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Ingress 10年前の話とか2月のこと。

 みなさんこんにちは。初めまして。横須賀市で働いているDropkixです。
Ingress Advent Calendar 2024企画という、素敵な機会をいただいたので、Ingressの10年前の話とかを書きます。結論から言うと横須賀市がミーハーな企画や、先進事例をたくさん打ち上げられたのは、Ingressの存在がかなり大きい。というお話。


はじめに

 2025年2月、ついに横須賀でアノマリーを実施することになった。いつものことだけど、「やりませんか?」「やります!」のメールで決まって、数日後には公開された。Nianticとの仕事は、10年前のIngressから始まり、ポケモンGOやピクミンブルーム、メタスカEDUCATIONで8th Wallの研修をやってもらったりと、さまざまな接点があり続けたので、私にとっては地続きの話だったが、Ingressのイベントを10年ぶりに携わることができるということに、心から嬉しく思う。実際、話が決まったあとに、真後ろにいたdodomenさんに抱きつく勢いで喜びを分かち合った。うれしい。

10年前の話

 2014年夏ごろ、友人に勧められIngressを始めた。東京に住んでいるその友人は緑陣営だと聞き、なんとなく緑を選択した。それからどハマりした自分は、近所のAG仲間を増やしたくて、スマホを持っていなかった上司の機種変更にまで付き合って、同じ職場にAGを増やしまくって遊び倒した。たまたま観光課でWEBデザイナーとしてバイトしていたので、観光事業にもなるかもと思ってワクワクしていたのを覚えている。企画を考えるのは学生時代から好きで、学園祭以上のものを手掛けられると思うと、ワクワクが止まらなかった。

 そうこうしているうちに、経済新聞などで「新しいスマホゲーム」として位置情報ゲームという分野でIngressが取り上げられるようになった。そういった記事のコメンテーターや、Ingressについてブログで記事を書いている人に会いに行ってヒアリングの機会を作り、知見を深めた。市役所のバイトは本来やることが決まっているけれど、「やりたいなら、付き合うよ」と快く応援してくれた当時の上司には、本当に感謝している。
 ちなみに、そのときヒアリングした仲間には、今のVRChat関連でつながっている人や、大手メディア会社の偉い人、上場企業の社長になっている人もいて、あの時会いに行った人たちは今でも尊敬する人たちである。今思うと、「会いに行く」というシンプルな行動が生活の糧になっているのかもしれないなと思う。

 話を戻すと、ヒアリングを経て「市役所ガチ勢がおすすめするIngress的観光ルートを発信したら面白いのでは?」という方向性が決まった。当時ビジネス企画書なんて書いたことがなかったので、ググりながらスライドを作ったのをよく覚えている。
 「WEBページは自分で作ります!協賛を募って、WEB発信して話題性を重視した企画です!」と提案すると、「何だかよくわかんないけど、そんな目キラキラしてるんじゃ止まらんね。お金かからないならやってみたら?」という感じで許可をもらった。その時の上司の顔、企画が通った嬉しさもあってか、今でも忘れられない。ちょっとあきれ顔で、企画書はあんまり読んでくれなかった。

 この企画を実現するため、当時Google社内スタートアップだったNianticにアポを取り、いざGoogleのしゃれた会議室に通されたときはテンションが上がり、上司AGと一緒にソワソワしまくっていたのを思い出す。そのとき話を聞いてくれたのは、NianticJP現社長の村井さんで、オンラインでMasaさんも同席してくれた。「どんどんやってください。協力しますよ」と即答。その時、当時の市長とMasaさんが大学時代の友人であることを知り、役所に戻ってから市長に報告したりした。
 それからすぐにWEBページやポスターを作成して、京急の中吊りに掲出したのが2014年12月だった。

Ingress的横須賀の楽しみ方をブロガーのみなさんを集めて開催した。

 今では普通のことだが、新たな取り組みとしてWEBメディアの方を呼んでメディア視察ツアーを開催した。当時集まった記者の皆さんの中には、今でもつながりのある方もいるし、この時の出会いも私に大きな影響を与えてくれた。ちなみにここにmehoriさん、武者さんもいて、VRCでも仲良くさせてもらっている。
 10年前にはネット上で話題を獲得することなんて市役所では全くやっていなかったので、課内でも非常に評価された。雑誌の広告に100万みたいな世界での広告が普通だったのに、ちょっとした交通費や食費程度で効果がでるので、(バイトのくせに偉そうだけど)面白くて新鮮でだった。ここから5年くらいは毎年何らかの形でWEBメディアツアーは実施した。

 同じ時期、Darsana Tokyoが開催されていたので、関係者へ挨拶へ行ったりした。当時現地でステッカーを配っていたAnkerの担当(今はなんとAnkerJapanCEOになられている…!)と仲良くなったりして、次回キャンペーンへのつながりを育てたりした。そのときCheeroのPRをしていたぴちきょさんと知り合って協賛をいただいたりした。そしてぴちきょさんとは今も仕事でつながっていて、10年来のお友達。彼女のやることは私に刺激を与え続けてくれている。いつもありがとうございます!

レンタルモバイルバッテリーがなかった時代のキャンペーンで利用者はそこそこ多くて盛況だった。
現地のコラボグルメキャンペーンと合わせて、アルペジオミッションを作った。これは今でもプレイできるので是非めぐってほしい。

そして、満を持して公式イベント開催のお声がけをいただき、Ingress Missino Day Yokosuka,JP を2015年のハロウィンに開催できることになったのだった。

Mission Dayのイベントの集合写真はみんな各地に散らばっているので、これは一部。全体では2000人ほどの参加者が集まった。

Mission Day Yokosuka, JP

 記憶力がいい方ではないので、詳細なことは思い出せないことが多いが、心から楽しかったということは胸に刻まれている。自分に甘いタチで、自分が決めた目標が達成されたら満足、という性格なので、このイベントは大成功だったと思う。社会人になって、初めてまともなイベントの主担当としてやったリアルイベントだった。

 少し話はずれるが、この日の少し前から、みかさロボをデザインしたメカニックデザイナーの宮武一貴さんの個展も企画・主担当していた。あの時は横須賀市にすごい人が住んでいるという噂を聞いて、スタジオぬえに連絡したら直接本人にFAXしてくれと言われ、手書きのラブレターを宮武さんに送ったのを覚えている。あの時FAXしなかったら、みかさロボは生まれていない。(厳密に言うとこれも主担当でやったからMDが初めてではないかもしれない…)

 MissionDayの準備について話を戻そう。2つもイベントを動かしていて、めちゃくちゃ忙しかった。忙しすぎて、ここに記さなきゃいけないような記憶が脳みそに全く残っていないが、思い出せることだけを書きたいと思う。

 企画は市として受け入れ態勢を整えるということと、協賛を集めること、そしてMissionDayの要であるMissionを作ること。この3つが同時進行していた。ありがたいことに協賛はたくさんあつまり、横須賀に支店のないPARCOさんも協力してくれた。(今でも担当の方はeスポーツでつながっていて、メタバース界隈でもお会いすることがある)

 ただ、たった一人で成し遂げたわけではなかった。Mission作成では自分の足でルートを選定しなきゃいけないと思われたが、ボランティアを募ったところ何と100人近く手をあげてくれたのである。コアメンバーの20人くらいについては毎週会議室に集まり、あーじゃないこーじゃないとルートや企画を作り上げていき、毎回近くのバーミヤンでお酒を飲んで帰った。その時のバーミヤンは、回を追うごとにXFであることの気まずさも薄まっていき、最後のほうは「なんかフキがいっぱいとれたからあげるよー」「ベーコン作ったからあげるよー」なんていう仲になっていった。

毎週のMTGの様子。仕事帰りに東京から来てくれているメンバーもいた。感謝。

 当時のXアカウントに残されていたMTGの様子。一緒に映っているのはIngressをきっかけにガラケーからスマホに変えた上司Ozzyさん。

 そして迎えた当日は、ボランティアスタッフもお客さんも、みんなが本当に楽しそうで最高の一日だった。が、当時はまだMDのシステムもしっかりしていなくて、手動で受付をしなくてはならなかった。本当にボランティアスタッフには頭が上がらない。そういえばPCレンタルやインターネット環境を整えるのもそこそこ大変だった記憶がある。

 打ち上げはドブ板のアレックスサルーン貸し切りでぎゅうぎゅうになりながらみんなお酒を飲みまくってるのに、須賀さんだけ瓶コーラを飲んでいたのを覚えてる。しょーもないことは覚えているものだ。なお当日の様子は以下の記事が詳細に書いてくれているので参照してほしい。私は楽しすぎて、楽しかったということだけしか覚えていない。

反響

 リアルでの来訪ももちろんだが、ネット上での拡散力を活用した自治体のPRとして、費用対効果や経済波及効果もあり評価は高かった。多くのメディアでも取り上げられ、ゲームというコンテンツの影響力を役所としてやっと感じ始めたイベントとなったのだった。ゲームユーザーを運営に巻き込んで実施するということも初めての試みだった。
 ここまで、私は私ができることを全力でやり続けていただけだったので何が成功の秘訣だったのかは分析できていなかったが、私がインタビューを受けた記事に答えが書かれていた。

真新しい試みを模索、実行して成果を得るコツを聞くと、「まずは自分で試して面白いと感じること」「体験者によって様々な楽しみ方があるため、いくつもの楽しみ方を用意してあげること」だという。

地域活性や地域創生が叫ばれる昨今、様々な地域活性、観光活性策が生まれ、試されているが、横須賀市の事例を見てもわかるように、地域活性の成功には「熱意あるスタッフ」「活性化プロジェクトへの深い理解」「楽しみながら企画する」という 3 つの共通点があるように思う。

https://www.jagat.or.jp/archives/21076

 この記事を読んで、これからはこのポイントを大事にすればいいのか、と納得したのを覚えている。ここから本当にこの3つを大切にして走り続けた10年間だった。そして今でも大切にしている。すこしアップデートして、「作品の世界観を大切にする」「自らファンになる(なれなければファンの声を聞く)」「自分が楽しいと思うことを信じる(覚悟する)」という3つのポイントと、「夢中に勝る努力なし」という座右の銘とともに生きている。

Ingress以降のはなし

 Ingressで勢いづいた私は、2016年にはPokémon GOの企画を立ち上げ、2018年の公式イベントでは20万人の来訪、経済波及効果15億のイベントを主担当として走ることができた。そして印象的だったのは、協力要請をした店舗から感謝の声がたくさん、本当にたくさん届いた。市長から表彰されたり、メディアからの問い合わせも多く、市役所全体がお祭り騒ぎだった。ちなみにこの時も市職員によるボランティア50人くらいで何とか乗り切った。準備は毎日深夜までかかり、心身ともに疲れて部長室や廊下でいきなり泣いたこともあった。それなのに、他の自治体から軽いテンションで「うちもPokémon GOのイベントやりたいんですけどどうしたらできるんですか?」なんていう問い合わせも多かった。「レベル上げてから電話してください」とよく電話を切っていた記憶がある。(誤解のないように補足しておくが、今は少しだけ大人になったので、ちゃんとアドバイスするようにしている。)

Pokémon GO Safari zone 三笠公園

 余談だが、この頃、正規職員にそろそろなったほうがいいのではないかと、多くの人から声をかけてもらっていた。ただエントリー期間がPokémon GOの準備期間に被っていた。企画進行中に書類を書く暇がなかったのだが、イベント当日の休憩時間にエントリーシートを書き、切手を貼ってポストに投函したのだが、切手の料金が足りずに返送されてきた。戻ってきた時にはすでに応募期間は終わっていて係長、課長、部長に怒られたことがあった。(その2年後、重い腰を上げてきちんと試験を受け正規職員になれた)

 横須賀市としてはそこからエンタメがアクションプランに練り込まれ、アニメコラボも前向きに進んでいくようになった。ゲームという費目の予算が付きだしたりもした。この流れはIngressがきっかけであることは紛れもない事実である。あの時の知見と、人脈が、これ以降の企画の根底にある。

 私が担当した企画だけで言うと、2017年 シェンムーコラボ、TGS連携、2018年 月間「ムー」(異色!)、Pokémon GO、2019年 World of warships、アズールレーン(以降毎年)、eスポーツ事業立ち上げ、2020年 囚われのパルマ、ドライブインシアター、VAROLANT、2021年 ホロライブ、2022年 モンスターハンター、2023年 VRChatメタバースヨコスカ、ピクミンブルーム…と本当に目まぐるしい10年間だった。今年はVRCと、週1でデジタルガバメント系の仕事に庁内出張?している。

 中でも大変だったのはeスポーツ事業の企画。2017年頃には企画書を書いていたのだが、なかなか実現しなかった。だがめげずに時間をかけて、3つのポイントをもとにしつこくいろんな人に話していくうちに実現していったのだった。

ちょっとだけ個人的なはなし。

 私は幼少期、ゲームやテレビを制限されて育った。ゲームの代わりにPCを与えられ、小学校3年生の時の将来の夢は「ビルゲイツ」と書いた女の子だった。周りがプレステやポケモンで盛り上がっている中、私はICQで海外のユーザーとコミュニケーションを取ったり、タイピングゲームや、メモ帳でHTMLやCGIでチャットを作って遊んでいた。当時はPCゲームなんてものはほとんどなかった。
 当然オタクな大人になった。大人になってからは自分のお金で好きなことができるので、カラッカラのオタク魂に水を与えるようにアニメやゲームに打ち込むことになったのだった。
 攻殻機動隊で世界観の作り込みに感銘を受け、音楽と作画の調和をCowboy Bebopで感激し、バイオハザードで手に汗握る気持ちとあきらめない心を学んだ(序盤で出てくる犬に心が折れかけた)。World of warshipsは全駆逐艦をティア10まで開放してフレンドと楽しむことを学んだ。たくさんのアニメや漫画で心が震えた。学びのないコンテンツはなかった。
 そんなコンテンツを作るクリエイターは、本当に大好きで、少し大げさかもしれないが、私のモトになっているものを与えてくれた崇高な存在だと感じている。なので、企画を作るとき、そんな素晴らしいコンテンツを作る人に喜んでもらえる企画にしたい、という思いが根底にある。これを生み出した人をがっかりさせたくない。何なら生み出した人たちを前のめりにできるような企画にしたい。そのうえで、ファンにも楽しんでもらえるものでなければならない。そう強く強く思っている。

2月のアノマリーに向けて

 10年前のDropkixからかなりバージョンアップしていなきゃいけないという緊張感もありつつ、あの時とは比べ物にならないくらい、市内外の協力体制も整っている。立場もバイトから職員になったことだし、期待していてほしい。ここまで書いてきたように、ユーザーに楽しんでもらいたいだけでなく、運営も立場ある人達も、一緒に楽しめる、Ingressってやっぱいいよね、これだからやめられないな!って写真を思わず見返しちゃうようなイベントにしたい。

おわりに

 書いていくうちに自分語って6,000文字越えてしまった…。ごめんなさい。ここまでお目通しいただいた方、本当にありがとうございます!アドベントカレンダー企画にこんな自分語りを投じていいのだろうかと思いつつ、今の気持ちを綴れてよかった。
 2月に向けて皆さんいろんな立場だろうけど楽しみましょう!皆さんの顔が見たいので受付にずっといます。見かけたら声かけてください。横須賀で待っています!

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