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ドラゴンボール超のとよたろうは、ちゃんと頑張っているのではないかという話。

ドラえもんの声が変わってからかなり長い事時間が経つ。そろそろ20年になるかならないかというところだ。
このまま何かトラブルでも起こらない限り、むしろ声が変わってからの方が長くなるのではないかというくらいだが、未だにドラえもんの声が変わったことを認められない人間は多い。そのくらい「思い出」の補正は強い。
本人らからすれば慣れ親しんだものを突然変えられたものであるから、ある程度反発が来るのは仕方ないことであるが、一方で人間の命は無限ではないのだから、いつかは変わりが来ることは受け容れねばならない。
ドラえもんの制作陣もそれを分かっていたからこそ大胆な変更に踏み切ったのだろうから、そのあたりは理解してもらった方がいいのではないかと思う。

さて、作品に大きな変化があったことで批判を受けている作品がもうひとつある。それはドラえもんと同じく国民的漫画と言われている作品である。「ドラゴンボール」だ。

ドラゴンボールとはここで私が解説するまでもない、先日亡くなった漫画家「鳥山明」による漫画作品で、その人気は日本を飛び越え世界中で親しまれる名作となっており、連載がとうに終了した今でも数多くのメディアミックスがなされ、作者が原作を務めた新シリーズもいくつか公開されるなど、今でも多くの読者に愛される作品となっている。
その知名度の高さは言うに及ばない。「マリオ」や「ミッキーマウス」などはあまりサブカルに明るくない人でも名前を知っているが、それと肩を並べるくらいに知名度がある作品だ。
同じ90年代を風靡した漫画群というと、「北斗の拳」「ジョジョの奇妙な冒険」、「シティーハンター」などさまざまな漫画を挙げることができるが、その中でもドラゴンボールの人気は別格だろう。
私も普段からあまり漫画を読まないのだが、何か好きな漫画を挙げろと言われれば、やはりドラゴンボールと言うと思う。そのくらいドラゴンボールの面白さは別格である。
ドラゴンボールはまさに漫画界の王道ともいえ、門外漢の人間でも惹きつける魅力を持った名作だといえるだろう。

が、この作品、世界中で人気の作品でありながら、どうにも読者の血の気は荒く、作品に関係するファンダムでは、ファン(というか煽り屋?)同士での暴言の吐き合いが毎日のように繰り広げられる異常な界隈ともなっており、設定の矛盾点の指摘や作品の優劣、果てには画力の優劣まで含めてとにかく何かを攻撃したいという人間ばかりが集まっており、一般人にはどうにも近寄りがたい空気が形成されていることでも悪名高い。

いや、何も批判をするなというわけではない。作品に対しての健全な批判は(それが作り手に届けばであるが)むしろ作品の完成度の向上を生む。私も本当に気に入らないことがあれば作品を批判することもしばしばだ。
だがそれにしてはドラゴンボール界隈の批判の頻度は異常である。つねに何かをこき下ろしたい人間が集中しており、口を開けば何かを口撃している。その姿は(口先に限って言うなら)まさしくドラゴンボール内で戦闘民族と称される「サイヤ人」の姿を彷彿させると言って過言でない。そのコミュニティが取る姿はまるで針山に閉ざされた地獄の一風景のようにも映る。

だが今回はそのドラゴンボールのファンダムの空気を批判することが本題ではない。目を覆って余りあるものだが、ここでそのファンダムの嘆かわしい部分が何たるかということをひとつひとつ批判していくとあまりに長くなりすぎるし、その行為自体が不毛であるし、何より私の筆力が追い付かない。なので今回はファンダムの中で起きた論争のひとつで、ふと私が気になった話に焦点を絞っていきたいと思う。

https://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1709919786/

私はある日、この老舗掲示板・5chのスレッドで漫画家の「とよたろう」が個人攻撃に遭っているのをちらりと見た。
「とよたろう」というのは、ドラゴンボールの原作者である故・鳥山明の指名を受け、漫画「ドラゴンボール超」の作画担当をしている漫画家であるが、あの生前生ける伝説とまで呼ばれた鳥山明の後継としてはやはり風当たりが強く、スレッド内を見れば分かる通り鳥山明や漫画ファンからはつねに酷評を受ける役割を強いられている。
目に毒だが、今回はそのうちの一例として一部を引用してみよう。

元々へったくそな絵で大っ嫌いだったけど鳥山死んだしさっさと連載やめろ
同人のくせに公式ぶりやがってクソがよ

レス57

とよたろうはコマ割りとかキャラ描写が下手なんだな
下手な人特有のいらんコマ挟み込んでテンポ悪くなるやつ

>>43の4コマ目の御飯が仙豆落としそうになるシーンももうちょっと描き方あるだろう・・・
焦った表情でわたわたさせながら仙豆が落ちていく絵を一コマで描けばポンポンと読めるはずなのに
鳥山はコマ割りが芸術的に上手いからあまりにも差が大きい

ネームはもう他の人にやらせたほうが良いんじゃないかこれ
流石にもうちょい上手い人いるだろ

レス110

鳥山が天才とか言うレベル以前の話で
いちいちセリフのやり取りごとにコマ割るな
省略できるセリフは省略しろとか漫画入門書にも書いてあるレベルだしな
自分は昔少年サンデーの熱筆まんが学園だかで読んだ

>>69
こんなん新人が持ち込みに行ったら
原稿見てくれた編集者に注意されるレベルだわ

レス135

どうだろうか。たいていネットにはこうした罵詈雑言や誹謗中傷一歩手前の声が溢れている。こういった声に触れ続けていれば、さもとよたろうは後継者としては不足しており、ドラゴンボールの続編を描く資格がない、と思ってしまっても仕方がないだろう。
だが私自身はというと、彼の実力を酷評とまでは思っていない。確かにキャラクターの絵は時折不安定になるし、コマ割りも鳥山明のそれと比較すればレベルが高いとまではいえず、同じようなシーンや不必要なコマがないとまでは言わないものの、動物キャラクターの安定度は高く(特にビルス)、背景もきっちりと描けていて漫画家として十分な水準に達している。とくに背景の無駄のない描き方は原作さながらで、鳥山明が後継者として指名したのはそういうところだったのではないかとも思っている。


『ドラゴンボール超』22巻 28ページ



あくまで比較対象が鳥山明だからそう感じるだけで、とよたろう自身の画力はけしてここまで非難されるべきほどのものとは思わないのだ。インターネット上ではあまり擁護される人間ではないので、一人くらい味方がいてもいいのでは?と思ったことから、私は敢えて今回彼の味方をしてみたいと思う


そう思ったのはもうひとつのドラゴンボール外伝漫画である「ドラゴンボールヒーローズ」を読んだことによる。
こちらも漫画家として十分な水準には達し、魅力的な漫画を提供しているものの、とよたろうのそれと比較するとどうにもドラゴンボールらしさが感じられない。それは漫画家の画力の良し悪し以前に、「ドラゴンボール」が持ちうる要素をいまいち出し切れていないように感じるからだ。
ではその「ドラゴンボール」が持っていた「らしさ」の一因とは何か?
それは伝説の漫画ということで、各種サイトなどでは既に手垢がつくほどに語りつくされていることだと思うが、ここでは私なりにドラゴンボール「らしさ」を考え、それを後続の漫画家が再現できているのかという観点から見てみた結果を、以下に記したいと思う。

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