高校3年生の【高校生活最後の試合】と【怪我】について考えてみる。
これはあくまで私的な考えであり、情報源はネットに上がった記事から考えたことです。
2023年の春高バレーで考えさせられたこと
春高とは
春高という大会
春高とは、【全日本バレーボール高等学校選手権大会】の通称名で、以前は春に開催されていたため、春がついているが、現在は1月に開催され、高校生にとっては、高校生世代最後の試合として開催されている。
インターハイ、国体とともに、高校生にとっては3大大会と言われ、特に高校生世代の集大成という大会というだけでなく、主催に「フジテレビなどフジネットワーク28社」が入るなど、バレーボールの大会でいえば、同時期に開催されているバレーボールのトップリーグであるVリーグより、この時期の認知度が高い大会、という側面もある。
毎年、秋から冬にかけて、各県代表を決める予選大会の決勝(都道府県によってはもっと前から)が無料配信されるなど、近年は現地にいなくても高校生の戦いを目にすることもできるようになった。
そんな今年の春高、2人の選手に注目した。というか、せざるを得なかった。
一人は、春高準優勝となった熊本県代表の鎮西高校のキャプテン 舛本颯真くん。そして、もう一人は残念ながら初戦である2回戦で敗戦した愛知県代表の愛工大名電高校のエース 笹本穏くん。
この二人の共通している点は多いのだが、一つは世代を代表するスパイカーであること、高校卒業後の進学先がバレーボール界のエース石川祐希選手の母校である中央大学であること、そして、高校生の最後の試合を「怪我」した状況で迎えることになったこと。
まずは笹本くんについてはこの記事を。
愛知県予選の時は、少し無理して出場した笹本くん。なぜなら、愛知県は愛工大名電の他、星城高校(石川祐希選手の母校)、今回決勝で戦った大同大大同高校と、これらの3校が集結した国体では、準優勝するという実力のある選手が分散したこともあり、高1の県決勝は星城高校と大同大大同高校がフルセットの戦いとなり、高2の県決勝は星城高校と愛工大名電高がやはりフルセットの戦いとなり、どちらも星城高校が愛知県代表となり春高に出場した。
このため、愛工大名電の高校3年生にとっては、悲願の出場したい大会であった、ということだったと思う。
その後もSNSで、高校のOBが治療器を寄付するほどの支援を行っていたが、試合までに万全な状況にすることが出来ず、ドクターストップとなり、1ポイントの出場となった。
一方の舛本選手。
舛本選手も優勝した国体の前頃より、膝の状態が悪化したとのこと。
鎮西高校のプレースタイルは【エースに託すバレー】なため、2年生で準優勝となった春高の決勝では、驚異の52得点(フルセット)を上げた。いったい、何本のスパイクを打ったのだろうか。
もともと高1から膝の不調を抱えたいたようだが、昨年の春高の頃はそのことはあまり取り上げられていなかった。
高3の国体決勝で、舛本くんだけに頼らず、対角の井坂くん、セッター対角に入る平田くんの素晴らしい活躍もあり、愛知県代表に勝利し、鎮西高校にとって念願の国体初優勝をもたらした。
ただ、その後も、膝の状況は変わらなかったようで、熊本県予選以降は治療に専念し、春高の約2週間前から練習に参加する、という厳しい状況であった。
笹本くんと舛本くんの、それぞれの怪我の状況の詳しいことはわからないし、医師の判断も分かれることだろうし、さらに、指導者である監督の考え方もあるんだろうと思う。
特に鎮西高校の入ったゾーンは、厳しいゾーン。
だからこそのこの激しい戦いとなった。
春高なんて、あくまで選手生活の一つの過程の大会なんだから、長い選手生活を考えれば、無理させる必要はないんじゃないか、そんな風に思う気持ちがないわけではなかった。ただ、実際に会場で、舛本くんのプレーを見ると、そんな思いは少し横において、どう考えたら良いのだろう…ともう少し深く考えてみたい、と思った。
鎮西高校のスタイルをここまで続けてきたのは、ダントツ最年長の76歳の畑野監督の考え方が強くあると思う。そして、その畑野監督も決して【目前の勝利】だけを考えた采配ではなかったんじゃないかと考えさせられた。
良いとか悪いとかではなく、長い人生の中で、先を見渡した中での今をどう高校3年生に選択させていくのか、それをこの二人の選手、さらには、彼らを指導する監督、コーチなどの短絡的ではない考えのすえのものなんだろうと思うと、単なる一視聴者の私があーだこーだ言うことではないな、と思った。
ただ、今年の春高は、この二人の選手を通じて、いろいろと考えさせられたことは、とても有意義だったので、きちんと残しておきたいと思い書いてみた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?