消滅か存続か
この記事は、16年前の自分へのツッコミというスタイルで書いています。
今後10年以内に消滅する可能性のある限界集落。人口減少時代のなか、市街地へ集住させるコンパクトシティを推進させるべきか、それとも集落を存続させるべきか。消滅か存続か。地域によって、あるいは判断する人の立場によって、難しい選択となる。
コンパクトシティとは、行政の財政状況や経済効率性を重視して、へき地の住民に市街地に移り住んでもらうという概念である。既存の地域開発が人口増加を前提に推進されてきたことを踏まえ、人口減少時代にはこれと反対の発想で、コンパクトな地域社会づくりをしていくべきという立場である。ただしここには、地域伝統文化の継承の問題と居住権の問題が存在する。
他方、へき地の限界集落存続の考え方は、地域社会の歴史、伝統文化、神社、そこに住む人々の権利を重視する。どんなに時代が変わっても、へき地には市場原理だけでは説明しきれない郷愁がある。郷愁は市場競争する人々の精神や価値観を根底で支え、生きている証しや働く意味を確認させる。市街地の病院から遠い集落には、自家消費の野菜を作りながら、自立した独居高齢者が暮らしている。ただしここには、費用対効果の壁が立ちはだかっている。
コンパクトシティ推進とへき地集落の存続。住民はどちらの考えに近いのか。「土地への愛着や思いとコストパフォーマンスの葛藤がある」「開拓スピリットと時代変化の間で悩む」(北海道調査より)。住民の苦悩が読み取れる。
集落の統廃合について、反対派が大勢を占めるなか、少数だが賛成派もいた。「もともとは人間が開発した土地だから、集落が消滅すれば、以前の自然状態に戻るだけ」というのがその理由であった。
行政が強制的に市街地へ移住させなくても住民は近い将来そうなると思っている。自然摂理の弱肉強食、適者生存によって、多くの集落は結果的にコンパクトシティ化していく。厳しい現実である。
2007年10月17日
16年経過し、改めてこの文章を読むと、理論武装しすぎ感と単純化しすぎ感が否めないです💦 にもかかわらず、というか、だからこそ、地元の高校教師からこの記事を教材で使いたいという問い合わせをいただいたことも思い出されます。
突然ですが、ChatGPTに16年前の文章を要約してもらいました。👇
限界集落の存続か、コンパクトシティ化か。これは、地方の人口減少に伴う問題であり、選択は困難です。一方で、伝統文化の継承や居住権、郷愁を重視する声もあります。しかし、市街地に集住させることで財政的な利点があり、自然摂理の弱肉強食によって限界集落が消滅する現実もあります。この問題には、住民の苦悩がつきまとうことでしょう。
ChatGPTに2023年の現在にも通用するよう、加筆してもらいました。👇
今後の社会の変化によって、地方の限界集落がますます消滅する可能性があると考えられます。新しいテクノロジーによって、遠隔地での仕事が可能になり、若者たちは都市部に集まる傾向が強くなっています。また、少子高齢化が進行し、限界集落の住民が高齢化しているため、集落の存続がますます難しくなっています。
一方で、地域伝統文化や郷土愛など、限界集落の存続を支持する声もあります。これらの文化や価値観は、地方のコミュニティを形成し、地域のアイデンティティを形成しています。
したがって、今後もコンパクトシティを推進することと、地方の限界集落を存続させることのどちらが優先されるべきかは、地域によって異なるでしょう。一方的にどちらかを選ぶことはできず、慎重な判断が求められるでしょう。
また、地域開発においては、住民の意見を十分に聞き入れることが必要です。住民自身が地域の発展に貢献することで、コミュニティの絆を深め、地域の活性化を図ることができます。さらに、テクノロジーの活用や新しいビジネスモデルの導入など、地域の特性を生かした地方創生の取り組みが求められています。