不動産業
わたくし、不動産業界に身を置いていたことがあります。20年ほど前のことですが。
22歳で上京して、初めてやった仕事が賃貸不動産の仕事でした。この業界に入った理由は、母親から「不動産が良いのでは?」と言ってきたので、それもありかと思い決めました。
仕事内容は、大家さん相手に所有している部屋の管理をお願いする仕事。
よく見られる、カウンターに部屋を借りたい人が来て部屋を紹介するというものではありません。
勤務先は上野だったので、担当は下町が多数。何度も下町を回ったものです。自分が下町好きなのはそこに影響があったのでしょう。
今のようにパソコンやスマホでのやり取りがメインでは無い時代だったので、遠方の大家さんは電話や郵送などで対応。近場なら実際に面と向かって交渉。
自分が行った中で一番遠かったのは千葉県の東金です。その時は電車がストライキを起こしてあまり動いておらず、かつ駅からバスで30分という条件があったのでより遠く感じたものです。そこは大家さんの会社でした。
次に遠かったのは栃木県の宇都宮。駅近くの店まで大家さんが来てくれましたが。
他は川崎の宮前平というところに行ったのも覚えています。大家さんがすごく優しかった。
仕事とは言え、下町の色々な場所に行ったり、少し離れた大家さんに会いに行ったり。
散歩気分でたくさんの場所に行けたのは楽しかったです。
でも、自分は驚くほどの劣等生。成績を上げれないのは当たり前で、最終的には辞めてくれと言われてしまいました。
店長は言いたいことをハッキリと声にする性格だったのに、話しにくそうに見えた。おそらく解雇を言い渡す経験は初めてだったのでしょう。
後になって思い返してみると、仕事に対して真面目にやっていた部分はあったものの、これ以上は行かないと線引きを決めていたところがあったのかもしれないです。
仕事なのに、何でそんなことをしてしまったのかは分からない。と言うか、何も考えていなかったんだと思います。
あのまま続けていれば不動産業界20年のベテランになっていた。宅建は取れていたかは極めて怪しいですが。
と言っても、自分は営業には向いていないので、どこかで辞めていたでしょう。
当時の仕事のに対する姿勢は、自分の発達障害が関係しているのかは分からない。と言うか関係は無かったのかもしれないです。
あの時の自分は今以上に不届きだった。そう考えると、向き不向き以前の問題でもありました。
不動産の業界を去った、と言うか会社を去ったのは当然至極の結果であったと言えます。
しかし、未だにマンションの近くを通ると、「あの部屋、空いているんじゃ?」と思うこともあります。何だかんだで身についていた部分もあります。仕事のスキルではありませんが。
もっとしっかり取り組んでいれば、不動産関係のライティングもできたのにと後になって悔やんでいます。