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我が家の愛猫が旅立ちました

はい皆様こんにちはDee-Sです。今回は音楽の話でもなく、ランニングやロードバイクの話でもありません。noteでは今まで一度たりとも紹介していませんでしたが、猫を飼っていました。名前はSasha(オス)です。そのSashaが2024年12月26日AM11:00頃に旅立ちました。17歳でした。人間の年齢にすると84歳、大往生でした。そんな彼は我が家にとって重要な役割と任務を果たし、家族に「福」ならぬ「幸」を招いてくれた存在でした。そんな彼が生きてきた証を飼い主である私がどうしても記録しておきたくて、このnoteで記します。どうかお付き合いいただければ幸いです。

悲しいお知らせは突然に


去る2024年12月26日AM11:02に高齢の母から突然の着信が入りました。私も仕事中だったので、いつもなら折り返し対応するか、時間を改めてLINEのメッセージで用件を聞く、という事をするのですが、何故かその時、虫の知らせなのか、とても嫌な予感がしたので業務中でしたが電話に出ました。すると母が「Sashaが…Sashaが死んじゃったの…」と泣きながら私に言いました。

余りにも突然すぎる連絡に感情が追い付かず、咄嗟に自分は「先ずは保健所に連絡するのと、火葬場の手配をして欲しい。」と伝えると母は「わかった、あなたの同級生の友人に連絡を取って、火葬場の手配をする」と。そして自分は「最期はどんな状況だったの?」と確認すると母は「実は前日にご飯も水も飲まず、血尿が出ていた。その後、心配で夜中の2時から様子を伺っていたんだけど、朝になったら息をしていなくて何度も声をかけたり身体をさすったりしても起きてくれないの。それで死を確認した」と。

状況を察するに猫がかかりやすい「急性腎不全」であると悟った。恐らくそのシグナルである血尿に母は気が付かなかったのだろう。でもその事を正直に話すと母は一生、危険信号を悟ることが出来なかった自分を死ぬまで責めると感じたので自分は「もう17歳だろ?大往生だよ。よく頑張ったよ今まで。母も充分世話をしてくれたし今までありがとう。感謝しているよ」と伝え、その後の手配を進めるようお願いをして電話を切った。

そして葬儀屋は当日夕方には自宅に来て、遺体を運び火葬場で合同火葬で送って頂いた。何でも業務ひっ迫でたまたま空いていたのが当日の夕方だったらしく、後日設定不可だったので急いで来たとのこと。そして夜19時に母から「火葬も無事に終わって、お見送りした」と報告を受けた。その電話を切った後、業務中だからと必死に我慢していた涙が一気に溢れ、大粒の涙が枯れるまで自分は泣き続けた。この記事を書いている時点でも未だに現実を飲み込みきれずにいる。

我が家の愛猫 Sasha

Sashaとの運命の出会い

Sashaとの出会いは2007年に遡る。自分は2005年に仕事のストレスからパニック障害と診断され、翌年2006年に徐々に克服しDJを再開。その頃の我が家は荒んでいて母もまた職場でのストレスから重度の鬱状態になり、自分と母は度々些細なことで口論になり、口をきかない、顔を合わせても何もお互い声をかけない、会話が無い、ホントに酷い状況だった。自分は母が何を想い、発言するのかを全く理解できないくらい意見が合わず、今後どのように生活をしていけば良いのかわからなくなっていた。勿論、母が重度の鬱状態であることは承知の上だったが、解決の糸口が見つからなかった。

そんな中で「もしかしたら」と考えたのが今で言う「アニマルセラピー」だった。犬か猫を飼育することで硬化し心を閉ざしてしまっていた母にもしかしたら有効かもしれない…そう考えて犬か猫のどちらを飼うか悩んでいたところ、古くからの知人に相談したら「丁度、猫のブリーダーが居て、生後2か月くらいのオスの子が残ってしまい、最悪引き取り手が居ない場合は保健所に連れて行って殺処分しなければならないから、誰か引き取ってくれるか探していると相談されていたから、紹介する」と。

何ともタイミングの良い話だった。最初は犬に気持ちが傾いていたけど、先ず「散歩」というハードルが高く、実家は賃貸マンションという事もあり、この時点で「よし、猫に決めた」と猫を飼う決心がついた。しかし問題は母である。母は大の「動物嫌い」だった。飼育について事前に相談すると絶対に反対される。ならば事前相談せず、自分の部屋で最初はコッソリ飼育して、バレたら正直に話そう、と考えて早速ブリーダーの家に友人と訪問した。

ブリーダーの方にご挨拶を済ませ実際に対象の猫を見せてもらう事にした。そのブリーダーはアメリカンショートヘア専門のブリーダーで、対象の子たちはどうやら近所の野良猫との間に出来た子らしく、ペットショップに卸すことが出来ない子たちである、と話された。別に自分は血統書付きの猫でなければいけない、という拘りもなく、ただ可愛い猫だったらそれで良かった。実際に目にしたのは4匹、どれもカワイイ子猫で生後2か月位だという。

どれにしようか本当に悩み過ぎて決められなかったので、思い切って自分は「我が家に来たい子、返事して!」と言ったら友人とブリーダーは思わず笑った。すると1匹の子猫が「にゃーん!」と返事をして自分の足元に来てくれた。もう話が早い。この子に決めた。するとブリーダーから「その子、凄く甘えん坊でカワイイですよ」と伝えられ、「じゃあ、この子にします。ありがとうございます。因みにトイレの躾は済んでいますか?」と確認すると「勿論大丈夫です。お持ち帰りの際はご飯を食べる用のお茶碗とトイレの砂を差し上げますので、そちらをご利用ください」と。

本当に丁寧なブリーダーさんだった。訪問時に自分は持ち帰り用のキャリーバッグを持っていたので、そのままお茶碗とトイレの砂も頂き夜中に自宅へ戻り、我が家に招き入れた。その日は事前にコッソリ自分の部屋に小型猫用のケージ、食事用の餌、飲用水も用意していたので母が寝静まる夜中に敢えて帰宅。ようやく猫との楽しい生活がスタートした。

猫との共同生活から母にバレたのは一週間後のことだった。今を思えば、一週間もよくバレずにやり過ごせたものだ。母は予想通り激怒してきた。でも自分は「もうブリーダーから頂いたし、大事に育てて欲しいとお願いされている。今更返すことは出来ないから、俺が責任を持って飼育する。」と説明し母はしぶしぶ了承。作戦成功である。

愛猫Sashaの寝姿

最初の壁は猫との接し方と躾

自分もまた猫を飼うのは初めてだったので、どうやって育てて良いのか分からなかった。まぁ分からないなりにGoogleで検索して猫との主従関係の築き方や躾について他の飼い主さんが実践していることをくまなく調べた。すると多くの方がしていた躾として「してはいけない事については現行犯で厳しく注意する」でした。

自宅は賃貸マンションかつ自分の部屋はDJブースに加えてレコードが大量にある。マンションの柱やレコードに爪とぎをされるのが最も困る事だったので、3か月位は爪とぎの場所をしつこいくらいに躾けた。そして多くの方の猫との接し方として「目線は一緒」「自分から可愛がりにいかない」「猫から来た時にはそれに応える」というのが最適という意見が多かったので、そのようにした。最初の1か月はどれも上手くいかなかったけど、3か月くらいかなぁ…やってよい事悪い事は理解してくれて主従関係も出来た。今を思えば割と頭が良かったのかもしれません。

あと、餌をあげるのは自分だったので、とにかく母のいう事は全く聞かず元々母は動物嫌いだったので最初の頃は主従関係が「自分>猫>母」でした。それを必死に「自分=母>猫」に修正するのが苦労しました。そのため、餌やりを自分から母に役割を変更し、徐々に慣れさせていきました。すると半年くらいしてから「自分=母>猫」と主従関係を理解してくれました。その頃には母も猫と毎日接することで動物嫌いも徐々に和らぎ、母から「Sasha可愛いね」と言われるようになり、とても嬉しくなりました。

愛猫 Sashaのとある日の表情

愛猫Sashaはどんな猫だったか

我が家にやってきたSashaはどんな猫だったか、と言われると親馬鹿丸出しな説明になってしまうんですが「とても臆病で甘えん坊でおとなしい子」でした。実際に「にゃーん」なんて鳴く時はご飯が食べたい時くらい。あとは自分がベッドで横になってる時に自分のお腹で丸まって寛ぐ時でした。そして母から教えてもらったネタとして「あなたが家に帰ってくるときの足音を察知したら急いで玄関に行って身だしなみを整えて両足揃えて待ってるのよ。それ見たら何だか可愛くって」と。それ聞かされて「猫ってそんな行動するの⁉」と思ったんですよね。確かに思えば自宅の玄関開けたらキチンと両足揃えてお迎えしてくれてたしね。

あとは他のご家庭の猫と同様で、朝晩1回ずつ、一人で大運動会をおっぱじめてドタバタ走り回るかと思いきや急にピタッととまってオッサンみたいな座り方をして毛繕い始めたり、見えない敵と猫パンチで闘ってたり、急にゴロゴロ鼻を鳴らして爆睡してたり。今そこに居られると凄く邪魔なところに鎮座してたり、時期ごとの寛ぐ場所のマイブームが存在し、居ないと思ったらそういう場所でジーっと自分のことを観察してたり。最初はビックリするんですけど猫って大体どんな猫も同様の行動をするようで言わばあるあるネタの通り。非常にわかりやすいタイプでした。

それと人間の感情を察するんですよ恐ろしいレベルで。自分が超不機嫌でイライラしながら部屋に入った時は、絶対に自分の部屋には入ってこなかったり、自分がメチャ落ち込んでいるときは自分の目の前にうつむきながら行儀よく両足揃えて座って「取り敢えず、話聞こうか?」みたいな素振りをしていました。自分に良い事が起きて機嫌よく帰って来た時は運動会をおっぱじめて、あたかも祝福するような行動をしたり。

愛猫Sashaと猫ジャケCD

嫁ちゃんとの生活による別居 - すれ違いの日々


そしてSashaが12歳になった頃、自分に彼女が出来て別居することになりました。一緒に連れて行こうか凄く悩んだのですが、そうすると折角築いた母と愛猫Sashaとの間の主従関係を引き裂くことになりかねないし、母ひとりの生活はとても寂しいだろう、と考えて母にSashaを託しました。その頃には既に母も「Sashaが居ない毎日が想像できない」という状態にまで変化し、重度の鬱状態だった母から徐々に笑顔が戻ってきたのもターニングポイントでした。取り敢えず月に一日は最低でも実家に挨拶しに行くことを条件に自分と嫁ちゃんは同居生活になり母とSashaとの共同生活がスタートしました。

後日、母から聞いた話では自分が実家を出て行って1週間後くらいに超反抗期があった、と。家の主である自分が家に帰ってこない事にストレスを感じ始め、ある時悟ったのでしょうね…もうこの家に帰ってこない、どこかに行ってしまったと。人間の世界で例えるなら「あの野郎、外に女作って出ていきやがったな、ちくしょう」と。気付くや否やトイレではない場所で用を足してしまったり、無駄鳴きをしたり、せっかく躾けていた柱で爪を研いでしまったり、母を困らせる行動ばかりをするようになり、落ち着くまでに1か月くらいかかったらしいです。

そして自分が実家に帰ると、一緒に暮らしていたころは玄関にお迎えに来てくれていたハズだったのに、玄関を開けると全く顔を出さない。いったい何処に居るのかと探し回ると決まって母の部屋のコタツの下に隠れて自分が声をかけても顔も向けてくれずそっぽを向いてしまうようになってしまいました。自分も「あーあ、Sashaには恨まれてしまったな」となって、何とか和解出来るようにあの手この手で工夫を凝らしながら行動してみましたけど結局ダメでした。猫はいったん恨まれてしまうと、取り返しがつかないくらいの距離感が芽生えてしまうんですね。これは完全に想定外でした。

Sashaのとある日の表情

運命の日 - 駆け巡る走馬灯

そして運命の日、2024年12月26日に彼は天国に旅立ちました。この記事を書いている本日時点でも今まで一緒に過ごしてきた時間が脳内を駆け巡っています。彼は我が家にとってかけがえのない宝物であり、我が家を救ってくれた杞憂の存在でした。彼が居たことで自分にも笑顔が戻り、重度の鬱状態でもがき苦しんでいた母もまた笑顔を取り戻しました。どんより重苦しい空気が充満していた我が家の空気を変えてくれて、家族の絆がより深まったことに自分はとても感謝しています。そして亡くなる直前まで献身的に世話をしてくれた母親にも感謝しています。

最期に天国へ旅立ったSashaに伝えたいメッセージを。天国に届いてくれたら良いな…

個人的Sashaのベストショット

「17年もの間、本当にありがとう。天国で待っててくれよな。そしたら俺が必ずまた出会った時のように迎えに行くから。それまで絶対に俺の顔を覚えているんだぞ。約束だからな。」

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