生成AIは手書き絵師の助けになると言いつつ、「手書き絵師は廃業になる」と煽る、どっちなんだい?
似た事例があります。フランス革命の時、ラボアジェという化学者がいて「酸素を命名した(質量保存の法則)」ことで有名な人です。
しかし、フランス革命の時に処刑されてしまいました。
裁判の時、人々はこう言いました「彼は科学を発展させた偉大な功績者だぞ!処刑するな!」しかし、革命裁判所の裁判官はこう言いました「共和国に科学者は不要である(偉大な功績などというものは不要である)」と。
「共和国に科学者は不要である」とはどういう意味か?
「世の中にそういう”偉大な功績”などという”価値”など存在するから、社会に”不平等”や”差別”が発生するのだ」と。
共産革命とは、「真の平等を目指す」ということなので、「偉大な功績」などというのは「平等を壊す」行為ということ。
「しまった!こいつら平等主義の最終目的はそうだった・・!!、その通りだ!、たしかに筋は通ってる!」と、最後の最後になって人々は「共産思想」の恐怖に気がついたのだと思う。
いま、生成AIの流行で「手書き絵師はAIによって廃業する!」「すべての職業はAIによって廃業する!」「AIは人間を超えて廃業させてシンギュラリティが発生する!」と煽ってるのは、フランス革命の時に「共和国に科学者は不要である(偉大な功績などというものは不要である)」と言ったのと、「何が違うんだい?」と私は思う。
本当に生成AIが手書き絵師の助けになるのなら、「手書き絵師の廃業」はおかしいだろ。
本当に生成AIが人間の労働者の助けになるのなら、「人間の労働者の廃業」はおかしいだろ。
それはつまり、フランス革命の「共和国に科学者は不要である」と同じく、手書き絵師や人間の労働者の「労働価値」を無くそうとする「政治運動ではないか」と私は思う。
もしも「生成AI」という技術を「共産主義」と同じ道を歩ませてはいけないと思うならば、生成AIは「資本主義」の道を歩まなくてはいけないだろうし、例えば学習元にちゃんと毎回お金を払うとか。
また、「生成AI」が手書き絵師と同じく、「生成AIも昼閒は衣食住の業界でバイトして肉体労働で汗かいてます」みたいなことも必要だと思う。
世の中の手書き絵師って、ほとんどは昼閒は「バイトで肉体労働してます」って人多いと思いますよ?
最近、話題になった「生成AIの株価はAIバブルだ。生成AIで何が生活が楽になってるのか、その実績が目に見えない、フワフワした言い方でごまかされてる。」「生成AIは実績(AI自称)がふわふわして地に足を付けてない」という株価アナリストの分析はそういうことだと思う。
生成AIで「肉体労働が楽になった」「天気予報の降水確率が当たるようになった」とか身近な具体例を聞かないし、
職場や自宅のパソコンで「人工知能を試しますか?」みたいなメッセージが出ても「人工知能を試すにはログインが必要です」とか言ってて、そもそも「信用が無い」。人工知能AI、そういうとこだぞw、みたいな。
最近、職場の監視カメラの来客の「顔認証」もなぜか「当たらなく」なってきてて、「最近、常連の不審者が来てもヒットしなくなってるね。前は頻繁にヒットしてたのに。」と話題になってる。
人工知能の顔認証のヒットの確率の高さ低さも、人工知能のあるある、で功罪だよなと思う。
「はあ・・。やれやれ、結局、人間サマが必要になるのか。」と。