革靴の良さとか
598を買うまでのグダグダを書いたら、有難い事に「靴への愛が伝わる」との評を受け、そう言えば、僕って靴が好きでTwitter始めたんだったなァというのを思い出した。
初めての革靴は、どっかのファブラのローファー。3万もしないくらいの、内側がファブリックで機能性ありげなツラしたヤツだった。革質が劣悪すぎて1年経たずに汚い皺で埋め尽くされて、確かすぐ捨てた。
ただ、その汚さが肝だった。僕は人目を気にするタチであり、そんな僕としては、ボロボロで白っちゃけた靴を履いて私立の高校に通うなんてまっぴらだった。
故に、靴磨きを始めた。最初は、爺ちゃんが現役時代に使ってたスティック型のリキッドから。それがあまりにチープな艶で塗膜を張るもんだから、シュークリーム(甘味じゃないよ)の事を調べた。
その流れでハイシャイン(鏡面磨き)の存在を知り、入念に手入れをされた革靴の格好良さを知った。
もとより、僕はスーツなんかが好きで、特にイギリスのおカタいスタイルがどストライクだったもんだから、チャールズ皇太子のロブ(?)なんか見た日には「これが英国、本場の革靴かぁ……!」なんてなっていた。
まあ実際には王室のイメージとか色々ある訳だけども、当時の僕には純粋に驚きだったし、物がこんなにボロボロになっても尚体裁を保っているという事に感動した。
そんなこんなで、良い靴を長く履くという憧れが生まれる。ここからが沼だった。
ファースト・コンタクト
僕が自腹(小遣い)で買った最初の靴は何だったか、答えはメルカリにあった。購入履歴の一番下に、Cheaneyの茶色い外羽根の靴が。
かなり良い状態でありながら、13000円と言う価格設定。当時は確か新品が4万かそこらで売られていたので、さほど珍しくも無かったかもしれない。
何より、靴磨きやら中古靴の話がメジャーになるほんの少し前の話だったので、全体の相場も全体の半分以下だったんじゃなかろうか。
調べると、僕が靴磨きを始めた2018年に丁度、第一回靴磨き選手権が開催されたらしい。世界は僕を中心に回っている。
と言う話はさておき、その茶靴との思い出はそう多くない。校則で黒靴以外は禁止だったし、当時の自分には染めるなんて言う発想は無かった。
サイズも7Fとかなり大きかったので、履き物と言うよりは置物、磨いて鑑賞する物として活躍してくれていた覚えがある。
フィッティングと憧れと
高校生当時、革靴に費やす予算なんてのはそう無かった。一年で自由に使えるお金は、どう搔き集めても10万そこらだったし、大体は付き合いや普段着(とかエアガンとか)に消えて行く。
そうすると、自由になるのは大体5-6万。その天井の下、より多くの、より上質な靴を履きたい。そう考えていた。
当時から低価格帯の靴はそれなりに出ていて、ジャランスリワヤだとか、バーウィックだとかは服屋の馴染みだった。
その頃通っていた服屋、今は亡き「Vulcanize London 札幌店」の店長からも、G.H.BASSを勧められるなどしていたのだが、どうも食指が動かなかった。
憧れはChurch'sだとか、Edward Greenの靴。中でも、Diplomatか、Cadogan。どちらもセミブローグで、この頃からあまり好みは変わっていないらしい。
でまあ、その辺りの高級靴を買うとなると、到底新品には手が届かない。とすると中古を買う訳だが、札幌には当時、メジャーなショップでこれらの靴の取り扱いが無いか、あったとして、芋臭い高校生が試着なぞ言い出そうものなら一笑に付されただろう。
故に、僕はこれから何度もサイズの合わない靴を買い、その為に多額の無駄金を払う事となる。
一番の失敗と、一番の成功
Church's、Enzo Bonafe、Alfred Sargent、Oriental、Jalan Sriwijaya。この辺りは、買ったはいいけど、足に合わなかったか、あまり履く気が起きなかったが為にすぐに売った。
それでも、各メーカーのラストの違いだとか、高い靴の質の良さなんかを知れて良かったと、当時の自分は思っていた。
――あの靴を買うまでは。
忘れもしない、Edward Green Asquith 888 6E、ヤフオクで8万位した。初のエドワードグリーン、テンションはブチ上がる。
届くのが待ち遠しくて、落札から到着までの間、ずっと配送状況を確認していた。
開封。試着程度の上玉だ。革はぷっくりと厚みがあって、撫でると肌理の細かさ故にスルスルと指が滑る。窓際で眺めれば、その透明感のある黒い革に青空が滲むように映って、僕はもう、これ以上ないって位に幸せだった。
意気揚々と足を入れる。シューホーンを使ってゆっくりと。スルスルと足先が入って、踵がストンと収まる。
「これがグリーンの木型かぁ~」
なんて能天気な事を考えながら、立ち上がり、一歩。
踵が抜けた。信じられない事だが、踵が、なんの抵抗も無しに、スポっと抜けたのだ。シングルソールで、サイズも適正。ワイズだって細い。
なのに、なのにだ。踵が抜けやがった。
僕は徐に腰を下ろし、足元を見た。美しく輝く、憧れの一足から、右の踵だけが間抜けに顔を覗かせている。
最初は、きっと調整すれば何とかなると思った。きっとサイズが少し大きくて、悔しいけど、タンパッドなんかを入れて対処できると。
しかし非情にも、羽根は1cm程の開きを見せている。その状態でもなお、僕の足の甲は痛む程に圧迫されていて、これ以上の締め付けなど不可能だった。
あとから知った話だが、グリーンはそもそも僕の足と絶望的に相性が悪いらしかった。Rifare札幌店さんで82ラストのカドガンを履かせてもらった時も、手で引っ張れば踵がズリ抜けそうなくらいに緩く、それでいて、足先は丁度良いと言うのだから、EGとしては、僕の足は随分とあべこべな形らしい。クソッタレ。
これが一番の失敗。「高けりゃそれだけ素晴らしい体験が出来る」ってのは常じゃないというのを、初めて知った瞬間だった。
それからしばらく、僕は高い靴を買わなかった。革質だとかブランドネームだとかより、フィッティングの方が大事に思えたからだ。
そうして、MTOやビスポークの世界を垣間見る事になる。この時期には本当に色々な事を見て、聞いて、学んだ。
しかし、北海道在住と言うのがネックだった。殆どの誂え靴屋は本州にあったし、トランクショーをやるのは決まって、一足ウン十万と言う雲上の職人ばかりだった。
MilestoneでJoeWorksのオーダーが出来ると言うのは聞き及んでいたが、僕はどうしてか、あまりあの辺りの靴に惹かれなかった。
憧れに触れたい、でもフィッティングも大事。そこに現れた新星が「J.M.WESTON」だった。
いや、メーカーとしては死ぬ程歴史のある大御所中の大御所なんだけども、中古靴漁ってる時にあんまり見かけないと言うか、出ていても180(ペニーローファー)くらいなもので、そこまで興味が無かった。
の、だが。見てしまったのだよ、310を。
オーソドックスなセミブローグスタイル。平べったくてウネウネした高級靴然としたラストではないが、確かに伝わる質の高さ。何ぞDiplomatと瓜二つと言われるのだが、全くの別物だ。あんな無骨さは微塵もない。
ただひたすらに上品で、かと言ってメダリオンを悲しくなるくらい小さくあしらったりする小賢しい真似はしない。あくまで王道を行きつつ、それでもなお品の良さを醸す、そのバランス。
まァ~虜になったね。ずっと見てた。カドガンの写真見ながら「僕履けないしなぁ~」なんて泣いた後に310を見て「これなら僕も履けるかも……」なんて期待してた。
で、そう言う時に限って、運命は動くもので。高3の冬だったか、もう忘れたが、懲りずにヤフオクを見ていた。
「Weston 310 6(この時はグリーン事件の反動でタイトフィットに拘っていた)」で検索していると、見つけてしまったのだ。
6万、着用数回、腰裏スレは在ったが履き皺は薄い。
6/Dと言うサイズに最初は躊躇した。マイサイズはきっと6Dだと思っていたからだ。しかしあのウエストンが6万ともなれば、腹が決まるのは必然だった。
少しの不安を残しつつ、しかし金はもう振り込んでいた。ブツが届く。段ボールを開けば、緩衝材で包まれた青い箱が見えた。
開き方が分からない。蓋がスポっととれるモンだと思ってたのだが、なんか横からベロっとめくれるタイプだった。
シューバッグに包まれて、彼は居た。Asquithの透明感あるツヤとはまた別の、しかし肌理の細かい、滑らかな革。写真で見ていたよりもずっと美しいシルエット。旧型のツリーのメタルプレートには、黒く「J.M.WESTON」と刻まれていて、その持ち手を引き上げれば、空気が吸い込まれる音と共に、有機的な形状のラストの全貌が顕わになる。
もう、我慢できなかった。オナ禁3日目に、ベッドの上で裸の女と対峙している様なものだ。
部屋のどこかに隠れたシューホーンを探す時間も惜しい。出来るだけ足を深く入れてから、慎重に踵をおさめる。
「シュッ」と言う音と共に、足全体を心地よく包むその靴は、紛れもなく、僕の憧れたその一足だった。
で、今は?
310を買っただけで満足できるほど、人間の欲は浅くない。「普段着に合わせる為にゴルフ買いたいな~」とか、「やっぱドーバーかっこいいけどグリーンはなぁ……あ、なんかFosterとか言うのが既成靴始めてんじゃん」とか、いろんな話があり……
現在。低層の木造安アパートで、僕は九足の革靴と暮らしている。明日、10/30に、もう一足迎える予定だ。
きっとこれからも、靴を買って、手放して。様々な経験を経て、いつかはきっとビスポークを……誂えられたら良いな、と思っている。
長く、あまり脈絡もなく、面白味も無い文章が続いたが、一人の高校生が、成人し、少しばかり波乱の時期を乗り越えてなお、革靴は素晴らしいと、そう言っている。
金が無くたって、生きる意味を見失ったって、革靴は変わらず美しい。
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