労働者は社畜? 実は貴族でコンシェルジュ付き
こんばんは、Dr Fjです。
本記事は2020年9月30日のものの再掲です。
今日は、労働者は本当にただ搾取されているだけの存在なのか、についてお話したいと思います。
世間では最近…というか少し前から、会社に勤めて給料をもらうサラリーマンを『社畜』『勤め人』としてさげすむような風潮があります。先の見えない現代ではただ与えられた仕事をこなす勤め人でいてはダメで、副業や起業を考えた方がいい、とか勤め人は資本家に搾取されるだけの存在だ、とかといった言葉がTwitterやYoutube、ブログなどのネットの世界をにぎわせています。
これに加えて、最近では『自分のビジネスを持とう』とか、『会社だけに頼らないでいられるよう、副業収入を得よう』という話もあります。これについては私も賛成ですし、『卵は一つのカゴに盛るな』という投資格言にもあるように、複数の、しかも種類の異なった収入経路を持つことは、人生に安定感を与える非常に良い状態であると言えます。では一つの会社で黙って働くことは不幸なのでしょうか?
私は必ずしもそうではないんじゃないかと思っています。世の中にはいろんな能力の人がいて、残念ながらそれは平等というわけではなく、物事を深く考えられる人もいればそうでない人もいます。また、何かに優れた能力を発揮できる人であっても、俯瞰的にモノを見ることは苦手で、たとえば職人として質の高い商品を作ることはできても、マーケティングの能力に難があってその商品が日の目をみないというようなこともあります。そういったいろんな特性の人たちが、部分部分であれば発揮できる能力を生かして全体として何かを成し遂げるというのが会社や組織の存在理由なんじゃないかと思うのです。
高度化した現代社会では、人はすべてのことを完全に理解することはできません。私たちが手足のように使っているPCやスマホはもちろん、ルンバだって洗濯機だって車だってなんだって、中身を完全に理解して使っているわけではありません。『よくわからないけど、パッケージ化されたものを手数料上乗せされてもいいから納得して利用している』のです。
会社とは、例えるとするなら家畜や奴隷制度といったものではなく、旅行に行く際のパックツアーや何か困ったときに相談するコンシェルジュサービスのようなものではないでしょうか。そう考えると、労働者は実は至れり尽くせりで、面倒なことを他者に委託している貴族のようなものとも言えます。手数料は払うのだけど、とりあえずそれを楽しむことはできるというパッケージを利用するということ。会社とは、仕組みをよく理解してなくてもやることを勝手に見つけて提供してくれる、仕事におけるコンシェルジュサービスとも言えます。
ダルビッシュ選手だってメッシ選手だってテレビで活躍している芸人さんたちだって、雇われて働いているという意味ではみんな社畜で勤め人ですが、生き生きと夢をかなえているように見えませんか?え、彼らは特別な才能のある一握りの人間だから違うって思うって?それは、リスクを背負って社会に必要とされる商品を作って会社を経営するってことと一緒ですよ。どちらも達成するのは大変で、才能と能力が必要なことなのです。