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自己成就的予言

この記事は、16年前の自分へのツッコミというスタイルで書いています。


 多くの学問分野があるなかで、なぜ社会学者の道を選んだのかと聞かれたら、それはきっと社会学の魅力に取りつかれてしまったからと答えるであろう。研究者を志した当時、「自己成就的予言」(R・K・マートン)の概念と出合ったことが大きいかもしれない。

 自己成就的予言とは、「ある思いこみや信念が予想していた通りの状況が実際に生起する場合、その当時の思いこみや信念をさす概念」(有斐閣「新社会学辞典」より)である。

 たとえば、占いを信じてその通りに行動する人を想像してもらえばいい。あなたは晩婚ですねと占い師に言われた場合、実際のところ、ここに科学的根拠はない。だが、晩婚だと言われた人がこれを信じ、自らの人生で決断する局面になったときに、その通りに行動するならば、結婚の機会を逃して本当に晩婚になるということが起きてくる。また、銀行が危ないというデマで取り付け騒ぎが起きて実際に破産する現象や、株価暴落の予測が実際に株価を暴落させる現象も、自己成就的予言を説明するには分かりやすい。

 ここで注目したいことは、自然科学では自己成就的予言があり得ないという点である。この意味で、本概念はきわめて社会学らしいものといえる。

 なぜこういった違いが出てくるのか。社会科学と自然科学とでは、研究対象の性質が異なっている。社会科学の一学問である社会学の研究対象は、きまぐれだったり気分屋だったりする情緒的・主観的側面をもった人間であるのだから。もちろん、社会学者である私自身も自己成就的予言から逃れることはできない。

 大学教員という仕事柄、若者と接する機会が多い。将来の見通しが持てない学生に、さらには希望を見失いつつある大人たちに、「根拠のない自信」を持つよう助言することは、無謀に過ぎるであろうか。


このエッセイは、2007年7月11日、地方紙のコラムのために書きました。

今も変わらずこの概念、好きです。人間性や人間的な特徴が盛り込まれていて、社会学らしい概念だと思うからです。

担当授業の資料より

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