AIは我々の生活をどう変えていくのか
こんばんは、Dr FJです。
今日は、先日参加した学会の中でいくつかAIに関する発表を見て考えたことについてお話したいと思います。
近年、学会に行くとAIの技術を使ってレントゲン画像を読んで骨折を見つけたり、患者さんの動画を撮影してその動きの特徴から麻痺や筋力低下などを読み取って疾患を診断するという発表をよく見るようになってきました。基本的にはAIにたくさんのdataを読み取らせ、Deep learningをさせてその診断精度を上げていくという形になっています。どのように進化していくかというところはブラックボックスになっているのですが、結果として我々人間が一つ一つ直接条件や基準を入力して設定するよりも遥かに高い診断精度、計測精度を誇るデバイスが出来てきています。現在開発中のものの中には、電子カルテ内の記載の一つ一つを全てAIが読み取り、総合的にこの人にはどのような治療法が適切なのかを判断したり、あるいはその人が今後2年以内に骨折する確率が何%あるのかを算出するなんてものまであります。ホント、すごいですよね。
私は近い将来、我々医者の判断の大きな部分がAIに置き換わるのではないかと予測しています。というのは、そもそも近年の医療業界では相談する医者によって全然違う治療法が提案されると患者さんはどう選んだら良いのかわからなくなってしまいますので、多くの疾患に対しては標準治療やその治療の適応というものがガイドラインなどで設定されており、基本的にはそれに従って治療をしていこうという流れがあります。この仕組みはAIとは非常に相性が良いので、学会の、というか世の中の潮流というものを考えると、この流れは今後も続いていくことになると思います。もちろん、すぐに全てが置き換わるというわけでは決してありませんし、まだまだ精度が低い部分も多いので当面は問題ないと思っていますが、10年後くらいには医療業界には今とはずいぶん異なる景色が広がっているんじゃないかなと予想します。
そして、実はここからがこの話の本題なんですが、AIはどのように我々の生活に入ってくるのでしょうか?ここが私はすごくポイントだと思っているのですが、学会でもその道に詳しい方々の意見として多かったのは『我々と置き換わるのではなく、我々の診断補助として入ってくるだろう』ということでした。まぁ、法的な面なども考慮すると妥当な判断ですね。診断には責任が伴うことを考えると、その決定は資格を持った医師にしかさせられないのは仕方ないことです。ただ、実際には人に頼る限りヒューマンエラーは免れず、あるところまで技術が進むと、『本当はAIが直接診断したとすればいいのに、責任のためだけに医者が必要』というフェイズが発生するのだろうなと思います。この辺は、自動運転技術なんかも今同じ壁にぶつかっているんだろうと思います。確率的には人が運転するよりも遥かに安全に走行できる自動運転技術ですが、だからといって100%ではないということで必要以上に厳しいハードルが設置されているというのが現状のようです。
ただ、現実を直視するなら遅かれ早かれ自動運転は法的に可能な時代が来るのだろうと思います。なんせ、どう考えてもAIに運転してもらった方が人が運転するより安全で快適であることは明白ですから。日本に導入するのが難しいとしても、特にアメリカなんかはそのあたりはさっさと合理的に導入してしまうでしょうし、その後は日本にも導入するように圧力を高めてくるでしょう。そして、一つ『AIが責任を取れる事例』が出来たなら、そのロジックは水平展開され、最終的には医療分野にも導入されることになるのかなというのが私の予想です。
ま、それがいつになるのかはわかりませんがね。そんな社会が来るとすると、その時までに自分は何をすればよいのか…。AIの開発者側になるか、それでも負けない資本家側に立つか…。そう考えると、人は何にせよ何処かに住むわけだからやはり不動産は良いのかもしれないなというのが今の私のぼんやりとした感想です。
まとめ
学会でAIによる診断に関する発表をいくつか見た。
AIは、医療でも運転でも最初は『運転者、医療者の補助』という形で導入されていくだろうが、本質的に我々の生活を変えていくのはAIが責任を持って何かを実施するようになった時。
AIはまず自動運転などから導入が始まり、最終的には医療分野にも導入されると思う。
AIがメインプレーヤーとなった世界で、私たちはどう生きていけばよいか。現時点ではやはりAIを導入する開発者となるか、不動産投資家などの資本家側に立つのが最適解なように思う。
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