10歳で止まってしまった大人
どこから話そうか
俺は会話、あるいは対話・対談が不得意である。
説明は分かりやすい。文章は長いが読みやすい。論理的な思考を持ち、冷静である……実際にそうかはさておき、そう判断してくれる人間がいるにも関わらず、俺は会話、あるいは対話・対談が不得意である。
会話と記事の違い
会話には瞬間性が求められる。どう答えたらいいかと一息吸って一拍、二拍と置いてしまうと「何か迷惑をかけただろうか」やら「伝わらなかっただろうか」やら、相手の不安を煽ってしまう可能性がある。
これは音声や顔色に頼らないテキストにおいても同じで、それまで素早く返信をしていた人が突然40秒以上の遅延を見せた途端に「おや……?」と感じとってしまう。無事に返信があったとしても「もしかして……」と不安になってしまう。これは俺の話ではない。俺はそんなに繊細ではない。たまに気にすることもあるが、普段から何度も何度も気にするほどではない。
とにかく「会話では瞬発力が求められる」
返答に時間がかかると、相手に対して疑問や不安、不快感、果てには怒り、ともかく「良い会話ができない」状態に繋がりやすい。少なくとも俺が知る限りではそうである。
では瞬間的に何でも素早く答えればいいかというと、そんなことはない。
早すぎても遅すぎてもいけない
素早い返事はありがたいが、内容が整理されていないと意味がない。
あまりにも素早く、そして整理された返事は「用意されていた」印象を与えてしまう。
俺の場合、実際に用意していることもあるのだが、それは単に話の流れが分かっているから。想像がついていて理解できている上で素早く話しすぎないように遅らせている――のだが、まあ、心象は悪いかもしれない。
遅すぎる返事も、早すぎる返事も、何らかの理由で心象を損ねうるのだ。
では、ちょうどいい返事とは。相手の言葉を受け止め、考え、そして相手を思いやって整理した文章を作りましたと認めてもらうためには。
一貫した答えはない。
世の中、3分返事が遅れているだけで急かしてくるような輩もいるのだ。
作業をしながらテキストチャットをするだけで、自分に集中してくれていないと不満を言い始める奴もいるのだ。
挙げ句には「1時間前のメールに返事が来ていないがどういうことなのか」と、わざわざ第三者を使って連絡をよこす奴までいるのだ。
具体的 vs 抽象的
10才児俺、よく他人との会話で頭の上に「?」を浮かべている。
口を挟む前に話を理解すればいいのだが、理解しきれない。
とりあえず話に参加してみて、それで話が続いてうまくいくなら、そのまま会話したらいいと思っていた。
たぶん、よくない。
会話ができる、あるいは話が続いているように見えるのは相手が俺に合わせてくれているから、そして、相手が俺みたいに話せないからだ。
「話のすり合わせをして当たり前」という感覚がある人は、あまり多くないような気がしている。
分からないことがあれば、分からないと認めて聞く。
それは違うよ、と思ったら口を挟む。
聞き方や挟み方によっては相手を不快にさせてしまう可能性がある。だから聞かない、言わない。そうしている人が多いように思う。
けれど俺は質問・補足・訂正せず「わからない」「わかってもらえない」ぼんやりとした形だけの話をする方が良くない、と思う。
具体 vs 抽象「以前の問題」
具体とは「詳しく」ということだ。
抽象とは「大まかに」ということだ。
そして俺の場合「話が分からない」ので、具体的な話なのか、抽象的な話からすら分かっていないことがある。
「今、何の話をしているの?」
ただ、それだけを聞けばいいのに、それができない。聞かれたことがあまりないし、聞いたこともない。
体感的な話だ。厳密に考えてみれば、「何の話?」は聞いたことがある。ただ、本来はもっと適切に、何度も聞くべきだった。俺は「俺は今、話が分かっていない」と自覚できないまま会話をしてしまう癖があるらしい。
「何の話?」が聞けなかったせいで「お前の求める話はできない」と突っぱねられてしまった経験が一度ニ度ではない。
俺は別に文句が言いたかった訳ではない。俺は別に詳しい話が聞きたかった訳ではない。俺はただ、困っていたのだ。
俺は困ってるんだ。
ここまでは何年も、8年以上はかけて行き着くことができた。
だけど、伝わらなかった。もっと深く具体的にしなければならなかった。
何に困ってるのか?
俺は会話が苦手である。話すのが苦手である。
別に人見知りするわけではない。恥ずかしいと思っているわけじゃない。
話すのが怖いわけじゃない。人前は怖いが、話すことは怖くない。
じゃあ何で話せないんだ? 何で伝わらない? わからない?
どうして俺は、人と話すと「困る」んだ?
「困る」は、どこから来てる感情・感想・状況なんだ?
伝わらない。なぜ伝わらないんだ?
わからない。何がわからないんだ?
わからない。
「わからないこと」が、わからない。だから困っている。
何を聞けばいいか分からない。何を伝えればいいか、分からない。
なるほど、10才児である。
言葉は達者になってきたが「えっとね」「あのね」と話し始めるのに時間がかかる。
話したとしても、ちょっとよく分からない。大人が「楽しかったの?」やら「面白かったの?」やら、具体化の手伝いをして始めて「何が言いたいか」が形を帯びてくる。
会話の基礎となる自己表現の練度を上げていく頃、俺は本を読んでいたと思う。俺の周りに大人はいたが、大人は俺にあまり積極的に話しかけてこなかったというか。「会話」をしなかったのだ。
いわゆる「今日は何があった?」とか「何を感じてる?」とかを深く問いかけられたことがなかった。
言葉は使える。でも、言葉の意味をちゃんと分かっているかは怪しい。
俺の言葉は本当に言いたいことや内心を表現できているのだろうか?
受け止める、整理整頓する
俺は何が言いたいんだろう?
どう言ったら伝わるんだろう?
そもそも俺は、話が分かっているようで分かっていないのかも。
「そのまま聞いて、受け止めて、解釈しないでほしい」
=「俺は俺の言いたいことが、きちんと伝えられているか分からないから。こういうことか?と確認を取りながら話を進めてほしい」
すごく面倒なことだ。けれど、そうしてほしかったんだと思う。なら、まず俺がそうしなければならないのだが、出来ているかどうかは自信がない。相手の思いや感情を聞きたいけれど、うまく聞き出せていない気がする。
一緒に話す
一緒に話したいのだ。
一緒に話を進めたいのだ。
一緒に答えに行き着きたいのだ。
「具体化したいのか?」と言われると、違う。
「具体化しなければならないと感じているのか? だとしたら、それはなぜだ?」というくらいには、話が分かってない。
俺は迷子なのだ。いっつもいっつも、なんか迷子なのだ。実は。
俺はなんで誤解されやすいのか。
感情を言わないから。感情の理由を言わないから。もっと言えば、感情を、状態を、あまり自覚できていないから。何が起こってるかは分かるけど、何が話されているのか、何を感じているのか、何を伝えたらいいのか。それが分かっていない。
今も難しくて、言葉がたくさん出てくる割には実を結んでいない気がする。
これでいいのか分からない。言葉は、これでいいのか?
「今、何の話?」
それを気軽に聞ける関係性を築き、聞くことができればかなり前進できると思う。