考えることをやめた運転者たち
こんにちは。自動車ライター/インストラクター/ジャーナリストの齊藤優太です。
クルマに安全装備が標準化されたり、オートライトが義務化になったりするなど、クルマそのものの安全装備が充実してきましたね。
安全なクルマが増えることはいいことだと思う方もいるかもしれませんが、私個人としては、安全装備の充実が思考することを停止させ、利用者をダメにしているのではないかと考えています。
「何かあればクルマが制御してくれる」
「もしものときは自動でブレーキがかかるから安心」
「手を離しても大丈夫」
など
これらの安心要素が運転者の思考力を奪っているのではないかと考えています。
もし、当たり前のようになりつつある安全装備がなくなったら、
・もしものときにどのような操作をすればいいのか
・この先で起こりそうなことを想定した速度づくりや運転操作
・さまざまな場所への目配りや気配り
などをしながら運転しなければなりません。
このようなことを考えながら運転していれば、安全装備がなくても安全な運転ができるでしょう。
「不便だと便利を求め、便利になると利用者をダメにする」こんなことを感じています。
ちなみに、私は、運転支援システムがあるクルマに乗ると、さまざまな警告や補助が入ることから、煩わしいと感じます。
なぜ、煩わしいと感じるのかというと、自分自身で危険な場所や起こりそうなことをすでに認知しているからです。
つまり、先々のことまで予測できるようになれば、自然と支援装置が邪魔だと思うようになるということです。
このようなことを感じているドライバーは何人いるのでしょうか。
おそらく支援システムが煩わしいと感じているドライバーは、ごく少数なのではないでしょうか。
「支援システムがあってよかった」や「システムが作動してなければ大変なことになっていた」と感じるドライバーは運転技量が足りていないといえるでしょう。
考えることをやめて運転する、システムを信じて運転する、システムに助けられながら運転する、、、これらは、重大事故を起こす兆しのひとつと言えるのではないでしょうか。