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対蹠地を往還する者

この記事は、ぱんだ歌劇団「レギーナと魔法の鏡 Snow white」を観劇して考えたことを記録したものです。極端に偏った過解釈と自分語り、また、ネタバレが含まれていますので、これから本公演の観劇を予定されている方はご注意ください。ついでに自分語り警察、解釈違い警察の方もご注意しろください。
本文中で断定調で書かれている内容は、広大な解釈空間のなかに無数に漂っているであろう解釈粒子の中のたった一粒ですので、解釈違いを気にされない場合に限りどうぞ安心してお召し上がりください。

現在本公演は第一公演第二公演まで実施されており、VRでの観劇希望者多数につき第三公演がすでに決定しているそうです。2021年5月21日に行われた第二公演のYouTubeアーカイブは一週間限定で公開されています。公演ごとの面白さもあるので全通でご覧になることをお勧めします。第三公演のVR観劇については座長の田中桔梗(桔梗ぱんだ)さんのツイッターの固定ツイートでお知らせされるそうなので、チェックだチェック!

1.

「レギーナと魔法の鏡」は、白雪姫をフォーマットとしてベースにしてはいるものの、全く新しい物語だ。鏡は古今東西この世ならざる異世界の入り口として実にしばしば神聖性を帯びるアイテムであるが、この物語でもそういった二つの世界を結ぶ存在として登場する。本作の主人公の一人はまぎれもなくこの鏡なのである。
この物語で語られる二つの世界は、ぼくの解釈では「冷酷な弱肉強食の世界」と「暖かく愛に満ちた世界」だ。本作のもうひとりの主人公レギーナは、弱肉強食の世界の敗残者であるところを鏡に導かれ、暖かく愛に満ちた世界の片鱗を見せられる。おそらくレギーナは素直な性格なのだろう。元から暖かく愛に満ちた世界にいればとても豊かで美しい感情を紡いだであろう聡明な知性はしかし、自らの渇望の奴隷となっていく。鏡に導かれるままに生存→美しさ→愛されることへとその欲望が変貌していくことに彼女は気づいていたのかいないのか。血の赤を基調とした禍々しいドレスを身をまとった彼女は美女の血に染まった恐ろしい美しさを身につけていく。ここで興味深いのは鏡の行動で、自ら血の世界へレギーナを導きながらもどこか第三者的で抑制的だ。すると、鏡は二つの世界の界面であり、レギーナを依り代として両方の世界を往還する者であるという解釈がたちあらわれる。往還者の冷静なアドバイスと裏腹のオートマトンめいた凶行の手助けによってレギーナの欲求は爆発的なエスカレーションの道をたどっていく。

2.

本作のもう一人の主人公、白雪は正にレギーナのうつし鏡であるような愛に満ちた世界の住人である。実は彼女のところにも往還者が現れる。もう二人の主人公であるもちくんとはむちゃんの知り合いであるアベルだ。アベルは鏡とのあわせ鏡的存在であり、当然本作の重要な主人公のひとりである。レギーナの暴走的な凶行からのがれて白雪が逃げ込んだもちはむハウスに現れるアベルは、対蹠地たるふたつの世界を行き来するトラベラーであり、おそらくもちはむハウスはそれらの世界のはざまに位置するノーホエア、もちはむは世界間の調停者だと仮定することができるだろう。そのように考えるとなぜ彼がもちはむハウスにたびたび立ち寄るのか説明できる。ところではむちゃんのリボンかわいすぎん?
このアベルはいわゆる「善人」ポジションで登場するが、その行動はかなり鏡の行動と通じるものがある。その最たるものは白雪本人をベイトとしたレギーナトラップ、その実態は自ら希求していた鏡の捕獲である。鏡がエスカレートしていくレギーナの欲求に苦悩するように、アベルは自らの欲求に苦悩しているように見える。そんなアベルを想うはむちゃんの「アベル~」がかわいすぎてちょっとかわいいですね?

3.

こうして物語は怒涛のように終幕へとなだれ込んでいく。白雪をおとりにしてレギーナを待ち伏せることに成功したアベルは、鏡をついに発見して対峙することになる。この幕では非常に興味深い概念が登場する。「宿主」という言葉だ。アベルはレギーナを鏡の宿主と呼ぶ。ところが鏡は混乱するレギーナをその中に取り込んでしまう。この物語において魔法を解くキスをするのは王子様が白雪姫にではなく、鏡がレギーナに対してなのだ。そしてその帰結は魔法から覚めて目を覚ます白雪姫とは真逆の魔法の鏡の中への永遠の吸収、ホストスイッチによってレギーナは鏡の絶対共生体へと相転移する。多分スクリプターはこの二者の関係を寄生関係として描いていると思うのだが、ぼく的にはこれはまぎれもなく共生である。共生において宿主は進化的な淘汰圧の向きによって容易に逆転する。そして細胞内共生は二つの独立した生命間におけるある種の結婚でもあるのだ。「だれかの心臓になれたなら」が流れ始めると雨が血にかわる。2人の世界往還者は歌を通して会話する。暗転。鏡は消える。「魔法の鏡はこわしたよ」。本当に?

4.

悲劇の主人公であり物語における物理世界の主である王の前でアベルは白雪に求婚する。反転世界の一方で狂気の中始まった物語は、反転世界の逆側で幸せな終結を迎える。そう、この物語は対称性の物語だ。2つの世界の象徴たるレギーナ(「レギーナ」には女王という意味がある)と白雪(姫・すなわち将来の女王)、2つの世界の往還者たる鏡とアベル、それら個々の持つストーリが交わり、白雪はアベルと結ばれる。レギーナが住んでいた冷酷な弱肉強食の世界と白雪が住む暖かく愛に満ちた世界、そこに対称性があるならば、白雪はなにと共生している?

・・・あ、アベル!?

左様。物事の反転性、反転世界間を異なるベクトルをもって行き来する往還者。往還者は反転概念の象徴とそれぞれ共生関係を結んで、そこからまた新たな物語が始まるのだ。そう、誰一人として脇役のいない物語の輪廻が!

5.

バーチャル空間での観劇体験はかなり驚きのものだった。物理演劇で感じる同所感や空気感、役者の呼吸まで聞こえるような臨場感といった要素はそれぞれ備えたうえで、それらを越えた表現空間がそこにはあったと思う。奥行きのあるセットは、観客席の上にある屋根の向こう側に広大な空間を感じさせるし、暗転からのセット交換は世界が移動するような迫力だ。随所に挿入される歌パートのパーティクル演出はストーリーと一体化して鮮烈な印象をもたらしてくれるし、特に物語の序盤にレギーナが覚醒する場面で押し寄せる血の海は一瞬「ひっ!」と足をひっこめるような迫力がある。YouTubeでの視聴でも充分に楽しめる内容なのだが、これは是非バーチャル空間上でみてほしいコンテンツだと思う。

終劇後に役者さんやスタッフさんとそのまま懇親会に移行できるのも素敵ポイントだ。写真を撮ったり、みんな入り混じってわいわい感想を話したり、温泉に入ったりできるのはバーチャルならではだろう。あと、2次元画面上で見るのと、実際にバーチャル空間上で会うのとでは同じアバターでもだいぶ印象が違うというのはちょっとした驚きだった。ぱんだ意外とでかいし、もちくんとはむちゃんはとんでもなくちっさかわいいし、あと、第一公演の感想動画でリーチャ隊長さんが限界に達していた白雪役の甘野氷さんのとんでもない尊さは、是非現場で確認してほしい。あまりに尊すぎてぼくはお話ができなかったZO。あとね、何度でもいうけどはむちゃんのりぼんむちゃくちゃかわいい!

まとめ.

バーチャル演劇は徐々にコンテンツが発表されつつある新しい分野だと思うが、ぱんだ歌劇団の「レギーナと魔法の鏡」はこの分野の新星として必見だと思う。そして是非YouTubeとバーチャル、両方で体験することをお勧めする。実はバーチャルに加えてYouTubeにもいいところがある。カメラの動きがとても素晴らしく、実にエモい絵を見ることができる。これはバーチャル空間ならではの撮影技術だと思うので、将来的にはカメラ目線でのバーチャル観劇体験ができるようになると、すごいことになるのではないだろうかという気もしている。
いずれにせよ、是非ご観覧を!

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