきた道は、ちょうど町の端の山の部分にあり町を一望できた。そして、僕たちが目指している合宿所の建物が小さく見えた。合宿地は今いる地点から北東にあり、町を中心に見ると今いる場所からほぼ反対の位置だった。でも、そんなことは5人にとっては些細なことで、僕たちは合宿地を目指して最後の行進を始めた。合宿地が見えてからはみんな少しずつ元気を取り戻して、歩きながら雑談もできるくらいには元気になっていた。
合宿地までの道の最後の一本道に差し掛かった。ずっと真っ直ぐに伸びる一本道もその先にゴールが見えていたので苦にならなかった。坂を登りきると、体育館からは先輩たちのバスケをしている練習音が聞こえてきた。僕たちは5人横並びになってせーので合宿所の門へ一歩入った。
「よっしゃー!」
とみんなで声を上げて喜んだ。荷物を下ろしてみんなでハイタッチをして喜びを噛み締めていた。解放していた体育館の扉付近に立っていた顧問の先生が僕たちに気づき、小走りで駆け寄ってきた。
「5人で辿り着いたのか。おめでとう!」
先生は笑顔で一人一人に握手を求めてきた。そして、僕たちはそれぞれリュックから取り出した入部届を先生へ渡した。先生は笑顔でうんうんと頷きながら入部届を受理した。そして、僕たちを連れて体育館へ戻った。
「よーし、練習はそこまで。みんな注目。」
先生はそう言って練習を中断した。先輩たちは練習を止めて先生の方を注目すると、その後ろにいた僕たちを発見するなり、全員走って駆け寄ってきてくれた。
「みんな揃ってる!」
「デスマーチ完歩お疲れ!」
「よく頑張ったなー。」
先輩たちは、代わる代わる僕たちを見ながら言葉を掛けてくれた。顧問の先生もこの時間に来たのは史上初だと言ってくれて、僕たちを誇らしげに見てくれた。
「じゃあ、早速バスケでもしようか?」
タクミ先輩は少しイジワルっぽい口調で5人に提案をしてきた。僕たちは、みんなで顔を見あった後にショウタが”はい!”と元気良く答えた。タクミ先輩は驚いた表情をしたが、笑顔に戻って僕たちと練習試合をしようと持ちかけてきた。
僕たちはリュックから練習着とバッシュを取り出して着替え始めて、準備体操をしてからアップを始めた。みんな昨日の感覚が身体に残っていたらしく、デスマーチの疲れでプレーのキレは落ちていたものの試合はできるコンディションだった。
「タクミ、なんかあの5人いきいきしてないか?」
「やっぱりノブもそう思う?去年の俺たちとは大きな違いだよな。去年なんて練習試合するのだって、先輩に言われたから嫌々OKしたもんな。」
「嘘つけ、タクミは1人だけめっちゃ元気だったじゃんか。試合終了までフルスタメンで出場してたのはタクミだけだったよ。交代制限無しのルールだったから他の1年生は入れ替わり立ち替わりプレーしてたのに、タクミだけはずっとコート上で涼しい顔してたじゃん。」
「ははは、そうだったっけ。ま、今年の1年生達はどんな感じだろうね。楽しみだな。」
2人はバッシュの紐を改めて結び直しながら雑談をしていた。アップの時間が終了し、試合に出る1年生と先輩達はコート中央に整列した。挨拶を済ませてコート上に散らばり、ジャンプボールにはリュウジとノブ先輩がすることになった。
ホイッスルと同時に試合が始まった。高々と上がったボールの後を追うようにリュウジとノブ先輩がジャンプした。リュウジは昨日と同じくらいの富士山のような高さを翔んだ、しかし、ノブ先輩はそれを上回っていた、まるでエベレストだった。ノブ先輩はボールを味方へパスすると先輩達の攻撃が始まった。タクミ先輩がボールをキープしながら周りを見渡している。僕たちは体力も少なかったので、ゾーンディフェンスに徹することにした。ゴールエリア内に入ってきたタクミ先輩からボールを奪おうとエイトが動いた瞬間、タクミ先輩はニトロスイッチが点火したかのようにフェイントを入れながら急加速して切り込んできた。エイトを抜き、シュウを抜いた、そのままゴールに行かれると思ったがリュウジが立ちはだかった。タクミ先輩はそのまま無理やりゴールにいくと見せかけて右手でフェイクシュートを打ち、ボールを持った左手は腰の後ろから味方へパスを投げた。パスを受けた先輩がそのまま切り込んで見事にシュート。この一瞬のプレーで先輩たちとの絶望的な差を感じずにはいられなかった。でも、僕たちはその絶望的な差に逆に燃え上がった。シュウとリュウジに関しては全力を出せる相手を見つけてニヤけていた気がした。
僕がショウタにパスをしたところからリスタート。
「冷静に且つ全力で行ってみようぜ。」
ショウタはボールを弾ませながら、他の4人に大声で伝えた。うし!と他の4人が返事をすると先輩達もおもちゃを前にした子供のようにワクワクしていた。
「シュウも全力出すのか。困っちゃうねえ。」
「何を言ってるんですか。俺、聞きましたよ。タクミ先輩の中学時代の話。プライベートクラブで州大会を優勝したんですよね。」
「そんな話を知っているとはね。」
タクミ先輩は笑いながらシュウの話を聞き流していた。
ショウタはエイトにパスを出すとお決まりの速攻をかけた。立ちはだかる先輩にフェイントをかける余裕もなく、自慢のドリブルの速さで先輩を2人も抜いた。しかし、目の前に来たノブ先輩に気圧されてしまい僕にパスを回してきた。僕はシュウにパスを出そうとしたがタクミ先輩ががっちりマークをしていたので、すぐ近くのリュウジにパスを出した。しかし、リュウジもノブ先輩が来たのでまた僕にボールを戻した。ちょうど目の前が空いていたので、僕は自分から切り込んでいきシュートを狙おうとした。しかし、先輩が2人がかりでシュートを防ごうとしてきたので、後ろに構えていたエイトにパス、エイトにもプレッシャーをかけようとしてきたので、エイトから後ろにいたショウタへパスを出した。ショウタは迫ってくる先輩にも動じずにフェイダウェイシュートを放った。後ろに下がりながらジャンプをしてからシュートを打つまでの一連の動作がとても綺麗で、その空間だけが時間がスローに流れている気がしたし、その場にいた全員が見惚れてしまうくらいだった。ボールはネットを掠める音だけを鳴らして綺麗にスリーポイントが決まった。よし!とチームのみんなが心の中でガッツポーズをしたが、喜びも束の間すぐに先輩達も速攻を仕掛けてきた。タクミ先輩を起点とした素早いパス回しから最後はタクミ先輩自身で僕たちを3人抜きしてシュートを決めた。
「どうした。こんなもんか。」
ふふん、と笑いながらタクミ先輩はシュウを焚きつけた。しかし、シュウはそんな煽りにも動じることなく冷静だった。攻撃を仕掛けたがパスカットされてしまい、先輩達にボールが回った。今度はノブ先輩が切り込んできた。リュウジと同じようなブルドーザーのような進撃は、自ゾーンに先に戻ってきた僕たちを目だけで圧倒してきた。そして、ゴリゴリのパワープレーで次々と僕たちを抜くと、最後はゴール下のリュウジの前で片手でボールを掴んで跳んでいきダンクシュートを豪快に決めた。
「ちょっと大人気なかったかな。」
リュウジに聞こえるか聞こえないかの声でぼそっと呟くとリュウジを見ながら笑みを浮かべた。
リュウジはノブ先輩の後ろ姿を見ながらグッと拳を握りしめた。そして、よしっと気合を入れて気持ちを切り替えた。リュウジは先程のお返しとしてノブ先輩と同じようにドリブルで切り込んでいった。先輩を相手に次々と抜いていき、ゴールゾーンへ一気に入っていった。そして、右足で大きく踏み込んでゴールへと翔んだ。ハーフライン近くで見ていた僕はダンクシュートが決まったと確信した。しかし、ボールはゴールに入ることもなければバックボードに入ることもなかった。
「早く戻れ!」
シュウの声でハッとした時には既に遅かった。ハーフライン付近にいた僕とシュウの横を風が吹き抜けていった。振り返るとそこにはドリブルしながらコート上を駆け抜けるタクミ先輩の姿があった。僕たち1年生全員がそのスピードに追いつくことを諦めてコートに立ち尽くした。
「先輩たちがこんなに強かったなんて...」
エイトは絶望に打ちひしがれたような表情をしていた。僕もエイトと同じことを思っていた。この学校がバスケ強豪校だという情報は無かったし、ここ数年の大会もベスト8やベスト16止まりだったはずだった。でも、今目の前に立ちはだかる先輩たちは全国レベルのプレーヤーと言っても過言ではない。ここ1年くらいでいきなり強くなったのだろうか、理由は分からないがタクミ先輩とノブ先輩の強さは別格だった。
そして、試合終了のホイッスルが鳴った。
スコアを見たくないくらいに惨敗だった。最後までシュウとリュウジは先輩と競り合っていたが、タクミ先輩とノブ先輩の前ではそんな2人も赤子同然だった。整列後、僕たち5人はコート上に倒れるようにして大の字になって寝転がった。
「先輩たちの強さは異常すぎる。」
「なんだよあの動き...」
「もー動けない。」
残っていた体力を振り絞るようにみんな口々に先輩との試合を振り返っていた。見上げた先には体育館の天井に格子状に張り巡らされた鉄骨と照明がが見えるだけだ。疲れのせいで光がボヤけて見えてきた。ああ、もうこのまま眠りについてもいい、そう思いながら動かない身体とバクバクと動き続ける心臓の音を感じていた。すると、いきなり視界が真っ暗になったかと思い身体を反射的に起こすとノブ先輩が僕たち5人の顔にタオルを渡してくれたんだと分かった。エイトに至っては、顔の上に置かれたタオルを取る元気すらも残っておらず、まるで面布で覆われたみたいだった。
「縁起でもないなー、外行くぞ。」
タクミ先輩は笑いながらエイトを引っ張って起こすと、僕たちを連れて体育館の外へ来た。他の先輩たちもクールダウンを終えてぞろぞろと体育館の外へと出てきた。
入り口の裏手に背丈の低い草が生い茂る斜面があった。夕陽に染まっていた辺り一面は、まるでオレンジ色の絨毯を敷いたような綺麗な色をしていた。そこに着くとタクミ先輩はゴロンと横になって空を眺めた。僕たちもそれに倣って横並びに斜面に寝転がった。後から来た先輩たちも各々好きなところを見つけては座ったり横になったりした。
「ここは1日の練習の終わりにみんなでクールダウンする場所。いいところだろう。」
タクミ先輩は真っ赤に染まった空を眺めながら僕たちに問いかけた。
「とても綺麗ですね。なんだか時間の流れがゆっくりしています。」
僕はそう答えると、タクミ先輩と同じように真っ赤に染まった空を眺めた。雲の流れをぼんやりと目で追っていきながら、風で揺れるたびに草木が擦れる音の心地良さを楽しんでいた。しばらくすると、横からショウタの寝息が微かに聞こえてきた。
「でも、本当にさっきの試合はみんなすごかったよ。デスマーチを終えたのにあそこまで戦えるなんて思ってなかったからね。それに、試合形式の練習なんて入部してから1回もしてないのにみんな身体が動けていたよね。秘密の練習でもしていたの?」
「いいえ違うんです。実はデスマーチの道中で...」
僕は、タクミ先輩や他の先輩たちにデスマーチでみんなの思いを語り合ったことや地元の社会人チームと試合をしたことを話し始めた。真っ赤に染まった空は東から少しずつ紫色に染まりはじめていた。