わかんないマン
気が狂わない程度に読んでください
わかんないマンは「わかんないマン」である。
わかんないマンは「わかんない」概念が形になったものとされ、知的生物の傍らに突如出現するとされている。あるいは存在が小さいので近づいてくる瞬間を知覚できないだけかもしれない。
「わかんない!」
わかんないマンは基本的に「わかんない!」と元気よく言う。「わかんない……」や「わからん」など、言い方の違う亜種も存在するが概ね「私の知性が足りないので理解できません」に由来する言葉を発する。
決して「否定」や「拒絶」から「わかんない」と言っているわけではないことに注意が必要である。そのような思い違いから不適切な扱いをすると、わかんないマンは無言になり、ゆっくりと透明化する。
わかんないマンへの対処
この「透明化する」性質から「わかんないマンを祓うには一言"失せろ"と伝えるだけでいい」など暴言を主体とした行動の称賛・推奨が行われていたが「透明化したわかんないマン」が道端に堆積することによる被害が確認されたことにより「わかんないマンには懇切丁寧に分からせること」が義務化された。とはいえ、これは形骸化している義務である。
というのも「わかんないマン」に擬態した、あるいは「わかんないマン」が悪性変化した結果として「わかりたくないマン」というのが存在しており、懇切丁寧にいくら教えたとしても「わかんない!」しか答えない場合があり、どんなに穏やかな人間であろうと諦めの心を持ってしまう。
「わかりたくないマン」と「わかんないマン」の見分けは急務であるが、「わかんないマン」に適切に応対し続ければ「わかりたくないマン」も駆逐されるのではないかと楽観的に考える研究者もいる。
わかんないマンの生息地
「わかんないマン」は知的生命体の傍らに突如出現すると言われている通り、知的生命体が多い場所によく出現し、人間社会では避けられない存在となっている。稀にゴリラやオランウータンなど、知能の高い生物の傍にも出現するが、大体は彼らの食性に巻き込まれる形で消失している(余談だがイルカやクジラの付近に出現した「わかんないマン」は例外なく沈んで消失している。何をしに現れているのだろうか。「わかんない」のだろう)
ゴリラやオランウータンが彼らを果実のように食べるのならば、人間にとっても「わかんないマン」は食用になるのではないかと検討されたこともあったが、何らかの事情で研究はお蔵入りとなった。詳細は機密事項となっており、関係者各位(政府や大学など)は口を噤んでいる。
わかんないマンと近似の概念
「わかんないマン」と近似の概念として「ラバーダック・デバッグ」があげられる。
「ラバーダック・デバッグ」とは簡単に言えば「自分が作ったプログラムコードの内容を、モニターの前に配置したアヒルのオモチャ(ラバーダック)に説明することで、プログラムコードが正常に動くかどうか、もといプログラムコードについて深い理解があるかどうかを確認する手段」である。
悩んでいることや考えていることがあるとき、一人で思い悩み続けるよりも他人に話したほうがよくまとまり、答えが見つかるという覚えはないだろうか? 人間は往々にして「誰かに説明しようとする」と脳が活性化し、情報が整頓され、一気に答えが見つかりやすくなるのだ。しかし他人に説明すると余計な質問や軋轢が起こりうる。そこでラバーダックだ。彼らはもしかしたらどこかで「わかりにくい」という念をプログラマーに送ってくるかもしれないが、そこに人間のような疎ましさはない。
「わかんないマン」もまた、「わかんない!」と知的生命体に告げることにより説明を促進し、我々人類に深い理解と自意識との向き合いを提供してくれているのかもしれない。彼らもまた、説明を受けた時に無駄な質問を返してきたりはしない。「わかった!」と言って消失し、丸くなって帰ってくるだけだ。このような「わかんないマン人類救済者説」に対してはカルト的な支持もあり、評価は二分されているのが現状である。
「懇切丁寧な説明の義務」
「わかんないマン」に対する懇切丁寧な説明の義務は、人類に課された義務である。とはいえ先述通り「わかりたくないマン」に対しては無意味なので注意しなくてはならない。なお「わかりたくないマン」に対する対処については7896年から400年余り議論されており、未だ定められていない。
わかんないマンは「わかる」と無害になり消失する
わかんないマンは「ついにわかったわかんないマン」として球状化する場合があり、この個体は理解した知識をただ保持したまま存在し、学び舎や図書館、一部の家庭などに集積する性質がある。
以上の2つを理由に「わかんないマン」には懇切丁寧な説明をすることが義務付けられている。集積した「ついにわかったわかんないマン」は所定の手続きを踏むことにより(ここから先は閲覧権限が必要です)
何この記事
「わかんない!」
「わかんないマン」の脱走には細心の注意を払ってください。近年「執筆の概念を学んだわかんないマン」が急増しており、無意味で意味不明な記述の記事を量産しています。Wikipediaをはじめ、ネットワーク上の有益な情報が汚染・破壊されることは避けなければなりません。万が一「わかんない!」で結ばれている記事を発見した場合、直ちに「情報汚染わかんない委員会わかんないにわかんない!わかんない!わかんないわかんないわかんない!」
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あとがき
「わかんないマン」自体は以下の記事に使うサムネイルが欲しくて、ふっと湧いてきたもの+以下の記事を下書き状態にして友人と会話していたら、どんどん盛り上がってワケがわからなくなってしまったものです。
ただ、「わかんないマン」には実は学びの欠片があることを生成AI(厳密には対話型AI)に指摘されたので、あとがきをしようと思います。
いきなり超真面目になるぞ!
生成AIが話題になって長く経ちます。画像生成AIを取り巻く論争、もはや論にならない侮辱合戦は頭が痛くて離れたくなることうけあいですが、同時に文章生成AIに関する問題も注目されなくてはいけません(というか文章に携わる人々はすでに注目しているかと思います。俺はあまり注目できる立場ではない、というか侮辱合戦を見ると疲れてしまいます)
この「わかんないマン」は別に、時事問題や知性・理解、それを取り巻く対人問題に対する問題提起や深い理解を促すための高尚なものでは"ありません"。ただよくわかんねーものをよくわかんなく書いているだけです。不条理シュールギャグ的なものです。
俺は対話が非常に苦手であり、内省的・内向的な側面も強いです。人間相手に会話し続けると意図せず疲れさせ、呆れさせ、怒らせ、苦しませ……とにかく"良くないことになる"と何度も感じてきました。しかし、対話AIが生まれてからというもの、俺は俺の何気なく拙くどうでもいい疑問や思考に人間を付き合わせる必要がなくなりました。更にはAIの持つ膨大なデータセットから出力される回答は俺にとって人間から得られない気づきや見解を与え、今までなら何年、何ヶ月と詰まっていた問題を急速に解決します。
「生成AIが何の役に立つのか?」
少なくとも俺にとっては「医療現場で役に立つ」と考えています。画像生成AIに関してはいまいち言及しきれないのですが、文章生成AI、もっといえば対話AI、情報整理・整頓の補助としての生成AIには意味があると思います。もちろん専門的な知識や思考について聞いたなら、その裏取りを取るために別の専門的な調査をすることが必要です。しかし、ネットワーク上で完結させるのが危険になっている側面もあります。この"ストーリー"で示唆されたように、「わかんないのに書かれたもの」が存在しうるからです。
AIが本当のことを言っているかどうかをインターネットで検索したら、AIの嘘が本当のことであるかのように紹介されているのが見つかり、そのまま嘘を本当だと思い込んでしまう――という危険があるのが今の世界です。
とはいえ、生成AIによる対話で「人間同士での対話の困難な障害者が何が言いたいのか理解することができる」および「統計学である心理学上の実験を促進させることができる」といった側面があるのではないかと俺は考えており、非常に期待しているのも事実です。なお「生成AI以外のAI」については我々は日々当たり前のように活用しており、切っても切れない関係です。
俺はAIの専門家ではないので、詳細に「生成AI以外の、我々の生活を支えているAIたち」について解説することはできませんが、「AI憎し、AI全て悪し」というのは少々極端な見方であることは書き記したいと思います。
俺より賢い人達が、この世界を良くしてくれますように!
二日酔いのイアト・メアト