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【ネタバレ】劇場版ジークアクスで脳破壊されたオタクの断末魔をふりかえる

劇場先行版『機動戦士Gundam GQuuuuuuX -Beginning-』(以下、ジークアクス)を公開初日に見てきました。
で、公式が微ネタバレPVを解禁しましたのでこの記事もまとめました。

以下の文章には激しいネタバレを含みますのでご注意ください。


ネタバレ回避クッション

今作は大変に視聴者たちのネタバレリテラシが高く、視聴済み勢たちは「グラハム・エーカーが親指立てながら溶鉱炉に出たり入ったりしている横をズゴックが泳いでいく」などという集団幻覚で無理やりネタバレ話したい欲求を抑えています。その結果、SNS上ではマチュちゃんのお胸に5倍以上のエネルギーゲインがあるくらいしか事前情報がわからない状況となっています。

それもそのはず、本作は特に訓練されたガンダムオタク(以下、ガノタ)にとって脳破壊級の威力があったわけでして。
以下の文章は、ガノタのひとりである私がいかにして脳を破壊されたかをつぶさに振り返る文章となっております。

謝辞

私もネタバレ話をできない以上、どうしようかなーと思いつつ他の方の感想を眺めて過ごそうと思っていたのですが……

で、仕事して眠って一晩経ったら「昨日はめんどくさかったけどやっぱり他人の感想に触れる前の自分が見ただけの純粋な感想をしたためておかなくては良くない」と思ったので書いた。人と感想混ぜない方がいいですよ。ちゃんと自分の感想を形にしてから混ぜましょう。人の意思は暖かいけど地球すら破壊するから……。

上記のマシーナリーとも子さんのnote記事より引用
太字強調は引用者による

「人と感想混ぜないほうがいいですよ」というシンプルながらココロに刺さるお言葉に感銘を受け、この記事を書き記しておくことにしました。
ゆえにこの文章は、映画を見てきて死んだように眠った翌朝にパンフレット等も見ないで映画を見た衝撃のままに書いた文章をベースにしています(推敲や加筆はだいぶしましたが)。

ともあれ、深いお言葉をいただいたマシーナリーとも子さんには感謝を申し上げます。
まぁまだ全文は読んでないんですけどね😇 自分の感想を混ぜないためにー

……さて。

覚悟の準備は十分か

確認する。
ネタバレシールドは張っているな? ジークアクス視聴は完璧なんだな?



HGジークアクスも劇場で買っちゃった!
というわけで本編です。


ここから本編

視聴までの流れ

ではここから、脳破壊の過程を丁寧丁寧丁寧にたどっていきます。
走馬灯がどう流れたのかを再確認するような文章かもしれません。

実は私は、今回のジークアクスについて事前情報はほとんど仕入れていませんでした。公式の PV を1回さらっと見たかなくらいの感じで……まあこう言っちゃなんですが、あんまり期待しない状態で見に行ったんですよね。
Twitter(現X。以下、Twitter)でRTされてくる情報で、海外の公式がしれっとネタバレを流しちゃったかもとかそのへんは不本意ながら見かけたんですが……

私は公開初日の金曜日に見ましたが、そもそも当日が公開初日だということすら知らず。3件の病院をはしごして疲れたので、さあ帰るかなと思いつつ薬屋の待合室あたりでTwitterを開いて……今日が公開日だという情報とともかく何もしないで今すぐ見に行けというツイートが。

うまく言えませんが、これは、という導きのようなひらめきで薬屋から病院の近くの映画館まで取って返して視聴してきたというわけなのです。

しかし、映画を見た後の皆様ならわかるでしょう。これは必然の導きだったのだと……いや、何と言うかまさかあそこまでニュータイプな感じだと思わないじゃないですか? いやほんとマジで。

……あまりにしつこいですが、もう一度ここで言います。
まだ見てない人はこの先を絶対に読まないでください。
あの作品は知っているか知らないかで受ける衝撃が大きく違います。
もちろん知らなくても面白い作品だということは私が保証しますが、やはり体験をひとつ失うというのは悲しいことです。私はその喪失の片棒を担ぎたくはありませんので……

呼吸を止めて0秒

私は映画館が苦手なんですが、それは椅子に縛り付けられた状態で興味のない映画の予告を延々と15分ほど見せられるという拷問があるからです。何のためのレーティングなんだこれ、って🫠
……そんな予告群を見せつけられた後に劇場の灯りが消えまして、株式会社カラーという例のロゴが出てくるわけです。ウルトラマンの音と共に。で、その直後にサンライズの例のハロのやつが出てきます。
ヒーロー戦記かな

まぁ、ともかく余裕があったのはここまででした。

おっ本編始まったかな? と思っておそらく1秒未満
これ、あれじゃん!という衝撃が我々を貫いたわけです。

何これ? 宇宙世紀じゃん。しかもファーストガンダムじゃん。
完全にあの永井一郎さんのアバン再現してるじゃん
TV版機動戦士ガンダムの映像を綺麗に描き直して、しかも音楽はそのままで……あっ

「戦争は膠着状態に入り、八ヶ月あまりが過ぎた」

てれれーん
 でれれれーん
  - Beginning -

…………

庵野ォォォォォォォォォォォーー!!
やりやがった……やりやがったアイツッッッッッッ!!!!!!!

注:この時点で鶴巻さんが監督なのは把握していたのですが、こんなことやるやつはアイツ以外いねぇ!と確信しています。

クソッッッッッ!!!
やられた!!!!!

これシン・ガンダムじゃねえか!!!

ある程度の知識を持ったガノタにとって、一年戦争の開戦から8ヶ月というのは「もうわかるよね?」というメッセージなんです。

いえーいオタクくん見てるー? これからキミの大事な機動戦士ガンダム第一話を俺色に塗り替えちゃいまーす!」という宣言なわけです。

あ゛あ゛あ゛あ゛ああ゛ああ(頭部が破壊される音

※これらの叫びはオタク特有の脳内量子空間で行われています。劇場では静かに鑑賞しましょう。

脳内量子空間は現実世界と時間の流れが違いますが、それにしても映像は止まってくれません。そんなことやってる間に映画は進行します。
あっ、ザクが三機……

待って??? なんでここに赤いザクがいるの????

ガノタにとって赤くて角の生えたMS(モビルスーツ)とはヤツが来る合図でして、フリーダムを見たら十中八九キラが乗っていると思えなんて格言が足元にも及ばないレベルの確率、十中九十でシャアが乗っています
でもね? このシャアザクは元のガンダム一話には出てないんだ。
シャアザク? どうしてここにいる? ダメじゃあないかお前はムサイのMSデッキにいなきゃあ!

これは少し後の劇中の発言により(本来行くべきだった)ジーンのザクが故障していてシャアが出ざるを得なかったらしいとわかるのですが、もうなんていうか嫌な予感しかしません。原作通りにスレンダーがコロニー外壁で見張りに立ったので、サイド7にシャアとデニムふたり。何も起きないはずがなく――

念のためここで原作「機動戦士ガンダム」の流れをおさらいしておきますと、原作ではコロニー内の偵察を命じられていたのは下っ端ジーンと上官デニムの2名。
それでジーンが「シャア少佐だって、戦場の戦いで勝って出世したんだ!」と功を焦り先走って襲撃を開始しちゃったら、緊急のドサクサでガンダムに民間人の少年が乗っちゃったことで流れが急変。史上初のMS戦が民間人ガンダムvs軍人ザクで行われ民間人ガンダムが勝っちゃう……ことで長いガンダムの歴史が始まったわけです。
このときガンダムに搭乗した少年がアムロ・レイ。
特集番組で毎回「ガンダム、行きまーす!」って言ってる子で、当然ながら初代主人公というやつです。

でも今回、ジーン欠席してんだよな……いやまさかな……


いやまさか本当にやると思わねぇじゃん?

……そしてシャア少佐は赤いザクを駆り、ジーンが言ってた通り戦場で手柄を立てるために襲撃を開始したのである。その結果は諸君らが知っている通り、シャアがガンダムを奪取することとなった。
それはいい! しかしその結果、シャアをガンダムに乗せるために本来の主人公であるアムロの活躍を開始前に終了させるという、あまりにもマジでそれやるのやっちゃうのマジで?!という展開が発生した!
ドラえもんに例えるなら、最初から青狸の代わりに黄色くて有能な妹が派遣されるような展開をあっさりやりやがったわけなのである!

……通常カラーのガンダムを赤く塗ったキャスバル専用ガンダムとかは、金型の都合で立体化もされたりして大変に人気が出ており、そもそもゲームなどのif展開としての前例があります。
とはいえ、こういうのにはシャアの本名であるキャスバルの名が充てられている通り、少なくとも普通のガンダムにはアムロが乗ったという前提があって……つまり、本編の流れを踏襲したうえで別の要因が入り込むとかそういう話なわけで……

いきなり第一話というか大前提ぶっ壊してくるとは思わんでしょ???

それはまあ、確かに可能性として考えないわけではなかったけれども。でも無意識にマスクしていたという部分で……ガンダムという作品がガンダムという作品であるというアイデンティティを揺るがすような展開じゃないですか。
ここらへん、私が子供の頃にSDガンダムというコンテンツでガンダムの声をアムロの中の人が演じていた(他も同様にパイロット担当の人が擬人化?されたMSの声を当てたりしているギャグ作品)ことで、MSと中の人は基本的に一致しているという刷り込みがあったからでもありますけれども……

画像はサンライズ「機動戦士SDガンダム」作品情報より
当時は劇場公開もされていた、れっきとしたガンダム作品なのだ


……と、意識が彼方へ飛び去りそうでしたが、そんなことに驚いている暇もなく。劇場ですからね、映像は止まってくれません。
ジークアクスに戻りましょう。

ほーんそういうことね完全に理解した

ガンダムのデザインがいろいろ違う……でもこれガンダムだな。ちょっとデザイン違うけど、そういえばザクもケツにブースターがついたりしてデザイン違ったしなぁ。おっ、コクピットも乗り込み方が違う。なんか現代的にアレンジされてる……
と、そんな観察をしながら見ているとコクピット内のシャアの意味ありげな視線。あ、これまさか言うの? シャアがあのセリフ言っちゃうの??

「ザクの5倍以上のエネルギーゲインがある」

言っちゃったァー!!!

ここでようやく、私はこの作品の方向性を確信するに至ったのであります。

これはifの物語である。
ガンダムがアムロと出逢わず、その位置にシャアが来る物語なのだ、と。
だって、このセリフさえ言わなけりゃ、まだシャアが乗ったガンダムをアムロが別ガンダムやガンキャノンで止める展開だってあり得たかもしれないという、有り体に言えば原作にすがる口実を抱けていたわけで……

というか、ここで確信しますよね。
スタッフの奴ら、オタクに向けて「いえ~い」を見せびらかしにきている

ファーストガンダムの作中で印象的だったシーンを尽くシャアVer.としてオマージュしていくつもりだ。だいたいデザインが完全に違ってて搭乗口の仕様まで変わってるってのに胸から謎の排気をしながらガンダム大地に立つをするシーン、相当にコダワリがなけりゃ再現しねぇだろ

後にパンフレットを読んで知ることになりますが、このシーンは庵野さん肝いりのシーンで鶴巻監督の難色を押し切ったものであるそうです。
やっぱりな

で、まぁ案の定というか、シャアザクキックをガンダムが繰り出すという夢のような悪夢のようなシーンを交えつつ、一年戦争の歴史もまたシャア版に塗り替えられて進行していきます。
さらにこの過程で、ガンキャノンもガンダム1号機(01ガンダムと呼称)も丁寧丁寧丁寧に処理されていきます。ガンタンクは……まぁ元々扱いがアレな子なので……

余談ですが、世で「ガンダム」と呼ばれている機体はRX-78-2という型式名が与えられており、要するに2号機だと設定されています。
シャアが奪ったのも当然この機体で、01ガンダムと呼ばれていた機体は1号機「プロトタイプガンダム」などと呼ばれていた機体に相当すると思われます。

君は刻の涙を見たか?

こうした展開の中で、ガノタはひとつの可能性の分岐を突きつけられます。ガンダムに乗って活躍するのがアムロではない以上、ニュータイプとしての資質を見出されるのがシャアになるのです。

ここで話が巧妙なのは、ニュータイプとして覚醒したのがシャア少佐(大佐)であり階級にフォーカスしている点です。
本来の歴史であれば、V 作戦の産物であるガンダムとホワイトベース(本作ではペガサスと呼称)は偶発的な成り行きで半民間人の独立部隊として運用されることになります。
虎の子の新兵器でありながら、扱うのはシロウト。連邦軍の上層はその状況をいいことに、あわよくば散ってもいい目立つオトリとしてガンダムなどを運用していました。
ジークアクス作中でもそれを指摘するかのように、ホワイトベースをこんな目立つ色とか言いながらジオン色に塗り替えていましたよね。

原作では、そんな中で覚醒したニュータイプとしてのアムロは、その能力に一目置かれる部分がありつつもある種の実験動物や危険人物として、いつでも切り捨てられる立場という前提から抜けられませんでした。本来の歴史であれば次作Zガンダムまでの7年間を幽閉されるという形で過ごすことになったのも、それを裏付けています。

しかし、ガンダムに乗ったのがシャアであればそうはいきません。
元々原作において、連邦よりもジオンの方がニュータイプについての研究が進んでいるという設定はありましたが、そこには非人道的な実験など、立場が低いものは使い捨てるという思想が強くありました。
原作で(一部媒体では娼館にいたともされる)ララァなどが重用されたのは素質が規格外で実験サンプルとして重要だったからにすぎないでしょう。

しかし、ニュータイプとして少佐や大佐といった高い地位にあるものが覚醒したとなれば、その扱いは慎重にならざるを得ません。今回の劇場版ではフラナガンというおっさんがめっちゃいい顔でシャアに生きて帰れ的なことを言うわけですが、このシーンの衝撃度というのはその顔のおっさん度とは比較にならないほど、大きな意味を持っていました。

もちろん「その裏」ではどんなことやらかしてたのかはわかりませんが……実際あとでなんかやっちゃいました感出しますしね

で。そのシーンの結果お出しされるのが、あのビットをシャアがガンダムで運用するという「主役機」によるオールレンジ攻撃です。
おいおいマジかよ。それ、本家ガンダムでも νニューガンダムまでなかったやつだぞ……という。

コの字型のやつがフィン・ファンネル。
画像はバンダイ ホビーサイト「RG 1/144 νガンダム フィン・ファンネルエフェクトセット」より

制作陣はもちろんガンダムや宇宙世紀の設定は把握してるでしょうから、宇宙世紀0093年に実現されたフィンファンネルがファンネルの名を冠してるだけのビットであることは理解しているわけで、それを0079年に実現して……技術革新こわれちゃ〜う!

映画「機動戦士GUNDAM 逆襲のシャア」に登場したνガンダムの装備「フィンファンネル」は、ジェネレーター内蔵型ゆえに長時間稼働が可能であり、ガンダム世界の他の充電式遠隔子機(ファンネル)とは異なる兵装と分類されます。上述のように、ビットのほうが実情に近いものです。
もちろん後年に開発されただけはあり、高威力の開放型メガ粒子砲の採用やフィン(ひれ)可動軸でのモーメント変更による推進剤の消費軽減=AMBAC など様々な性能向上は果たしていますが……

もっとも、この点を強調するかのようにジークアクス版ガンダムで運用されたビットは作戦中に推進剤が切れるという描写をきちんと入れてるあたり、ツッコまれそうなところはきちんと先読みして対策してあるという本作の異様な抜け目なさに唸るしかない要素となっています。ニュータイプかよ

しかしこの技術革新、コレが原作準拠だとしても荒唐無稽ではないというのはだいたい納得ができてしまうのですよね。作中でも「無理を言って」というセリフがあった通りではありますが。
先述のようにシャアが活躍していることでフラナガン機関にはかなりの予算や人員も割かれているでしょうし、そもそもニュータイプとしての覚醒が早まったであろうことで全体的なタイムスケジュールを前倒ししに来ています。
優秀なパイロットと機体があることでニュータイプ研究が一気に進んだと考えることに不自然はありません。
シャアがガンダムに乗って大活躍してしまったことで、戦争の趨勢のみならず基盤技術すら変わってしまったわけです。

……そう、本作ではそんな解釈が自然な範囲で出てくる。これは非常に筋が通った改変なのです。
あまりにも説得力がありすぎる。

ガンダムの設定に真摯に向き合っているからこそ、こうだったらこうなるという説得力が違いすぎる。しかも映像表現がうますぎるのでぐうの音も出ない。
ガノタが「ガンダムが好きならネタバレ無しで見たほうがいい」と騒ぎまくっているのは、こんなにも圧倒的な「ぼくの考えた究極のガンダム解釈」をお出しされてある種の論破をされる感覚がヤバいからだと私は思っています。
これを一言でまとめると脳が破壊されるという言葉になるのかなと……

やっぱりシン・ガンダムじゃないか!

あ……ありのまま起こったことを話すぜ!
おれはジークアクスを観に行ったと思ったら、ファーストガンダムを見せられていた

な……何を言っているのか わからねーと思うが 
おれも 何をされたのか わからなかった……
頭がどうにかなりそうだった……

そう。これ、やはりというか、まさにシン・ガンダムというフォーマットなんですよ。
原作を尊重しながらも主人公まわりの設定を変えることで別の物語を展開するという手法、まさに。
特に実写系のゴジラやウルトラマンだと現代に即させる意味で舞台設定にも改変が入っていますが、アニメであるシン・エヴァ(に連なる新劇場版)では本作にかなり近い手法を取っていますよね。

だからこそ、やはり叫ばずには居られなかった。

庵野ォォォォォ!!!


かねてより私は、『シン』シリーズは原作を尊重しその根底に貫いているメッセージを違えないという点がもっとも素晴らしい二次創作なのだと感じています。
本作(の前半)も同じくそれを踏襲しており、だからこそ私がガンダムのアイデンティティだと思い込んでいたものがまったくそうではなかったのだという衝撃に気付かされる意味でも、頭がどうにかなりそうな脳破壊をさせられた作品だったのでした。

――お前は今までちゃんとガンダムを観てきたのか?
もちろんだ、観てきたとも

――「ガンダムのメッセージ性」はなんだ?
え? なにを……

――ガンダムは戦争モノで?
――勧善懲悪ではないから?
――正義と悪の戦いではないから?

そうだよ、だから!

――じゃあどうしてジオンが勝った程度
――お前は狼狽えているんだ?
だ、だって、ガンダムが……

――ガンダムはヒーローでもなんでもない
――ただの兵器だからよかったんじゃないのか?
あっ……やめっ……!

――勝手にガンダムを神格化していたのは――
――君自身なんじゃないのかね?――
あ゛あ゛あ゛ああ゛ああ゛あ゛あ゛あ!!!!!

どの口をもってガンダムは正義と悪との戦いじゃあないんだよなんて言えてたもんなんだな、と……

1作目の時点で、ガンダムは世界を守るスーパーロボットとか悪に敢然と立ち向かう唯一の希望なんかじゃあなく、どちらにも言い分があり正義と悪という単純な二元論で整理できない人間同士の戦争がテーマで、成り行きによってその戦いに関わってしまったがゆえに振り回される人々を描いた作品だったハズです。

正義と悪と言い切れないというかどっちもカスなのはまぁ御愛嬌ですが。
人類が増えすぎていたからね、仕方ないね。

……実は原作の富野監督が書いた同名のタイトルの小説では、それを突き詰めた結果として主人公であるアムロは途中で戦死すらしています。

アニメの小説版ではなく「同タイトルの小説」と表現したのは、実際小説版はタイトル以外何もかも全部違うからです→参照

その一方、ホワイトベースをペガサスと呼んでいるなど明らかに本作では富野監督による小説版ガンダムの影響を意識している部分が見受けられます。
シン版でウルトラマンからカラータイマーを取り払い、主題歌のタイトルををM八七にすることを薦めたのと同じく、(商業的な)事情を取り払い原作者の描きたかった本質を突き詰める姿勢の一環なのかもしれません。
開始数分でこんなことできるのは庵野さんしか居ねぇと思えた確信は、おそらくこのへんの要所を押さえきった脚本が関係していたのでしょう。


光る宇宙世紀

えっと、なんの話でしたっけ。
そうそう、えぇと……うーん、長くなるのでいろいろ省略させていただきますが……

いろいろと忘れた頃に聞こえてくる、ラ、ラ……のあの音。あっ

ソロモンコンペイトウを月面グラナダに落とす展開は、原作のワッケインを知っていると正直違和感があるところではあります。潔く敗北を認めないというのはともかくとして、あんな作戦を現場判断でやっちゃうかな、という……いや現場指揮官でもあるようですし、戦後のジオンを増長させないための有効打であることに疑いの余地はないのですが。
ただなんというか、これまで説得力の塊として進行してきた物語に唯一のツッコミどころ(必然的ではない流れ)が発生したような感じはしました。

後日そう思いながらパンフレットを読んだら、あの部分は庵野監督の元々書いた脚本にはなく、ジークアクス本編へと繋がる部分として鶴巻監督がオーダーしたものであると判明。
なるほど作為的だという直感は強ち間違っても居なかったようです。

そして物語はソロモン落下を阻止する突入作戦へ。
ついにホワイトベースが強襲揚陸艦であるという設定が正しく回収されたことで感動に打ち震えたガノタは数多いでしょう。当然私もそうです。
木馬の形をしている理由がちゃんとあったんだね……!

そして爆弾と化したザクをソロモンに設置する作業。からの息をするようなシャアの裏切り行為。
このへんの作戦は作為的な流れだなと先述しましたが、それゆえに予想がつかない展開であったために、別の意味で息を呑む部分でもありました。

その予想外として、なぜか白いガンダムがシャアの赤いガンダムに迫ってきたりしてるわけなのですが、あのあたりの一連の流れは劇場で見ていたときには(怒涛の展開すぎて)よくわかりませんでした。
アルテイシア? アルテイシアガンダムナンデ?!

このへん映画でもかなり説明を省いてましたが、シャアの生き別れの妹であるセイラ・マス(アルテイシア)は連邦側におり、原作ではアムロと共闘しています。そしてそちらでも、あやうく正体を知らないシャアに殺害されかけています。

しかし落ち着いて考えると、アムロがいなかった場合に代わりにガンダムに搭乗できるだろうパイロットとしてセイラ=アルテイシアは非常に妥当だし、連邦側でニュータイプの素養があったと考えられるのも彼女くらいしかいません。
その彼女がファースト最終話のアムロのように導かれてあの場所に訪れた可能性もままあり、そういう意味では作為的なことがかえって説得力を持つ場面でもありますね。
あの場面にはラ、ラがありましたし、「大佐、いけません!」がどのシーンだったかを思い返せば……

またもう一機の白いガンダムの出所ですが、これやはり見た時は気付かなかったんですが、要はG-3ガンダム(3号機)ですよね。そのヒントとして、最初の方で出てきた黒いガンダムが01ガンダムと呼ばれてたわけです。

と、書いたのですが……2回目を見たら普通に軽キャノンでした
お詫びして訂正します……ごめんなさい😭

この記事自体は公開直後の貴重な資料?としてそのまま残しておきますね……コメントでもご指摘いただき、本当にありがとうございます🙇‍♂️

2025年1月30日追記

ただしおそらく、アムロが登場しないことによりマグネットコーティングが重要視されておらずRX-78-3マグネットコーティング採用仕様に改装されていないと思われます。
このことが同作の世界観にきちんと反映されていることを示すかのように、ジークアクス本編ではレバガチャしたら操縦系がオーバーヒートするという描写がきちんと(原作オマージュなガチャり具合で)描写されています。
このことが操縦系に負荷をかけないサイコミュ駆動の優位性と、サイコミュを扱える人物の特殊性=主人公が主人公である理由の大きな割合を占めるものにもなっています。

少し補足しておきますと、マグネットコーティングというのはアムロが搭乗したガンダムが、アムロの成長とともにスペック不足に陥ったことで導入された新技術であり、連邦軍所属のモスク・ハン技師が開発したものとされています。つまりジオン側に供給されない技術ということが推測できますね。
また、同技術はジオン側のニュータイプ(奇しくもシャリア・ブル)によるオールレンジ攻撃を無理やりガンダムで捌いた結果必要となった技術なので、そういうシチュエーションが発生しえない本作の時系列では搭載にまで至らなかったハズです。

なお、マグネットコーティング技術は関節の摩擦をなくして機体反応を引き上げる技術と原作では説明されており、本作の世界観でも、搭載すれば機体のスペックが上がるであろうことには注意が必要です。
サイコミュ駆動なら無駄なく操縦できるから現状オーバーヒートを起こさずに済んでいる、というように解釈するのがたぶん正しいのでしょう。


ある意味で悔しく、またある意味で清々しいですが、シャアがガンダムに乗ると「だからこうなるよね」をここまで理路整然と、かつ面白く、また映像表現も素晴らしく提案されると「まぁあんたほどの人が言うのなら……」と受け取らずを得ないのです。

邦キチでシン・仮面ライダーについてもにょられてた部分を「わかった、ならこうしよう」って感じでガンダムに最適化してこっちに向けてきた、みたいな。

そして恐ろしいことに……
やたら書いてきましたけど、ここまでで前半という。

英雄シャアの失踪から5年後――

そういうわけでシャアの消失を経て時は宇宙世紀0085年――

いや消失ってなんやねん?! となりかねない話ではあるんですが、そこは逆シャアやUC、NTを観ている我々ガノタにとっては「あっ(察し」となる何かしらが起こったし、それにはラ…が関係していると察するに必要十分な情報が提示されるという絶妙な塩梅で前半の物語が閉じられます。
察することはできても確信はできない。謎として残るのにちょうどよい塩梅。かといってガンダムをあまり知らない人にもなんかやべーことが起きたわよねとわかるくらいの適当な情報量。

というか初見勢にとっての「なんかやべーこと起きたわね」の感覚こそが、実は作中の登場人物たちの感覚に近いんですよね。ここらへん、うまいと思います。
ガンダムのことになると急に早口になるおじさんたちの優越感をくすぐりつつも、初見の皆さんにも丁度よい湯加減。
初心者にとっても上級者にとってもワクワクするようなシリーズ作品というのは、言うよりもよほど作るのが大変なハズです。それをやりやがりました。

っというわけで後編「ジークアクス」のお話。
0085年というのは、原作ガンダム世界ではグリプス戦役の2年前……ティターンズによる30バンチ事件(コロニーへの毒ガス注入)があったくらいです。
……これを意識してると、「サイド6ってこんな感じだっけ宇宙世紀らしくないな」とか感じているガノタたちが後のカムランさんの「15バンチの……」というセリフでハッとするという芸コマ感。

本来の歴史である連邦が勝利した世界にせよ、今作のようにジオンが勝利した世界にせよ、戦争に勝って上に立つもんがどっちでもロクなことになっていないという意味で正義も悪もないという世界の続きなわけですね。
前篇と後篇で見た目キャラデザが少々変わったくらいで本質は変わらない。文句を言いたくなるような厄介オタクにはそれ以上の構えをもって完全につぶしに来ている。

前半のbeginning部分は、ある意味では歴史をザッとなぞった作りになっていたので、先ほどのように時系列に沿って記憶を書き綴ればそれが断末魔の分析になったので文章化しやすかったです。

しかしジークアクス本編部分は、初めて見る展開ばかり。時系列に沿ってというよりも、未整理な情報量の奔流が襲ってきたに等しい感じなので、ここから書く内容もさらに書き散らしに近くなりますこと、どうかご容赦ください。



ザクのモノアイはなんで光る必要があるんですか
という問いに明確な意味をもたらす、この期に及んでの新発明、青目ザク
モロに漢字で「警察」って書かれてるザクとかは斬新で、いかにもカラー作品という雰囲気でもありつつ、しかして原作のサイド6はあまりフォーカスされない場所でもあるので「本当にそういう場所だったかも」といういい線を突いている。

そもそもアムロ・レイとかカイ・キタムラとかいう名前からもわかるし、原作でハヤトやカミーユが柔道や空手をやっていたり、日本文化はスペースコロニー時代においても継承されている。
ならば現代=2025年を生きている我々が普通に生活で便利に使えるスマホはあの世界でも使えるでしょという発想。原作を尊重しているだけじゃなく現代感を出すために、とてもいい演出になっている。
サイド6は中立を宣言しているから戦時中でも滅多にミノフスキー粒子を散布されたことがないわけで、そういう無線機器が使える描写があることにも全く違和感ないですしね。
逆に、本作でスマホを描くことは、原作で登場人物がスマホを使っていなかったことについて、常在戦場な主人公たちはミノフスキー粒子の濃いところばかりにいるから使えないので出てこないだけなのだとポジティブに受け取ることにも繋がるような気がします。
本作のマチュちゃんは普通の女子高生だからスマホとか普通に活用するし、スマホにヒビを入れられた瞬間はまさに日常にヒビが入った瞬間でもあります

また中立国であるというのを活かして難民の問題を発生させているのも本作ならではの設定として非常に上手い。
警察がアレなのもどうなんだこれと思わせる一方で、やはり結局は連邦でもジオンでもティターンズのような先鋭化した存在が生まれていたのかと思わせるような描写であり、やはりなかなかに唸らざるを得ません。
戦争が終わって数年経ってるはずなのに難民が増え続けてるようですし……

……さっきからこいつ唸ってばかりいるな?

でも、日本人でよかったー

今作、かなり画面に表示される文字での演出が多いですよね。地下鉄の表示とかも日本語で書かれてましたし、スマホの画面越しのWikipediaみたいなのもそう。
カラー作品では公用語が日本語となった地球帝国の登場する「トップをねらえ!」などでもお馴染みの演出ではありますが、今の時代に海外での展開も視野に入れながら宇宙世紀に「日本」を持ち込んだことに、正直かなりの驚きがありました。宇宙世紀で日本語を使う必然性はないですからね。

ですが、そのおかげで私たちは細かい演出の機微を堪能できています。
先ほどのザクの警察マーキングもそうですが、話の本筋をブラさずに同時にちょっとした説明なんかも行えるわけですからね。

またわざわざ鳥居を設置することで、このコロニーに過ごしている人たちは現代の日本人と同じ精神性を有していることや、日本的な意味での中立性を保っていたであろうことも伺いしれます。

でも、宇宙世紀に愛媛みかんはあるのか?
段ボール箱で発送されてるのか?

たぶん気にしてはいけない。そこは日本人に特有の小ネタなので。

……そう、日本人に固有の、なんですよ。
ここからはパンフを読んだ上で書いていきますが……

本作のキーワードである「マヴ」。
これパンフレットとかを先に読まないと「マブ」だと思っちゃいますし、そのうえで若者言葉としての「マブダチ」のことだと誤解するように誘導される物語展開になってますよね。
マチュがニャアンをかばうために「私のマブ!」って言ったところもそうですし、警察が「お前ら、マブなのか?!」と言ったあたりも「マブダチ=本当の友達、親友同士」と読み替えても意味が通じます。

よって、シャリア・ブルさんが「シャアはマブ」みたいなこと言い始めた時は目が眩みそうになりましたが、直後に「マヴという戦闘機動マニューバ」と明かされてなるほど納得。とはいえ、強い信頼関係がない限りは成り立たないということもわかります。

こうした印象付けからも、本作がパートナーとの強い信頼関係をテーマにしてることは我々に刻み込まれます。主題歌Plazmaもそうですね。
それはもちろんシャアとシャリア・ブルのこともそうですし、マチュ@ジークアクスとシュウジ@赤いガンダムのこともそうです。
でも、キャスト順から考えても、あら^~な演出から考えても、マチュとニャアンが真のマヴになる気がするんだけどな……だとするとシュウジはどうなるんだ? 百合に挟まる男子じゃねーだろーな? というあたりがあるわけですが、まさにそれが今後の最も注目すべき謎として提示されている部分。
シュウジが何者であり、どうやって赤いガンダムを手にしたのかというのは劇場上映を見終えた我々に意図的に残された空白部分です。

くそう、こんな気持ちのままで地上波放送をあとどれだけ待てばいいってんだ……!

パンフを読んでの考察いろいろ

日系と中華系の交差点クロス・ポイント

アマテ・ユズリハシュウジ・イトウ
それに対してニャアンカネバン有限公司
日系中華系(香港系?)のネーミングが交差クロスしてるんですよね。

機動武闘伝Gガンダムではキーキャラクターとしてガンダムファイター「東方不敗マスター・アジア(本名シュウジ・クロス)」さんが大活躍するわけですが、これが偶然なのかというのは公開前から一部がざわつく要因となっていました。
ガンダムファイト国際条約第一条「頭部を破壊されたものは失格となる」からですね。ジークアクスでのクラバトクラバのルールと同じです。
そして蓋を開けてみればマスターアジアはネオホンコン代表だったよね、ということで疑惑?が深まるような感じに。

仮にこれらのモチーフが本当に香港ホンコンという地を意味するのだとしたら、宇宙世紀でニュータイプでホンコン・シティの組み合わせには、非常に重要な意味(有名なエピソード)があったりもします。ニュータイプの悲劇性を象徴する「機動戦士Zガンダム」第17話ですね。
例によって制作陣がこれを知らないはずはない、というやつです。

一方で、交差クロスするというのは、本作を表すひとつのキーワードでもあるようです。本作のキャッチコピーには「夢が、交わる」という文言があり、これはカラー×サンライズという意味だけに収まるものではなさそうに見えます。この表記だとカラー攻めサンライズ受けであってます?

マチュが表現するキラキラ、それをモチーフにするシュウジのグラフィティ。これらにはよく見ると白く光る十字が描写されているようです。劇中ではシュウジが意味深にグラフィティに白い十字クロスを描き足す場面も見られます。普通に考えれば発光物を意味する✨️みたいなものなんでしょうが……
気にし始めるとGQuuuuuuXX にもなんか意味があったりしそうで。
考えすぎかなー

というわけで、まとめ

  • 劇場版ジークアクスの前半は圧倒的な再現度の宇宙世紀シミュレーターだった

  • 「シン」作品ではないが、原作の根底に流れているもっとも重要な部分を描き出す手腕には脱帽するしかない

  • ジークアクス本編も、その説得力の延長線上にある

まだ書けば全然書けるのですが、文量もちょうどいいですし脳破壊の本筋からは離れますので。
なにより後半はマチュとニャアンのやり取りで脳が回復しましたからね。他の方の記事に譲ろうかと思います。

ともあれ、本放送待ちですね。本当に楽しみです!


追記(2025/01/30)

2回目を見てきましたので、考察記事を書きました。


追伸

Plazmaはいいぞ。
この曲が流れる瞬間のためにジークアクス観に行っても元が取れる☺️


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