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キリストの香り
タイに住んで今年で20年になる。20年もの長い間タイに住まわせてもらい、さまざまな恩恵を得て学びも多かったように感じるが、それはこの国の人々の大らかさ、優しさに支えられてきたからこそと思う。微笑みの国タイで私は本当に包まれるようにして波瀾万丈な30-40代を乗り越えてきたような気がする。この国の人々の国民性を語る際に忘れてはならないのは故ラーマ国王9世の存在である。彼はその人柄から国民に非常に愛されてきた。タイ人の国民性の良いところを全て凝縮したような正に国王の中の国王とも言える存在である。最近、この国王にまつわることで新しい発見があり大変感動した。タイに詳しい日本人カトリックの修道女に教えてもらったのだが、国王は実母が珍しく王家親族の出身ではなく、カトリック信者の平民であり看護師であったが、仏教国の国王となる息子をキリスト教徒にすることはできないけれど、カトリックの教えを学んでほしいと思い、某カトリック学校の寄宿舎で数年学ばせたらしい。その話を聞いて、「キリストの香り」という聖書のニュアンスを思い出した。キリスト教信者でない人が、キリスト教信者よりよっぽど信者らしい生き方をしていて尊敬に値する人がいるなどということを耳にすることがあるが、それが多くのタイ人に値することではと私は思う時がある。そして、この国王の教育歴を聞いてタイ人の人柄について納得がいった。この国王の道徳心を真似て生きている人々の心の中には本人が気づいていないキリストの「香り」がほのかに漂っているのだろうと。
まだまだ未熟な私であるが、今後も一人の母として、教育者として、心理士として、クリスチャンとしてキリストの教えを間接的に人に伝えたいという思いがある。ラーマ9世国王という素晴らしい国王を生み出したこの国で「キリストの香り」を嗅ぎながら私もその香りに近いものが漂わせることができるような人間を目指し生きていきたいと思う。今年の暮れ、ふとこんなことを思った。これを2025年の目標としたい。