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街風 episode.8 〜美味しさと優しさと〜
「ノリさんは、どうしてこのお店を開こうと思ったんですか?」
ケンジが聞いてきた。ランチの混雑も落ち着いてきた店内で、俺とケンジは皿洗いをしていた時だった。俺は、手を動かしたままケンジに話し始めた。
「マナミちゃんが花屋さんで働いている話を前にしたと思うけど、そこの店主であり俺の同級生のダイスケが一時期すごい落ち込んでいた時期があったんだよね。その頃のダイスケは、自暴自棄になっていて生きる気力も残っていないように見えた。」
ケンジは皿を洗う手を止めて、真剣な眼差しでこちらを見ていた。こいつは、本当に面白いな。じゃあ、ゆっくりと話でもしてやるか。
「ケンジ、そのお皿を洗い終わったらカウンターに座ってくれ。コーヒーでも飲みながら、俺の話をゆっくりと聞いてくれよ。」
ケンジは、ビー玉のような目をキラキラと輝かせながら、急いで自分の手に持っていたお皿を洗い終えると、カウンターへ座った。コーヒーを2杯淹れた俺は、ケンジの元に1杯置いて、もう1杯と共にケンジの隣に座った。
「俺とダイスケと、ケイタってやつもいるんだが、この3人はこの街が地元で小学校の頃から仲が良かったんだ。ただ、俺は高校を卒業したと同時に、都内の大学へ通うために上京して1人暮らしをしていた。大学を卒業して就職もしたんだけれど、色々とあってフリーターとして毎日を過ごしていた。そして、3年前にこの街へ帰ってきた時に、ダイスケにバーで偶然会った。」
ケイタの名前にピンと来ていなかった様子のケンジだったが、俺はそのまま話を進めることにした。兄弟揃ってお世話になっている先生だというのに、ケイタもかわいそうに。
「その頃のダイスケは、”ある出来事”がキッカケで自暴自棄になっていた。その”ある出来事”については、俺もケイタも知っていたし一緒にダイスケと涙を流した。しかし、ダイスケの心だけはずっと悲しみが癒えていなかった...」
あの日、俺はユウジさんに会うためにバーへ行くと、そこには見慣れた顔がロックグラスを片手にやさぐれていた。
「ダイスケか?久しぶりだなあ。中学生以来だな!」
「ああ、ノリか...久しぶり...」
「そんな顔をしてどうしたんだ。」
「俺は、もうダメだ。」
「明日は空いているか?」
「...今は毎日空いている。」
「じゃあ、13時に俺の家に来い!」
翌日、時間通りにダイスケは来た。
「お邪魔します。」
「おう、ちゃんと来てくれたな。そこに座って待ってて。」
そして、俺はサンドウィッチとコーヒーをダイスケへ持って行った。ダイスケは差し出されたサンドウィッチをあっという間に完食して、俺と一緒にコーヒーを飲んだ。
「久しぶりに食べ物を美味しいと感じた。ノリ、ありがとう。もう俺はダメだと思っていたよ。何を見ても美しいと思わないし、何を食べても美味しいと感じない、もう俺には心が動く事が無いと思っていた。動く心自体が壊れてしまったと思っていた。」
ダイスケは、コーヒーを飲みながら呟いた。そして、さらにこう言ってきた。
「でも、今日ここでノリのサンドウィッチを食べたら、こんな美味しいものを食べれる自分が幸せだってことに気づいたよ。俺は死のうと思っていたけれど、なんだかアホくさいって思ってきた。」
ダイスケは、そう言って笑った。
「俺も大学を卒業してから、心がぶっ壊れた時があった。だから、大学を卒業してからはいつも忙しいと言い訳をして、ダイスケやケイタと距離を取るようにしていた。こっちに戻ってくるたびに、ユウジさんのバーには毎回顔を出すようにしていたけれど、どうしても2人には合わせる顔がなかった。でも、”あの出来事”がキッカケで、俺は自分の人生を考えることにした。その時に、学生時代に働いていたカフェのことを思い出したんだ。そのカフェは、マスターが1人で切り盛りしていて、みんなマスターの淹れたコーヒーを飲むと笑顔になっていた。
俺は、自分も誰かを笑顔にさせられるようにしたいなって思った。どんな人間でも腹は減る。だから、どんな人でも何かを食べる。それで誰かを幸せにできたら、めちゃくちゃ嬉しいことだろうと思った。でも、俺は料理を満遍なく作れるわけでもないから、マスターみたいにカフェを開いてみようと思った。
だから、俺はこの街にこうやって戻ってきた。お店の場所も決まって、これから開店準備をする。そして、最初のメニューが今ダイスケが食べたサンドウィッチとこのコーヒーだ。」
「俺が最初のお客さんってわけか。」
「ああ、そうだな。」
「こんなに美味しいサンドウィッチとコーヒーなら、きっとお店は人気が出ると思うし、お客さんはみんな笑顔になると思う!応援するよ!」
こうして、ダイスケは俺の初めてのお客さんになった。そして、その日から少しずつダイスケは元気になってきて今に至る。俺も自分のカフェを開き、今はこうやって軌道に乗ってきて、バイトも1人だけだが雇うこともできるようになった。
俺は、正直ダイスケに食べてもらうまでは自信が無かった。あの日ダイスケにサンドウィッチを食べてもらえなかったら、自信が無いままグダグダとしていたかもしれない。ただ、ダイ坊が俺のサンドウィッチを食べ終えると笑顔になってくれたのが本当に嬉しかった。だから、もっと色んな人の笑顔を見たいと思ったんだ。
...俺は、このカフェを開いた経緯を話し終えると、コーヒーを一口飲んだ。ケンジは、俺の話を聞き終えると大きく息を吸った。
「ノリさんの”初めてのお客さん”は、ダイスケさんだったんですね。そして、ダイスケさんをサンドウィッチで立ち直らせたのはすごいです。」
ケンジは、自分のコーヒーが冷めつつあることも忘れて、興奮気味に言ってくれた。
「厳密に言うと、俺ができたのは”ダイスケにキッカケを与えただけ”だったんだ。あいつは、高校を卒業して実家を継いだけれど、両親からいつも同じことを言われていた。」
”いいか、ダイスケ。花は誰かの空腹を満たすこともできなければ、生活必需品でもない。でもな、花は誰かの心を満たすことができるんだ。”
「ダイスケは、その言葉を思い出したんだよ。だから、今でもあいつは”誰かの日常に彩りを”与えることができるように頑張っている。そして、いつもここに来るマナミちゃんもダイスケに彩られた1人だ。」
「日常に彩りを、か。僕はマナミさんに会えるだけで日常が彩られている気がしますけどね!心が幸せな気持ちでいっぱいになります!」
ケンジは、恥ずかしげもなくこういうことを素直に言ってしまう。聞いているこちらが恥ずかしくなってしまう。
「きっと、マナミちゃんもダイスケに感化されたんだろうな。本当に良いコンビだと俺は思うよ。」
俺は、そう言いながらケンジと自分の分のコーヒーを淹れ直した。コーヒーを淹れながら、一つの案が浮かんできた。
「ケンジ、今言った話はピンと来ていないところもあるだろ。今後、俺の業務をもう少し手伝ってもらいたい。デザート作りから始めてみよう。それだけでも俺は相当助かる。」
ケンジは、自分はまだ無理です!と言い張ったけれど、俺はそんな言葉に耳を貸すこともせず、我ながら良い案だと思いながら、来るべきその日に向けて構想を練っていた。
ケンジ、初めてのお客様は一生モノだ。
いつかの土曜日に向けて頑張ってもらおう。
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