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僕の失敗から生まれた新事業「dropin」 〜社内起業の原動力になった「原体験」と「危機感」〜

こんにちは、NTTコミュニケーションズの山本です。
今回は、働き方改革ソリューション「dropin(ドロッピン)」の立上げに至った僕の経歴をご紹介します。

僕の職場選びは失敗の連続でした。そしてその失敗の中で見出した学びが、dropin事業の原動力となっています。
その学びとは一体何なのか、ぜひ最後までお付き合いください!

職場選びを2度失敗した僕のワーカホリックな働き方

僕が新卒で入社した会社は、ITバブルの頃には日本の時価総額ランキングで上位で10社に入るようなITベンチャー企業で、とにかく勢いはあったけれど仕事はハードモードで離職率も高いようなところでした。

文字通り朝から晩まで一日中テレアポをして、即アポ・即決・即受注でインターネット商材を売りまくっていました。

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成果に応じて給料も役職も上がるため、やりがいは感じていましたが、成果報酬が乱高下しすぎて、自分の働き方として持続可能ではないと思い、転職をしました。
これが1度目の職場の失敗です。(良い経験だったけれど)

転職先は日本を代表する電機メーカーと自動車メーカーとインターネットの草分け的存在の企業が合弁で作った会社でしたが、転職後まさかの半年で、会社更生法により今の会社にM&Aで吸収され会社が消滅
ちなみに、営業譲渡先として競り合っていた別の会社に吸収されていたら、転職したばかりの僕はカットされていたかもしれないという背筋がゾワッとする話も後で聞きました。
これが2度目の職場選びの失敗でした。(結果的に今の会社に入れたので良かったけれど)

失敗から学んだこと

20代のうちに2度の職場選びの失敗を経験して感じたことは「仕事というのはとても不安定で、人生どうなるか分からないな」ということです。

2021-08-11 午後2.17のイメージ


僕たち70年代生まれを「失われた世代」と呼ぶらしい(最近「ゆとり教育が良かった」と悔しがる中学生の息子調べ)ですが、阪神淡路大震災や就職氷河期、ITバブル崩壊を目の当たりにしてきた人生を通してそういった観念が根底に流れているのかもしれないです。
僕は淡路島出身で阪神淡路大震災に直面し、就職先はITバブル崩壊で株価が10分の1以下になった状況を身をもって経験したのですから。

その頃から「いつどうなるか分からないのだから、人より倍以上努力して、何倍も速く結果を出そう!」という働き方のマインドが出来上がりました。

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と同時に「がむしゃらに働くだけでは持続可能ではない」とも思い、これは後に働き方をフレキシブルにする事業を考えるきっかけになっていると思います。

オフィスって必要?

そんなブラックでワーカホリックだった僕が、ホワイトな(笑)NTTに入ってからは、確かに無茶な働き方はしなくなりましたが、日々の仕事の中で、とある「働き方の無駄」を感じていました。

それは、オフィスの自席にいる時間がほとんどないということ。
法人営業時代はお客様先にほぼ常駐でした。新規事業開発になってからも、毎日様々な場所で多くの人と出会って議論しないといけないので、外出先や社内の会議室を行ったり来たりで、自席に座る時間は1週間で数時間程度でした。(下の写真は僕の行きつけのカフェ「5 CROSSTIES COFFEE」です)

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それでもオフィスには1人1席分あるし、オフィスへの通勤定期代も出ます。外出先からオフィスへ戻る交通費や移動時間も非効率としか思えません。

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一方で、外で仕事する場所を探そうと思えば、毎回Googleマップやネットで検索して、営業時間内電源がある近くの場所を探す必要がありました。これがまた面倒くさいので、電車の中やベンチで隙間時間の仕事することもありました。

「これってペイン(解決が必要な課題)だよなぁ」と感じていました。

大企業あるある「イノベーション」ごっこへの危機感

新規事業を早々に立ち上げなければ干される」という危機感も僕にはありました。

僕は社会人になってから17年法人営業一筋だったのですが、2018年4月に社内転職制度により現職の新規事業開発に携わることになりました。しかし、自分で手をあげて社内転職をした職場がまたしても「ヤバい」のです。

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その職場は半年前に設立されたばかりの新しい組織で、僕が入った頃はデザイン思考を取り入れたアイデア創出ワークショップばかりでした。連日コンサルを呼んだり、他社と共創プロジェクトとやらをやる割には、なかなか自社発のサービス開発が出来ていませんでした。

当時流行りだしていたWeWorkにも早くから入居しました。
(写真はWeWorkのHPより転載)

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いい感じにチャラ男のウェイ感とパリピ感はありましたが、WeWorkの個室からほとんど外に出ないため何かが生まれる気は全くせず、形だけの「知の探索」でした。(今思うと僕たちにWeWorkは早すぎたんだと思います)

そんな職場で危機感ドリブンで100個以上のアイデアを考えた中で、具体的に2つの事業開発に取り組みました。
1つ目は自社技術ありきのプロダクトアウト型新規事業で、2つ目は自身の原体験をもとに考えた働く場所の無駄をなくすというイシュードリブン型新規事業です。後者が現在のdropin事業の種になっています。
(ちなみに1つ目のプロダクトアウトの新規事業アイデアは自社技術の活用と見た目の分かりやすさから社内の期待は高かったものの、試行錯誤の結果、うまくいきませんでした。新規事業失敗あるあるなので、その話もまた別の機会で出来ればと思います。)

早稲田大学の入山教授もよく仰っていますが、このままいくと「大企業のイノベーション推進室あるある」で、あと1~2年もすれば成果が出ずに社内の居心地が悪くなって組織がしぼんでしまう、と思いました(実際、当時の組織名も「推進室」でした笑)。

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「ヤバい、これでは『またも』職場選びで失敗してしまう」

僕の長年の職場選びで培われたセンサーが、危険信号を灯していました。

「ThinkerではなくDoerになれ」

「アイデアはあるけれど、具体的にどう進めればいいか分からない。周囲の仲間も既存事業はやったことがあるけれど、新規事業の立ち上げは経験がない。」

どうしようか悩んでいたところ、ちょうど募集を開始していたのが経産省のイノベーター育成プログラム始動でした。(画像は始動HPより転載)

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「始動」は月1回程度の土日研修が半年ほど続くスケジュールだったので、単身赴任で毎週末に大阪に帰郷していた僕は少し迷ったのですが、「まあ受かってから考えればいいや」と「ワークスペース検索エンジン」という事業で応募してみたところ、なんとか審査に受かったため、始動を通じて事業アイデアのブラッシュアップをすることにしました。
(ちなみに土日の家族行事とのやりくりで死にそうになりました)

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「始動」は最終日の「デモデイ」に向けて、自分のアイデアを育ててブラッシュアップしていくプログラムです。その間に、イノベーターのマインドセットから、事業開発のフレームワークまで、イノベーションの最前線にいる経営者や事業責任者の方々に、講義やアドバイスを受けながらアイデアと、そして自分自身を成長させていきます

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その中で一番記憶に残っているのは、ある投資会社の代表の方から言われた

「NTTのような大きな会社でやるならば、やって失敗すればやめればいいし、やるリスクは少ないのだからやってみたらいいじゃないか(なんでやらないの?)」

ということ。

アイデアを考えるだけの「Thinker」ではなく、行動できる人「Doer」になれ、と。つまり、考えてないで手を動かせってことですね。

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結局、「始動」では途中で全く違うアイデアにピボットしたのですが、この言葉はずっと残っていて、チャレンジして、失敗したら見直してまた新しくチャレンジする、今の事業開発の原動力になっている気がします。

たくさんの失敗から生まれた「dropin」

どうでしたか、僕の「失敗の連続」は?

読んでいただいて分かるように、「dropin」は最初から僕の頭の中にあった訳ではありませんでした。過去の失敗と学びが、僕の危機感を刺激する原体験となり、働き方の無駄と無理をなくす新たな働き方ソリューション「dropin」考案の推進力となってくれました
そして僕は自分が身をもって苦労した分、「皆様のWORKとLIFEをより充実させる持続可能な働き方を提供したい」という想いは強いので、この事業の行く末を一緒に見届けていただけると嬉しいです!(その想いに関しては、前回の記事も読んでみてください)

最後までお読みいただきありがとうございました!