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絶望のアバター2 ➖奪われたのは金か、時間か。

とにかくひどい映画である。
2009年の「アバター」は、自分史上はじめての3D映画として強い映像体験を与えてくれた(ストーリーや内容はまったく忘れているが)。
今回、あの体験がアップデートされるのではないかと期待して観に行ったのである。
しかし待っていたのは虚無の192分。逆から読むと291、ニクイ。

絵は美しい(丸の内ドルビーシネマ)。マリファナでも吸って観れたのならずいぶんよかったのではと思う。

主人公一家が森を追われて海にいくまでのシーンは、そのリッチな映像に釘付けになった。特に森の緑から海の青は、色味の気持ちよさで酔える。また海洋生物やヘリなど兵器のフォルムは、ありそうでない絶妙なリアリティと近未来感があってワクワクする。
この世界を自由に遊べるゲームがあれば最高だ、なんて思った。
一方で、近年の傾向なのか、スクリーンから飛び出してくるような表現はあまり取られず、画面内の奥行き表現としてのみ使われていることにやや拍子抜けする。

しかし、絵の美しさは慣れてしまう。では、物語はどうか?

脳はおそろしいもので、どんな新たな感覚だろうが馴らしてしまう(そう思うとVRに限らず表象に関するテクノロジーのはかなさを感じる)。
ことにこの映画では水中シーンが多すぎて、さすがに飽きる。
つまり徐々に映像のフレッシュさから、いよいよガワの中身に目が向くようになると……辛い。

主人公が家父長制の権化かつ腑抜け

自然と一体となった共生型の社会(自然を破壊する地球人は悪として描かれる)において、主人公自体がとにかく旧い家制度に縛られている。何度、「父は家族を守るもの」という言葉が出てきただろうか(しかもいいこといってます感のブレスと壮大なBGMで装飾する)。
子どもたちへのしつけはスパルタ式、長男には兄としての振る舞いを押し付け、女の言葉はほとんど意に介さない。
主人公にあえて反感を抱かせるようなキャラ付けかと思ってしまうが、最後まで「父は家族を守るもの」と言い続けるところをみると、そうではないのだろう。

そうして益荒男振りを発揮するくせに、所属する共同体に迷惑をかけてばかりだ。もう自分の命捧げて許してもらえよと思うが、そこは家族を第一に巻き込む巻き込む。ならばそもそも森の社会を出る必要もなかっただろう。

つまり、主人公が手前勝手な老害で、まったく共感できないのである。

ものすごく安っぽいヒューマニズム

この手のエンタメ映画にはつきものだが、命の価値の振り幅が大きすぎる。長男は丁重に葬られるが、名もなき戦士たちも大量に死んでいる。
もっといえばクジラと思しき巨大魚の命は人間一人分くらいあるが、クジラがめちゃくちゃ小魚食うシーンはダイナミズムにあふれている。
極めつけは悪役を最後に救うこと。大量の、たぶん仕事でやむなく付いてきた地球人たちは殺戮されまくっているのだが…。
個人の思いなしで命に差が出るのは当然のことだ。問題はこの映画が見かけ上はヒューマニズム(しかも生物すべてに向けた深い愛)を謳っており、そことの矛盾が当たり前にさらけ出さられていることだ。寄生獣のラストを見習ってほしい。理と情のギリギリの戦いを……。

結局、海の民の思いはどうなのか?

海の民の酋長の奥さんは、ずっと厄災を持ちこんだ主人公一家にイライラしている(そらそうだ)。子どもたち同士も認めあった瞬間がついぞわからない。別の海の民族はひどい拷問にあっている。なのに、酋長はひたすら主人公たちを守る。なぜだ?
絆が生まれる過程がすっ飛ばされているため、海の民がただのお人好しに見えてきて、それに甘える主人公への怒りがまた出てくる。

地球人は何をしてるんだ?

これは自分の勉強不足かもしれないが、地球人の目的が判然としない。裏切った主人公への制裁はさておき、大目的としては壊れかけた地球に替わる新たな生活環境を求めて来たはずだ。
地球人はすさまじいテクノロジーを持つ。その文明の利器で、この星を一瞬で制圧すればいいのではないだろうか…? なのに、ちんけに主人公の家族を人質にとったり、いちいち拷問をしたり、あまりにもコスパが悪いのではないか。
極めつけは、ラストのド派手なアクション。レーザービームの飛び交う激しい撃ち合いのあと、最後の最後に刺し合い殴り合い締め合い。結局フィジカルかよ! あと、人間の子強すぎ。

地球人は何をしてるんだ?

つまるところジェームズ・キャメロンの底の浅さ。底の浅さゆえに世界的ヒットメーカーになれるという、地球人の文化度への絶望だけが、この映画のくれたものだ。

中郡二宮町、持続的快楽生活。