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#33 アバター Way of Waterを観て思うこと

こんにちは、GTです。
今さらではありますが、映画「アバター:Way of Water」を最近観たんですが、そこで思ったことについて書きたいと思います。

Way of Waterはアバターシリーズの2作目で、1作目は観ていないのでアバター自体はよく知らないのですが、ざっくり言うとパンドラという星の原住民と地球人との戦いを描いているというものでしょう。

それで、このWay of Waterは自然環境保護に焦点が当てられていて、主人公たちが平和に暮らしていた自然豊かなパンドラに突如地球人が襲来するところから物語は展開していきます。
このシーンでは、宇宙船の着陸時に自然と動物たちを焼き払っていくシーンが凄惨さを持って描かれていました。

もう一つ象徴的なシーンとしては、クジラをモチーフとした「トゥルクン」という生物に関する描写です。
侵略してきた地球人がこのトゥルクンを捕獲するんですが、捕獲の目的は不老を実現できる体液を採取することです。殺したトゥルクンを引き揚げて口の中から脳の方向に穴を開けて採取していますが、トゥルクンの数十メートルの巨体から採れるその体液の量は2L程度です。そして、そのわずかな体液を採った後のトゥルクンは用済みとして海の底に沈められ、要は廃棄されます。

このトゥルクンのシーンは、トゥルクンを囮に使うという点で必要なものですが、体液の採取はストーリー上なくてもよい内容です。ここで描いているのは、自然に対する人間のエゴや傲慢さでしょう。不老という人間の身勝手な欲望のために他の生物を犠牲にすること、また得るものを得た後は有効利用せずに捨てるという犠牲となった生物に対する尊敬の念の欠如への強い批判的なメッセージが見えました。

これらのシーンから思うことが2つあります。

1つ目は、自分たちが他の生物の恩恵をしっかりと認識できているかということです。人間は食べたり生活で必要なものをつくっていますが、それは他の生物の犠牲の上に成り立っています。
フードロスの問題が取り沙汰されることも多く、そこでは満足に食べることができない人への配慮の必要性が挙げられたりしていますが、本来犠牲になる必要がなかった生物への配慮もあるべきでしょう。「いただきます」という言葉に命をいただきますという意味が込められているように、他の生物の犠牲の上で生きているという自覚と認識は改めて持つべきだなと思います。

2つ目は、こうした自然への配慮が世界のスタンダードになっていくということです。
アバターの監督はジェームズ・キャメロンで、これまでターミネーターやタイタニックなどのヒット作を手掛けてきた人物です。そして、アバターシリーズ、もちろんこのWay of Waterも大ヒットを記録しました。著名な監督の作品であったり、大ヒットした作品が持つメッセージが与える影響力というのは大きいでしょう。さらに、このWay of Waterでは主人公であるパンドラの住人が正義、侵略する地球人が悪として、わかりやすい二項対立で描かれています。こうしたわかりやすさもメッセージが浸透していく要因になるでしょう。
今後世界の生活シーン、ビジネスシーンでは自然への配慮がドレスコードとなっていくと思うので、それに対する自分の価値観や考えを言語化しておくことがコミュニケーションをする上で必要になるんじゃないかと思います。

ではでは、また次回お会いしましょう。

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