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街風 episode.19 〜青春と晩秋〜
「もー、ノリさん。今日は何だか様子が変ですよ。忙しいのにぼーっと立っていたり、オーダーを聞き間違えたり、普段なら絶対にそんなミスはしないのにー。」
テーブルに残ったお皿とグラスを片付けながら、ケンジは愚痴混じりに言った。
「ああ、ごめんごめん。」
別のテーブルを拭きながら苦笑いをしていた俺はテーブルの同じ箇所をずっと拭きながらまたぼーっとしていた。
「ほら、また。店内いっぱいで外から入るの諦めたお客さんだって何組かいたのに。」
ケンジは愚痴を言いつつもテキパキと仕事をこなす。さっきまで土曜日の女神ことマナミちゃんに見惚れてぼーっとしていたのに、そんな自分の事は棚に上げて言うケンジは本当に面白い。今日の俺は仕事が手につかないから何も言うまい。
別に今日一日中ずっとぼーっとしていたわけではない。ただ、さっき店内に入るのを諦めたお客さんの1人に見覚えのある顔があった気がしていて、そこからずっと仕事に集中しきれずにいた。忘れる事のない記憶の中の顔とさっきのお客さんの顔が頭の中でリンクする。まさかね、と自分に言い聞かせて仕事に集中しようとしても、どうしても頭から離れない。たしかにケンジの言う通りぼーっとしすぎてしまっている。ようやく土曜のランチタイムを終えて、全ての席の片付けも綺麗に終わった。
「うー、寒い寒い。」
ケンジは、店の外に立てかけたランチプレートを店内へ戻すと腕をさすりながらカウンターへと座った。ランチタイムが終わるとディナーまでお客さんは殆ど来なくなるので、いつも少しだけ休憩を取っている。いつも通り2人分のコーヒーを入れる準備をしていると、店の扉が開いた。
「ランチタイムはさっき終わってしまいました。」
顔を上げながら扉の方を向くと、そこには1人の女性が立っていた。
「久しぶりね、ノリ。」
「ユリエ…。」
持っていたグラスを思わず落としてしまった。パリンと割れたグラスが店内に響いた。
「もー、何やってるんですか。」
ケンジが厨房へと周り込んで割れたグラスを片付けながら、またブツブツと文句を言っていた。俺は片付けてくれるケンジを置いて、目の前に現れたユリエを見て立ち尽くすだけだった。
「お店が混んでいたから、ちょっと時間をずらしたんだけど、どうやらずらしすぎちゃったみたいね。また来たほうがいいかしら。」
ユリエは昔と変わらない微笑みで俺に聞いてきた。
「いや、大丈夫だよ。とりあえず座りなよ。」
俺はぎこちなく目の前のカウンター席へと案内した。
「ノリさんの知り合い?」
俺の足元で割れたグラスを片付けながら、ひそひそとケンジが話しかけてきた。
「そうよ。高校の同級生。」
ケンジのひそひそ声が聞こえていたユリエは、カウンターの向こう側の見えないケンジににこりと笑いながらそう答えた。
「ああ、すみません。」
ケンジはびっくりして立ち上がる時に思いきり肘をカウンターの出っ張りにぶつけた。痛そうにぶつけた部分を摩りながら俺の横に並んだ。
「この子は、ケンジ。バイトの大学生だ。」
「真面目で性格良さそうな子ね。まあ、ノリが雇うんだから良い人に決まってるよね。」
ケンジを見ながらニコリと笑ってそう言ったユリエと目を合わせたケンジは、嬉しさと緊張で身体が少し固くなっていた。やれやれ、マナミさんだけじゃなくてユリエに対してもこうなるのか。俺は素直で可愛い反応をするケンジを見るのが好きだ。少し呆れながらも、ケンジを見て少し気持ちが和らいだ。
「どうしてここがわかったんだ?」
俺はさっき入れた自分とケンジの分のコーヒーをユリエとその隣の席に置きながら質問した。ギクシャクしながらケンジはユリエの隣に座った。
「つい先日、ケイタ君と偶然会ったのよ。ケイタ君は昔と全然変わってなくて見た瞬間にすぐ分かったわ。あっちも私に気づいてその場で大盛り上がりしたの。それで2人でご飯行った時に色々と聞いたのよ。」
「そうだったのか。」
「ええ、ここでお店を開いているって事とかここに至るまでに色々とあった事もね。仕事とか、女性関係とか…。」
「まったく、ケイタのおしゃべりはどうしようもないな。」
俺は自分用のコーヒーを淹れながら頭の中でケイタを小突いた。
「それにしても、久しぶりだね。こうやって再び会えるなんて思わなかったよ。」
俺はコーヒーを飲みながら遠くを見つめた。
「高校時代のノリさんってどんな人だったんですか?」
ケンジは、ユリエの方を向き直り興味津々に尋ねた。そういえば、以前に大学時代から今までの過去は話した事があるけれど、高校生の話はしたことがなかったな。
「聞きたい?」
いたずらっぽくこちらをチラッと見てからユリエはケンジの方を向いた。
「もちろんです!」
「ふふふ。いいわよ、ね、ノリ。」
「好きにしてくれ。」
俺はそう言ってコーヒをぐいっと飲んで、料理の下拵えを始めようとした。
「ノリはね、とにかくモテたわ。高校3年間でノリに告白して散った女の子は星の数ほどいるの。きっとその女の子たちの涙を集めたら泳げるくらいなんじゃないかしら。サッカー部に入っていたんだけれど、その当時のサッカー部は初めての全国出場一歩手前まで行ったし、そのレギュラーの座を守り続けたエースだったの。それに文化祭とかイベントが大好きな盛り上げ役だったし、クラスのみんなと分け隔てなく接していて、みんなから頼りになる存在だったわ。私は3年間ずっと近くで見ていたけれど、本当にいつもノリの周りには人が集まっていたの。」
「え、ずっと近くって事は2人は付き合っていたんですか?」
「正解。もう昔の話だけどね。」
「ええー!じゃあ、2人は元恋人なんですね
!そういえば、この間ノリさんが話してくれたユリエさんってまさか…。どうして別れちゃったんですか?未練とか無いんですか?」
ケンジはたまに直球ストレートをいきなりぶつけてくるから困る。俺はケンジとユリエの会話を聞きながら手を動かしていたが、その質問の時だけは思わず手を止めてしまった。
「色々とあったのよ。未練というか私は今でも好きよ。」
ユリエはそう言うとコーヒーを一口飲んだ。そして、カップを置くとこちらを向いた。
「ノリはどうだったの?」
「俺は…」
俺はあの頃を回想した。
高校時代は、ただひたすらにサッカーに毎日を捧げていた。朝練から放課後の部活の練習に明け暮れて、サッカーボールは友達というよりも恋人に近いくらいの距離感だった。だから、恋愛に興味が無いというよりも恋愛に割く時間も気持ちも全く無かった。
たしかユリエと出会ったのは高校入学してすぐだった。ケイタのクラスに顔を出しにいくと、ケイタのすぐ近くの席にユリエがいた。座っている佇まいだけでも凛とした彼女の周りを流れている空気は周りとどこか違っていた。そんなユリエに惹かれていって、ケイタと話す口実で足繁く教室へ通った。ケイタがユリエさんと仲良しだったのも功を奏した。その内、何人かのグループで遊びに行くようになった。
ユリエは周りの女子と違っていた。キラキラといつも賑やかな女子達とも仲良かったが、ユリエ自体はいつも大人びていていた。でも、それは全く嫌味が無く、いつもゆったりと心地良い空気が流れていたので、みんなユリエの事が大好きだった。男子達で集まると好きな女子の話になるが、毎回ユリエの名前は必ず挙がっていた。さっき俺が振った女子達の人数は多かったとユリエは言っていたが、ユリエに玉砕された男子達の数も負けてないくらいだったはず。
ユリエも今まで恋愛経験が無くて、好きな人とか恋愛とかがよく分かっていなかったのと、ユリエ自身も部活で忙しくて恋愛に夢中になれるほどの時間が無かっただけなのかもしれない。何人もの男子達が勇気を振り絞って告白をしたが、ユリエはいつもその場でお断りしていた。どうしてその場で断るのか以前に聞いた事があった。理由は至ってシンプルで、その場で答えが出せないイコール私がそこまで好きじゃないから、らしい。下手に考える時間をもらうことは、相手に待たせている時間を奪うことだから、そんな事はしたくないそうだ。でも、ユリエは勇気を振り絞って告白してくれた気持ちに対しては真摯に向き合って感謝していた。だから、ユリエにアタックして玉砕した男子は、お付き合いを諦めつつもユリエの事をますます好きになっていく一方だった。
そんなユリエと俺がちょくちょく周りの友達たち含めて遊びに行くものだから、俺とユリエが付き合っているんじゃないかという噂が定期的に流れていた。でも、その頃は本当に付き合っていなかったので、ユリエはその噂の真相を尋ねられるたびに、笑みを浮かびながらやんわりと否定していた。その含みのある否定の仕方が余計に噂を広める原因になったのかもしれないのだが。
実際に俺とユリエが付き合い始めたのは高校卒業間近だった。少しずつ2人で遊びに行くようになっていたが、お互いに恋愛経験が無かったのと、付き合っても今までと関係性が変わらないだろうと思い、ずっと友達以上恋人未満の状態が続いていた。でも、高校を卒業してお互いにバラバラになってしまうという思いと、ユリエとこの先もずっと一緒にいたいという気持ちが日に日に強くなっていき、俺はユリエに告白した。
「ユリエの事が好きです。付き合ってください。」
非常にシンプルな告白の言葉だった。
「その言葉をずっと待ってたわ。」
ユリエの返事はそんな感じだった。そうして正式にお付き合いをすることになった。高校を卒業してすぐにお互いの近況報告をするプチ同窓会が開かれて、そこで2人揃って付き合った事を報告した。周りからは、やっぱりかと言われつつも祝福をしてもらった。そして、実は俺もユリエが好きだったという男子達のカミングアウト大会が始まり、みんながみんな高校時代の好きだった相手を暴露し始めた。そこでも新たなドラマが生まれたのだが、それはまた今度。
俺とユリエは付き合い始めて2人の時間を大切にした。いろいろな場所に遊びに行って2人の思い出を増やしていった。付き合う前から2人で遊びに行く事も多かったが、いざ恋人同士になると気持ちも変わってくる。今まで歩いていた道も2人で手を繋いで歩くだけで映画のワンシーンを撮っている主人公の気分になった。ユリエも俺も煌びやかで熱々なカップル像ではなく、何気ない日々の喜びを共有できる関係性を大事にしていたので、ユリエといる時間は俺にとってかけがえのないものだった。このままずっとこうやって過ごせたらいいとその時は思っていた。
しかし、就職をしてから全てが変わった。いや、変わったのは俺自身だった。以前にケンジに話した事と同じだが、一言で言うと、調子に乗っていた。忙しさを理由にユリエとの間に少しずつすれ違いやヒビが広がっていくのが分かった。今思えば、それは俺が忙しさと自分への過信で招いただけだった。
「別れよう。」
ある日、ユリエを呼び出して2人でディナーに行った。高級アンティーク家具に薄明かりの間接照明に照らされた店内で食事を済ませて俺から別れ話を切り出した。ユリエは、驚いた表情を一切見せずにこちらを静かに向いて、
「分かったわ。」
とだけ言った。ユリエは他にも何か言いたい事があるようだったが、代わりにテーブルに置かれたワイングラスを持って残っていたワインをグッと飲み干した。そして、ユリエは静かにその場を去っていった。俺は1人席に座って、グラスに残ったワインを飲みながら今までを回想していた。
それから今まで新たな好きな人は現れていない。そんな毎日にこうやってユリエが再び目の前に現れたから動揺を隠せない。ユリエを目の前にすると、あの時に止まった時間が再び動き出す。
「俺も今でも好きだ。もう一度やり直したいと何度も思った。ユリエさえ良ければ、もう一度付き合いたい。」
自分でも驚くくらいにハッキリとした口調で目の前の席に座っているユリエに言った。ユリエは驚いた表情でこちらを見た。そして、少し寂しそうな表情になって、口を開いた。
「ありがとう、でも、もう遅いわ。」
ユリエはそう言って、胸元からチェーンをたぐり寄せて外に出した。そこには銀色に輝くリングが付いていた。
「私、結婚を申し込まれたのよ。つい先日にね。この指輪はサイズが合わなくてこうしてペンダントにしているんだけど。」
俺はその場で固まってしまった。咄嗟に言葉も出ずにただその指輪を眺めるだけしかできなかった。
「おめでとう。」
少し間を空けてそう言うので精一杯だった。ケンジは、おめでとうございます、とまるで自分ごとのように喜んで祝福していた。
「どうしてもっと早く私を迎えに来てくれなかったの。」
ユリエは寂しそうにそう言ってくれた。俺だって何度も迎えに行きたかった。でも、一方的に別れを切り出して、ユリエの事を全く考えずに別々の道を歩くと決めた俺に迎えに行く資格なんて無いと思っていた。ユリエと別れてから、他の女性と過ごしていても夜になるたびにユリエの事を思い出していた。夜を越えて新しい朝が来るたびに、隣にユリエがいない事を後悔していた。
「ユリエは新しい幸せを見つけられて良かったよ。俺には迎えに行く資格は無かったよ。」
俺は取り返しのつかない時間を悔やみつつ、ユリエにそう答えた。
「そうね。時の流れは残酷ね。そういえば、ケイタ君からカナエちゃんの事を聞いたわ。なんと言っていいのか分からないけど、カナエちゃんは最後までカナエちゃんらしかったのね。ダイスケ君は大丈夫なの。」
「あいつの時計も止まったままだよ。」
「そう、それは心配ね。」
俺も同じだな。ユリエと別れた日から恋愛の時間は止まっている。周りに追いつけずにいた。でも、その間にもみんなの時間は動き続けていて、目の前のユリエもこうやって今を生きて幸せになった。
「そろそろ、私は行くね。結婚式の日取りが決まったら連絡入れたいから連絡先を教えてほしいな。」
「俺も行っていいのか?」
「もちろんよ、相手もよく知っている人だもの。あれ?何も聞いてないの?」
「ああ、ユリエと別れてからユリエの話なんて俺のところに一切入ってないからな。」
「そうだったのね、じゃあ、お楽しみって事で。」
ユリエは高校時代と変わらない笑みを浮かべた。
連絡先を交換すると、ユリエは席を立った。結婚祝いということでお代はもらわなかった。ユリエは頑なに断ろうとしたけど、最後は折れてお礼を言ってお店を後にした。
ユリエがいなくなった店内で俺とケンジは2人きりになった。
「ユリエさん良い人でしたね。結婚かあ、いつかユリエさんみたいな素敵な人に出逢えるかなあ。」
ケンジはコーヒーを飲みながら自分の将来について妄想していた。俺はそんなケンジの妄想話を聞きながら、先程のユリエの表情がずっと頭の中に離れずにいた。過去の分岐点のどこかが違っていたら、俺はユリエと再び一緒に居れたのだろうか。後悔の気持ちが心の中で膨らんでいく。
晩秋を迎えた街の片隅にあるこの店内で、振り返っても戻らない青春の日々を思い出して懐かしんだ。
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