友川カズキが
とりあえず衝撃的だったので急いで記しておく。
あの友川カズキが新しいアルバムを出す。もうこれだけで衝撃的だった。しかも、あの友川が、曲中にポエトリーを入れた……外じゃあまり吐き出せないので、ここに記すことにした。
僕の回りに友川カズキを知っている人間はいない。世代的にはまずありえないし、ジャンルも違い過ぎる。だから、僕の回りに友川カズキを知っている人間は僕一人。だから共有する必要はなかった。わかるはずはないし、友川カズキがわかるなら、それはある一点から見ると、とても悲しいことだからだ。
友川カズキを初めて知ったのは高校生の頃で、「IZO」という映画の劇中歌だった。DVDで古い映画を漁っていた時に見つけたのだが、そのあまりのインパクトに、当時聞いていた音楽の殆どを飛ばされそうになったのを覚えてる。
この曲を聞いている時、僕はブラックミュージックやその周辺の歴史やカルチャーに強い興味をもっていた。だから最初に感じたのはブルースだけど、後期のジョニス?にてるけど、そこまでふざけちゃいない。こいつはヒッピーじゃない。むしろパンクだ。フォークという印象はまっさきに感じたけれど、それがフェイクなのは明らかだから無視した。この男にとって演奏は服だ。人前に出るから着てる程度の。だから見るべきは、歌詞の内容と歌い方。もしかしたら、ケルアックやバロウズが歌ったらこうなのか?かなり近い、じゃぁギルストコット?似てる、けどあまりにも違い過ぎる。この人は世の中を見てるようだが、見てるのは自分の世界だけだと感じた。
つまり、何にも当てはまらない。ただの圧倒的な友川カズキ。見せつけられた気がした。身一つで挑まれていた。こんなにも恐ろしい大人が世の中にいるのかと思った。
気取ることは悪いことじゃない。けど、それを否定して刻む言葉の鋭利さ、重み、それを手に入れるのは、気取れる人間よりもはるかに少い。「生きてるって言ってみろ」を聞いた時は身震いした。誰にでも届いてしまう孤独を切り取った、修羅の世界の音楽。そして、この男が本当にその世界に生きていることを疑うことは何も無いほど、リアルに徹した津軽弁まじりの詩だった。
「一人ぼっちは絵描きになる」では、友川カズキは孤独によりそっていた。孤独を愛しているが、本当に孤独を愛している人間は、孤独を憐れみ、やはり憎めるんだなと感じた。
その友川のニューアルバムのレコーディング風景の動画で聞こえたポエトリーリーディングに僕はもう震えるしかなかった。本人のリーディングではないが、彼が楽曲にポエトリーを入れたことだけでも嬉しかったからだ。
惜しまれるべきは、友川がポエトリーをやってくれないかということ。けど、それにも期待して新曲を待つ。