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架空世界の二次大戦について

こんにちは。アストーロフです。
本日は前回の続きである二次大戦について説明していきます。

軽くおさらいをすると、一次大戦ではオデイアッコーフとアルゴンが戦い、戦後アストーロフがオデイアッコーフから提示された条約に不満を持ち、オデイアッコーフを倒し、1等国になりました。


ここから数十年、アストーロフ人民共和国の黄金時代が訪れます。核実験を成功させ(コルーニェ計画)、周回衛星を打ち上げ(トスアーレ11号)近隣諸国に共産主義を輸出し、次々と衛星国を誕生させ、最盛期には世界の半分の国を自らの勢力、「アストーロフ共同戦線」へ加入させることに成功しました。
しかし、これをよしとしない他の大国、反共産主義を掲げる国々によって対抗組織、「ザムスト自由同盟」が設立され、冷戦が開始します。
しかし、技術、特に軍事の点で大きく遅れるザムスト自由同盟はアストーロフにとってそこまでの脅威ではなく、アストーロフは大した措置は取りませんでした。
これがザムスト自由同盟にとって大きな幸運となります。
ザムスト自由同盟中の科学者を動員させ、核の開発を急ぎます。
そして遂に2220年、アストーロフから20年遅れる形で核実験は成功します。
これに対し流石のアストーロフも警戒を強化し、スパイ活動を活発化させます。
しかし死ぬ物狂いでアストーロフに追いつこうとするザムスト自由同盟諸国の勢いは凄まじく、2224年に水爆実験を成功させます。前回はアストーロフに対し20年の差があったにも関わらず、今回の水爆実験の差はわずか7年と、徐々にアストーロフへと追いついていきました。

第二次世界大戦の背景

第三次世界大戦(2230年〜2239年)は、各国の複雑な利益関係、相互保証条約によって発生しました。

戦争前夜(2230年)

第二次世界大戦は、オデイアッコーフ帝国とツェルヴァニア連邦の間で起こったノルビア海の資源紛争から勃発しました。ノルビア海は、海底資源の豊富さで知られており、特に希少金属やエネルギー資源が大量に埋蔵おり、ツェルヴァニアは独自の技術を用いて大規模な採掘を進めていましたが、ガレンツァ国はこの海域を歴史的な領土だと主張し、軍事行動を開始。これにより、周辺諸国が一気に緊張状態に陥りました。


ツェルヴァニアは同盟国であるアストーロフ人民共和国に支援を求め、ガレンツァ国に対する制裁を開始しました。ここに、前大戦の敗者でありながら、いまだ強い影響力を持つ国であるオデイアッコーフ帝国が「西方秩序の維持」を名目に参戦し、戦争は多国間紛争へと拡大しました。

多国間同盟による戦争(2232年)

戦争が激化する中、各国は巨大同盟を形成し、戦局がさらに複雑化しました。ザムスト自由同盟として知られるオデイアッコーフ帝国、カルストン連邦、そしてガレンツァ国が一つの巨大同盟を形成し、一方で、アストーロフ共同戦線はアストーロフ人民共和国、ツェルヴァニア連邦、そしてカルカリア合衆国を中心に強力な軍事・経済ブロックを構築しました。


戦争が一層激化する中、南方ではカルカリア合衆国がエネルギー資源と自国の共産主義的計画経済を利用した経済戦争を仕掛け、戦局に大きな影響を与えました。カルカリアは、自国の豊富な石油資源を武器に、オデイアッコーフへの供給を一方的に停止し、ザムスト自由同盟の経済を圧迫します。この動きに呼応して、カルストン連邦は再生可能エネルギー技術を急速に発展させ、カルカリアの圧力に対抗しました。

戦争の中期(2234年〜2236年)

2234年までには、戦線がいくつかの主要な戦域に分かれ、戦況は一層混迷を深めました。


ノルビア海戦域ではオデイアッコーフ帝国とツェルヴァニアの海戦が続きました。両国は大量の新技術を投入し、無人潜水艦や電磁兵器が実戦で初めて使用されました。特にオデイアッコーフは、無人兵器とAIによる戦闘管理システムを開発し、ツェルヴァニア艦隊に大打撃を与えましたが、ツェルヴァニアもレールガンをはじめとした新兵器で報復し、戦線は膠着状態に陥ります。


アストーロフ人民共和国は、アストーロフ共同戦線の中心的な役割を果たし、オデイアッコーフ帝国と激しい陸上戦を展開しました。2253年8月、アストーロフ軍はオデイアッコーフ海岸に強行上陸を行い
、橋頭堡を確保。本国から大量に派遣されたアストーロフの機械化師団は、無限に続く装甲車列とともにオデイアッコーフの海岸都市を包囲しましたが、オデイアッコーフは強固な要塞線で防御し、決定的な突破を許しませんでした。


部分的核戦争(2236年〜2237年)

戦争が長期化する中で、次第に戦線は膠着していきました。アストーロフ軍はオデイアッコーフに上陸こそしたものの、山岳地帯、ザムスト自由同盟軍の必死の抵抗によって足踏みを余儀なくされ、戦線は停滞の一途をたどります。
停滞した戦局を打開するため、カルカリアがカルストンに対し大規模な化学兵器を使用。これに対してオデイアッコーフをはじめとしたザムスト自由同盟諸国は大きく反発。
使用の即時停止を行わなければ報復も辞さないとの共同宣言を発表します。これに対しカルカリアはあろうことか使用を中止するどころか先手必勝として戦術核兵器を前線に対して使用。これによりザムスト自由同盟兵9万人が死亡、または行方不明となりました。
これにオデイアッコーフは激怒。数百発の核弾頭を報復として発射します。カルカリアはさらに数十発の核弾頭をオデイアッコーフの各都市にも着弾させ、推定2000万人が死亡。
カルカリアにも核弾頭が降り注ぎ、かつてベンカノン文明を育んだカルカリアは国民とともに跡形もなく蒸発しました。
全世界での核戦争の脅威から世界を救ったのは、オデイアッコーフ首脳部の判断でした。長年のスパイ活動からアストーロフは同盟国への攻撃で報復はしてこないであろうことを確信しており、アストーロフには核弾頭を発射しませんでした。この判断が世界を救ったのです。
もしここでアストーロフに核弾頭を発射していたらおそらく世界は滅亡をみていたでしょう。


終局と講和(2238年〜2239年)

局所的な核戦争による惨劇が起こったこの戦争は最終的に、オデイアッコーフ帝国が国内での反戦運動の拡大を受けて和平交渉を模索しました。これにアストーロフ人民共和国が応じ、グレミア講和会議が開催されます。


この講和会議では、各国が多大な犠牲を払ったことから、膠着状態にあった領土問題は妥協的な形で解決され、戦争は事実上終結しました。


戦後の世界


第三次世界大戦は、参加国の国力を大きく消耗させると同時に、局所的な核戦争という最も世界滅亡へと近づいた出来事でした。特にカルカリアとオデイアッコーフの核弾頭着弾地点での汚染除去作業は困難を極め、カルカリアは数百年は立ち入ることができないとしてアストーロフ調査隊によって封鎖が行われました。



いかがでしたでしょうか。
第二次世界大戦からの局所的核戦争を描写してみました。
最後の方は疲れてるので雑になっています。本当に申し訳ございません。
それではまた次回お会いしましょう。









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