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虹色のアンチテーゼの街、テルアビブ

2010年よりイスラエル人の夫と縁がありテルアビブに住みはじめ、2021年秋に夫と共に日本に戻ってきた。気づけば干支が一周するほぼ12年をあの街で暮らしたことになる。

イスラエルの人口の多い上位2都市はエルサレムとテルアビブであるが、それぞれの街のカラーは真逆と言える。彼の地での暮らしは決して平坦なものではなく、さてイスラエルが好きかと問われればうーんと首を捻るしかないのだが、テルアビブはと聞かれれば答えは違う。あの街は概ねいつでも私の味方でいてくれたように思う。

現代テルアビブは慣れてしまえばコンパクトで個人レベルの融通もきく一方、日本人にとっては不便も多いが、ルールでガチガチの日本より心理的にはるかに楽に暮らせる街である。またイスラエル全般に、より自分がありたい自分でいることが許される社会で、かつテルアビブは特に移民が主役の、自由と受容のマルチカルチャータウンだ。そのため私のようなアジア系の移民でもまあまあ居心地は悪くなかった。むしろ日本人と知ると喜ばれるケースも多く、親日を感じられる街だと思う。

なぜ、テルアビブはそんな特色を持つ街になったのか。テルアビブはコンテンポラリーの街、コンテンポラリーはトラディショナル、クラシックへのアンチテーゼである。伝統的、民俗的象徴であるエルサレムに排除され、引き裂かれ傷ついたマイノリティたちがお互いを受け入れ、許し、自分たちの世界を築き、できたのが現代のテルアビブという街だと思っている。移民や、ユダヤ教ではタブーとされるLGBTQ人口も多く、その多くが幸せそうに見える。

そういえば国民の幸福度が何故か異常に高いのだ。頻繁に紛争があるため、幸せの敷居が低いんではないかと私は読んでいるのだが。実際滞在中三度経験した戦争の間は、家族友だちみんな生きいてくれてありがとうという気になったものだった。

大きく視点を変えて、コンテンポラリーアートを通してテルアビブとエルサレムの対比を思うとまたテルアビブが好きになる。変化を受け入れ続け柔軟に力強く姿を変える、虹色のアンチテーゼの街。空と海の青がどこまでも綺麗で、でも砂っぽくて埃っぽくて、綺麗も汚いも、古いも新しいも一緒くた。そんな街で暮らした日々の忘備録。

※ 写真はテルアビブのロスチャイルド通りとヘルツェル通りの交差点。

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