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私がクリスチャンになった訳[3章: 聖書と共に旅立った日]
私はヨーロッパに一年滞在後、日本へ帰国し地元の学校で教職についた。これも神様のお計らいだと思うが、勤務先はカトリックの学校だった。そこでのシスターたちの出会いが私が後にカトリックの洗礼を受けるきっかけとなる。シスターたちが学校行事の際にお祈りされる時、その祈りの言葉の一つ一つが私の心に染み込んでくるような感じがした。そんな時、私はいつも「やはり神様は一つ。どこにでもおられる。どんな宗教を通しても私に語りかけてくださる」と思いつつ、私の信仰する新宗教の儀式からは得られない感動を覚えるのを否定できなかった。一年だけ日本に勤め、難関な教員採用試験に合格したにも関わらず、ヨーロッパの恋人の下へ翌年渡った。駆け落ち同然の危険な旅立ちだったが、渡欧した理由は三つだった。一つ目はその恋人が結婚してくれるかもしれないという期待があったこと。そうなれば永住権が得られ、新宗教の海外布教ができるかもしれないと思っていた。二つ目は母親との関係が良好でなかったため彼女から逃げたかったため。(一年間ヨーロッパに住み私は親孝行という柵から大分解放され良くも悪くも大胆な人生の選択ができるようになっていた。)三つ目は、自分でも分からないけれど、探し得ていない何かを求めて生きる必要があると思っていたためだ。出発前、なぜか私は勤務先でお世話になったシスターTにどうしてもお会いしたく、ご挨拶に伺った。「実は彼と結婚できるかどうかわからないまま、旅立つのです・・・」寂しそうにそんな言葉を漏らした私を見て、彼女は「これを持っていきなさい」とご自分の小さな聖書を私に下さった。「聖書は生涯の心の宝物となりますから」とシスターは仰った。私はスーツケースの中に英語の辞書と新宗教の教典とこの聖書を大切に仕舞い込んで、再びヨーロッパへ旅立ったのだ。(続く)