はじめまして、他人の顔色を窺う人間です
はじめまして。今日は2021年4月1日。今日をもって大学四年生になった。
昨日バイトから帰ってきてスクリュードライバー飲みながらTwitter流し見してたら、知り合いがnoteに思いの丈を書き殴っていたので、酔いが回る中それに感化されて衝動的に始めてみた。
僕には自分の信念みたいのがあって、そこから派生した意見というか考えもぼんぼんぼこぼこ湧いて出てきちゃうタイプなのだが、それをぼんと主張することができない。飲み会とか言っても、自分の話を上手くすることはできない。
そのくせ、人の話を聞いて上手にアドバイスを返すことはできるみたいだから、友人からは「お前は優しい。自分は愚痴こぼさないのに俺らの愚痴しっかり聞いてしっかり正してくれる」と、謎に評価を上げられてしまっている。
しかし友人よ、違うんだ。俺は人並みに、もしかしたら並の人以上にいろんなことにいろんなことを思って生きている。それを自分の脳内で回して外にこぼしてないだけなんだ。
高校生くらいから、自分は他人の顔色を窺って行動をするような性格だということに気づいた。その他人は親から始まり、先生、友達、と自分を取り囲む全ての人がその対象となった。
その頃から喧嘩や怒るという行為をしなくなった。そう言った行為によって周囲の空気を悪化させることが、他人の顔色を悪くしてしまうと思ったからだ。
他人の顔色を窺っていると、何を言えば笑い、何を言えば空気が和むか、逆に何を言えば人は怒り、何を言えば悲しむか、そういうことがわかってくる。というか、こういうことがわかるのは誰でもそうだと思っていたが、どうやらそうではないということに大学生になってから気づいた。高校同期にそうやって誰とでも仲良くなれるのはすごいと言われたのがそれに気づくきっかけだった。
人の懐に入る、と言えばわかりやすいだろうか。僕にはそういう能力があるようだ。それゆえ、他人の話を聞いてその人が何を言わんとしているのか、何を嬉しいと思っているのか、何を怒っているのか、さらにそこから発展して、その人はどういうことを考えている人間なのか、どんなことで喜ぶ人間なのか、何をすれば怒ってしまうのか、手にとるようにわかってしまう。だから愚痴をこぼされたり悩みを打ち明けられたりしても的確なアドバイスを返すことができるのかもしれない。
しかし、前述した通り、僕にだって信念はある。ところが、その信念という名の核は他人の顔色を窺うための殻によって覆われている。
この殻とは何なのか。一回1000字程度にしようと思っているので、今回はここまで。次も読んでくれると嬉しい。
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