けとんことん
何気なくクズリについて調べていたら(眠れない時よく知らない動物を検索するのが好きなんです)、
クズリはニヴフ語だって書いてありました。
へ~そうなのか。
ニヴフは昔ギリヤークとも呼ばれ、樺太やアムール川下流域に住んでいた人たちです。
私の貧弱な理解では、アイヌの人たちから見て南に接していたのが和人(日本人)、北に接していたのがニヴフやウィルタの人たち。
ウィルタについては、もう終わってしまいましたが日本橋の髙島屋で「ジャッカ・ドフニ」(北海道に移住したウィルタの人たちが1978年から2010年まで網走で運営していた博物館です)に関する展覧会が開催されていました(なかなか面白かったですよ)。
で、ちょいと北方の少数民族についての興味が昂進しているところだったので早速ニヴフ検索開始。
すると日本語になったニヴフ語として「クズリ(動物)、カンカイ(魚)、古屯駅」という3つが挙げてありました。
カンカイという魚は知らなかったけどコマイの別名らしい(コマイはアイヌ語由来)。
で、古屯駅のコトンとはニヴフ語で都という意味だといいます。
私が惹かれたのは次いで書かれていた、古屯駅は「かつて日本最北端の駅であった」という一文。
日ソ国境だった樺太北緯50度線までわずか17kmの距離。
しかも古屯駅の隣の駅は気屯(けとん)駅だって書いてあるよ。
(ケトンの由来もニヴフ語でケトンギー(上の川)から来ているそうです)
気屯駅まで路線が伸びたのが1943年。古屯駅まで路線が伸びたのが1944年。
気屯駅が日本最北端の駅だったのはわずか9ヵ月ほど。
次いで古屯駅が最北端の駅になって1年後にはソ連軍の侵攻によって樺太の全線は接収されてしまいました。
けとんことん。
戦争中の大変な時期だったんだろうけど、宮沢賢治の銀河鉄道より遥か北の森の中でこんな名前の駅が運用されてたなんてなんだかロマンチックだな。
80年も前の話とはいえ一応旅客も乗せていたらしいので、かろうじて実際に乗車した記憶を持っている人も生き残ってるんじゃないでしょうか。
ソ連が突然攻めてきて、命からがら北海道に逃げたという話は読んだりテレビで見たことがあります。
ずいぶん昔には、サハリンから北海道に移住してきたギリヤークやウィルタの人が日本国籍となって北海道に暮らしているってのもテレビで見たことがある(多分もう”一世”の人は生き残っていないでしょうね)。
でも、けとん駅ことん駅のことは聞いたことがなかったよ。
南樺太取得後、日本が1906年最初に当地に敷設した軽便鉄道はわずか55日で43.3kmを完成させたものの、表定速度はなんと時速7.2kmだったそうです。
その後路線は延長されて樺太南端の大泊港駅から古屯駅まで414.4km。
さすがにそこまで路線が伸びるころには時速7.2kmじゃないだろうけど1日じゃ着かなかったんじゃないだろうか。
戦局の悪化した1944年、45年ではのんびり旅行するような人はいなかったのかも知れない。
コトンはニヴフ語で都だって言っても旅館も商店もなにもなかったのかも知れない。
乗り込んでくるニヴフやウィルタの人なんて一人もいなかったのかも知れない。
でも私は鉄オタじゃないですが、これらの駅には行ってみたかったな。