自分と同い年の部屋に住む。

真冬の寒い日だった。
僕は彼女と部屋を探して、東京のあちこちに出掛けていた。
彼女の住むマンションが老朽化で取り壊しになるということで、
心機一転、引っ越すことになった。
僕はその話を他人事で聞いていた。
僕と彼女はお互い別のパートナーが居る状態で出会い、
そのうち僕はあれこれあって離婚。
彼女の方も彼氏が仕事先に寝泊まりするようになり、
殆ど帰ってこない状態が10年近く続いていた。
「今住んでるマンションが新築になると家賃が3万も上がるって言われて、
こりゃもう無理だわ、引っ越すから部屋探し手伝ってよ」
と、言われた僕は単純に「あ、一人で暮らす部屋を探すんだな」と思ったわけだ。
ここでまずひとつ僕がやらかしている。
彼女の気持ちを全く汲めていなかったわけだ。

(あなたと一緒に暮らす部屋を探しましょうよ)

部屋探しを手伝って数日目、水道橋の古いマンションに内見に行った時のこと。
部屋の日当たりも間取りもよく、9階にある部屋からの見晴らしもとても良かった。目の前には後楽園遊園地と東京ドーム。
「ここ良いかもしれない!ここにしようかな・・・」という彼女。
僕は気のない返事をして、お風呂場を見に行った。
「ねぇ、ちょっと来て。このお風呂・・・」
「え、なにこれ・・・お風呂になんでこんな物が・・・?」
キレイにリフォームされた明るくて暖かそうな部屋の隅っこにあるその風呂場は、
まるでそこだけ廃虚のような場所だった。玄関側に小さな窓があり、そこには丁寧にサランラップで包まれた古びたお札が貼ってあって、なんとも不気味。
一緒にいた不動産屋さんのお姉さんに、「あの、このお風呂ってこれからリフォームするんですよね?」と聞くと、「えっと、ちょっと確認してみますね〜」と。
大家さんなのか不動産屋なのか、どこかの誰かさんと電話している間、
僕らは窓を開け外を眺めていた。
当然だけど交通量も多く、なかなかにやかましい。
「結構うるさいね・・・スーパーとかもなさそう・・・なんか冷静になってきた」
「そうだね、交通の便はいいけど生活はちょっと不便かもね。」
そんな会話をしていたら、不動産屋のお姉さんの電話が終わったようだ。
「おまたせしました。このお部屋はリフォーム終わっているそうなので、
現状でご入居頂けます」
そうか、てことはあのお札付きのお風呂もあのままか・・・
「ちょっと検討してみます。ありがとうございました。」
僕がそう言うと、不動産のお姉さんは愛想笑いで応えてくれた。
(そりゃ御札のはってあるお風呂は嫌ですよね・・・)そんな感じの笑顔だった。

外に出て、マンション裏のコインパーキングへ歩いていくと居酒屋が何軒かと、
ダイニングバー、小洒落たカフェがあった。
クルマを出して、そのあたりをちょっと流してみたけどスーパーやクリーニング店、電気屋みたいなものはまったくなかった。
やっぱりちょっと暮らしにくそうだ。10分も歩けば水道橋駅があり、その周辺には色々あるだろうけど東京ドームで野球やコンサートがある日なんかは、
大勢の人でごった返すだろう。
そんな中を買い物に出ていくこと考えるだけで僕はど〜んと億劫になってしまう。
毎日外食も嫌だしuber eatsな毎日もゲンナリしてしまう。
ここには住めない。

クルマの助手席でiPhoneを見ながら他の部屋を探している彼女が唐突に、
「ねぇ、この部屋探しの意味ってわかってます?」と投げかけてきた。
彼女が僕に敬語を使う時は、僕の呑気さにちょっとイラッと来ている時。
僕は部屋探しの意味と、彼女をイラつかせているであろう僕の落ち度を同時に探っていた。
「えっと・・・部屋探しの意味と言うのはどういう意味?」あえてとぼける作戦。
「やっぱりわかってないね。あ〜あ・・・わかんねえかなぁ・・・」
何故かちょっと嬉しそうないたずらっぽい笑顔で僕に問いかける。
(あ・・・なるほどね。そういうことか・・・)
東京生まれ東京育ちの僕は彼女に言わせるとせっかちの呑気者。
(ちなみに彼女は千葉県生まれの千葉育ち)
僕はぼーっとしているかと思えばいきなりハイペースで物事を始める。
一旦モードに入ってしまうとものすごい集中力だけど、モードに入っていない時の凄まじい呑気者具合に彼女は半ば呆れている。
そんな僕がやっと気がついた事といえば、彼女は僕と一緒に暮らすつもりだということだった。

僕の前の結婚はとうの昔に終わっていて、前妻との間に授かった娘ももう成人して働いている。そんなタイミングで彼女はそろそろ僕と所帯を持つモードに入っていたのだろう。僕も気づかなかった訳ではないが、どう切り出すべきか考えていた。
前の結婚での失敗が僕を慎重にさせていたのだろう。

いろんなことに考えを巡らせながら当てもなく車を走らせていると、
「なんか、おなか空いたよね〜、ね、美味しいコロッケ食べに行かない?」
「こ、コロッケ?また唐突だねぇ、でも食べたいかも。それどこ?」
「神楽坂なんだけど、水道橋からだと遠い?」
「神楽坂ね。すぐそこだよ。行ってみようか」
水道橋から神楽坂なんて目と鼻の先。キュッとハンドルを切って向かうは神楽坂。

名前からして古風な街であると想像していて、花街というイメージで大物政治家なんかが料亭で芸者を侍らかして悪巧みでもするような街、お妾さんが住む街、そんなイメージだった。そこにあるコロッケの美味しい店とは?コロッケ一つで千円とかしたら僕は腰を抜かしてしまうかもしれないなんていうバカみたいな想像をしながら向かった神楽坂は思ったより今っぽい、悪く言えばチャラい店もある下町だった。お目当てのコロッケも130円位と、庶民的で安心した。(ちなみに僕が子供に住んでいた板橋の商店街で母がおやつ代わりに食べさせてくれたコロッケは35円だった。じゃがいもと申し訳程度に入ってるひき肉だけの素朴な味が今でも忘れられない)
できたてのコロッケをパク付きながら、神楽坂上を赤城神社方面に向かって歩いていた。赤城神社の隣にコインパーキングがあったのだ。(今はコンビニが建っている)道すがら街の不動産屋を見つけたので、物件を物色してみる。
さすが神楽坂。高い。手も足も出ない。ここは無いかなァ〜と思っていた矢先、
不動産屋の中から若いお兄ちゃんが出てきて、店の前に立て看板を出して、
「今月のおすすめ物件」とチョークで書いて中に入っていった。
その看板には「1969年築、和室六畳、洋室六畳、キッチン4.5畳、バス、トイレ別。管理費なしの月98000円!掘り出し物物件です!お早めに!」
1969年といえば僕が生れた年である。なんかシンパシーを感じて看板を見ていると、さっきのお兄ちゃんが出てきて、「どうですか?この物件、ちょっと観ていきませんか?」と言うではないか。彼女の方もまんざらでもなさそうで、小腹も満たされた勢いで、なんとそのまま内見になだれ込んだのである。

程よく古びたそのマンションの二階角部屋。
玄関は白い壁。電灯は曇ガラスの傘がついていた。
スイッチを入れると乳白色の電球が淡い光を放って辺りを照らした。
玄関入ってすぐ右側にお風呂。開けてみると割と広く、湯船もある。
薄緑色のタイルが可愛い。
そのとなりはトイレ。床に敷き詰められた色とりどりのタイル。
あぁ、僕の実家もこんなトイレだったなぁ。懐かしい雰囲気だ。和む。
洋式トイレにはウオッシュレットも完備。これすごく大事。
フローリングのリビングには電灯はなかったが、襖で仕切られてる和室の電気をつけてみる。時刻は夕方。一月の夕方はもうほぼ夜だ。真っ暗に近い部屋で蛍光灯の冷たい明かりが部屋を照らす。
年季の入った飴色の天井。
玄関を振り返ると、この部屋がうなぎの寝床のように全ての部屋が縦につながっている事がよく分かる。小さいけれど、必要にして十分。洗濯機も室内に置ける。
彼女はあちこちを観察している。「ん〜なんかボロい。でもなんか落ち着くw」
まんざらでもなさそうだ。ふと、鴨居を見ると、そこには欄間があった。
建築当初からそこに嵌っていたであろうその欄間は深い茶色で、扇子の掘り抜き模様が施してあり、なんとも可愛らしくも粋な造作だ。
各部屋の壁は白塗りの壁で、ほのかな温かみを感じさせている。
不動産屋のお兄ちゃんは、「はっきり言ってボロですが、その分細かいことを気にせず住めますよ。入居が決まってどこか不便があれば大家さんはできる限りのことしてくれると言っていますので、考えようによってはおすすめ物件なんですよ」
と、彼女に話していた。

「どうかな?僕は割と好きな雰囲気なんだけど・・・」
「う〜ん、結構ボロいけど、なんとなく惹かれるものはあるよね・・・」
「決めてみない?」
「え?今?」
「うん、なんかここは良いと思う。」
「あなたがそういうのなら・・・」
彼女は僕の直感を割と信じている。らしい。

僕は不動産屋のお兄ちゃんに、
「ここに決めたいと思いますが、日当たりを見てみたいので、明日午前中からもう一回見に来てもいいですか?」と伝えた。答えはもちろん大歓迎だった。

翌日、抜けるような冬晴れの日、お昼前に僕らはまたこの部屋に来ていた。
和室の窓を開けると小さなベランダがあり、目の前には大きなマンション。
日当たりはあまり期待できそうになかったが、昼頃になると和室やリビングの腰高窓から日差しがたくさん入ってきた。
台所(キッチンと言うより、台所なのだ)トイレ、お風呂場にも窓があり、満遍なく日差しが入っていて、なかなかに暖かいし、明るい。
天気の良い休日に寝坊して、暖かい日差しが差す風呂場でひとっ風呂浴びる幸せな生活が簡単に想像できた。
彼女も日差しには満足しているようだった。
「どう?この部屋」
「欄間に日が当たると洋室の天井に扇子の影ができるの。すごく可愛い」
「よし、ここにしよう。ここで僕ら一緒に暮らそう」

僕はやっと決心がついたかのように言った。
決心はとっくについているのだが、二人の暮らしが想像できなかった。
この部屋でなら新しい生活が穏やかなものになりそうな直感があった。

かくして僕らの新しい生活が始まった。

不動産屋で契約をして、大家さんに直して欲しいところを伝え、
諸々手続きと引っ越しを終えて、二人で初めてこの部屋で寝る夜。
真夜中過ぎに徒歩30秒のコンビニで買ってきたビールとおつまみで乾杯した。
テレビもオーディオもまだつながっていない部屋で、二人肩を寄せ合って部屋を見渡す。こんな都会のど真ん中なのに辺りは静まり返っている。
引っ越しの段ボール箱から彼女は小さなトランジスタ・ラジオを取り出して、
スイッチを入れるとそのまま床に転がした。
ラジオから流れたのはエルヴィス・プレスリーの「好きにならずにはいられない」
甘いエルヴィスの歌声に助けられ僕は言った。
「待たせてごめん。結婚しよう」

道ならぬ恋から始まった二人の物語がなんとかかんとか着地した。
ふらふらと不安定で紙飛行機のような恋だったけど、
僕らは今でもこの街で暮らしている。
あの商店街をコロッケ片手に散歩して、
たまに贅沢して美味しいお店でご飯に行き、
行きつけのバーもいくつかできた。

そして何より、
天気のいい休日に二人でこの部屋で過ごす時間が何よりの幸せだ。
小さなベランダには鉢植えの花と小さな盆栽。
リビングにはレコードプレーヤーと古い小さなスピーカーと真空管アンプ。
とても良くできた箒で掃除をしながらレコードを聴く。
料理は僕の担当。洗濯と掃除は僕の奥さんになってくれた彼女の担当。
僕の実家で暮らす娘もたまに遊びに来ては、和室でゴロゴロくつろいでいる。

僕らはこの部屋を愛してやまない。
今夜も静かな夜。

好きにならずにはいられない。

#はじめて借りたあの部屋

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?